2019年JAF全日本ダートトライアル選手権第2戦
「RASCAL SPRING TRIAL IN KYUSHU」
旅の途中
CMSC選手結果は
1 成田空港から福岡空港まで

①② 前日の4月4日(木)夜、横浜の自宅から3時間かけて成田空港入り、第2ターミナル北ウエイティングエリアで仮眠。畳コーナーが昨年の1か所から3か所に増えました。




⑤ シートピッチはJALやANAの79cmに比べLCCはどこも71cmとかなり狭い。シート幅はLCCもANAやJALもほとんど変わりがなく、約42~45cmとなっています。
➅ 定刻より20分遅れて11時30分無事福岡空港到着。CMSC福岡・原竹知二さんが迎えに来てくれ、そのまま太宰府観光に繰り出しました。
2 新元号「令和」の聖地 太宰府
2-1 太宰府天満宮、



①②③ 学問の神様・菅原道真公が祀られており、合格を祈願する受験生をはじめ、全国から年間700万人もの参拝者が訪れます。3年前にも参拝しましたが、太宰府に来たら外せない観光地。


④ 菅原道真の歌碑「東風ふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ」 道真は非業の死を遂げた平将門、崇徳上皇と並ぶ日本三大怨霊のひとり。

➅⑦ 太宰府天満宮参拝後、境内の茶店で名物「梅ケ枝餅」を頂きました。店内でお茶もいただいて1個税込120円也。梅ケ枝餅は、まんじゅうではなく、小豆餡を薄い餅の生地でくるみ、梅の刻印が入った鉄板で焼く焼餅です
2-2 太宰府政庁跡(都府楼跡)


① 7世紀後半、大和朝廷は那の津の官家(みやけ)をここに移し、奈良・平安時代を通して、九州を治め、我が国の西の守り(防衛)、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)としました。その規模は平城京、平安京に次ぐ大きなものでした。
かつて、太宰府政庁があった場所は、今は広々とした広場になっており、 建物はなくても、その礎石があちらこちらに残っています。石碑には「都督府古址」と彫られています。
② 丁度桜が満開でお花見がたけなわでした。礎石の上でお花見?
2-3 坂本八幡宮


①② 4月1日、新元号の「令和(れいわ)」が発表されました。令和は約1300年前に福岡県の太宰府で行われた「梅花の宴」を記した万葉集の歌の序文が典拠とされています。大宰府の長官(=大宰帥(だざいのそち))であった大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅にて「梅花の宴」が催されたとされており、その邸宅が現在の大宰府政庁跡や坂本八幡宮の付近にあったと言われています。平日にもかかわらず多くの観光客が訪れ、さしずめ“聖地巡礼”の雰囲気に包まれていました。


③ CMSC福岡・原竹知二さんと記念の参拝。
④ 大友旅人の万葉歌碑。「令和」の梅花の宴とは関係ない和歌でした。
3 城めぐり
3-1日本百名城 大野城跡 (福岡県大野城市、太宰府市)




①②③④ 663年白村江の戦い敗戦後の天智天皇4 (665) 年に百済の亡命者である憶礼福留、四比福夫の指揮のもと築造された城と記されています。平安時代初めまで使われていました。四王寺山の尾根に沿って総延長8kmに渡り土塁を巡らし、谷部には石垣が築かれています。④は倉庫跡と思われる礎石です。
3-2続日本百名城 水城跡(みずきあと)(太宰府市)



①②③ 663年の白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れた日本が国土防衛のため築造した土塁です。『日本書紀』天智天皇3(664)年の条に「於筑紫、築大堤貯水、名曰水城」と記されています。土塁の規模は全長1.2キロメートル、基底部幅80メートル、高さ9メートルで、土塁の内外には濠が設けられ、それらを繋ぐ木樋も確認されています。
3-3 岩屋城跡(太宰府市)


①② 岩屋城は筑前国御笠郡にあった日本の城。戦国時代末期の天正14年、島津忠長率いる島津軍と大友軍の高橋紹運との壮絶な攻防戦で知られています。眼下には太宰府天満宮や大宰府政庁跡が見えます。
4 福岡今宵の宿

① 4月5日(金)と6日(土)の夜は原竹邸に民泊。原竹さん、お世話になりました。


②③ 6日(土)の夕食は原竹邸で夕日が沈む景色を見乍ら囲炉裏でBBQ。最高―す!

④⑤ 7日(日)大会終了後はすぐに帰らず延泊して寄り道をしました。延泊は福間海岸の駐車場で得意の車中泊。


⑥⑦ 原竹さんから借りたワゴンRは第1シート第2シートがフルフラットになり、快適に寝られました。
5 高倉健さん生まれ故郷 中間市散策
5-1 正覚寺


①② 正覚寺は高倉健さんの本家小田家の菩提寺。境内に健さん直筆の文字「寒青」を刻んだ記念碑が建てられています。「寒青」は「かんせい」と読みます。吉田松陰や三島由紀夫に影響を与えた王陽明の言葉で「冬の松」を表し、凍てつく風雪の中で、木も草も枯れ果てているのに、松だけは青々と凛としている…自分もそんな風に生きていけたら…健さんはこの「寒青」という言葉をいたく気に入っていました。
健さんの任侠やくざ映画はあまり好きではありませんが、「幸福の黄色いハンカチ」以降 彼の映画には「漫然と生きる男ではなく一生懸命生きる男」の人生哲学が表れ、共感を覚えます。


③④ 小田家の墓。 墓誌には健さん本名「小田剛一」と戒名「至徳院尊空湛寂剛信居士」が刻まれています。
5-2 世界遺産「遠賀川水源地ポンプ室」



①②③ 遠賀川水源地ポンプ室」は世界遺産『明治日本の産業革命遺産』の構成資産のひとつ。
遠賀川の水を沈砂池に貯め、約12キロ離れた八幡製鐵所まで鉄づくりに欠かせない水を送水しています。明治建築の典型的なレンガ建造物はまるで廃墟のようですが、これでも現役のポンプ室です。
5-3 屋根のない博物館



①②③ 旧国鉄香月線の跡地を利用して平成元年に造られた緑道公園。イースター島のモアイ像(②)、エジプトのスフインクス、ギリシャでロス島のライオン像(③)など世界中の有名な石像レプリカ30体余りを並べたユニークな青空博物館。入場料はもちろん無料、年中無休で開館しています。
5-4 垣生(はぶ)公園



①~④ 1000本の桜に彩られる県内有数の花見スポット。丁度「筑前中間さくら祭り」の期間で、月曜日にもかかわらず花見客でにぎわっていました。せっかくなので小生も酒抜きでお昼の弁当を食べながら花見をしました。
話は変わりますが、女優仲間由紀恵は中間市の出身かと思いましたが、調べると沖縄県浦添市出身でした。
以上 「旅の途中」レポートでした。