2018年JAF全日本ラリー選手権第10戦(最終戦)


「新城ラリー2018」


大会のひとコマと旅の途中


その2 大会前後の寄り道



1 日本百名城 掛川城(静岡県掛川市)


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①②③ 掛川城と言えば山之内一豊の城として有名ですが、室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。
 戦国時代には今川家が滅亡した舞台になった城で、今川氏滅亡後は徳川家康が城主となりました。豊臣秀吉の北条氏・小田原攻め後は山内一豊が城主として10年間在城しました。現在の掛川城は、平成6年日本初の「本格木造天守閣」として復元されたものです。

 




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④ 大手門(復元) 掛川城の正門。巨大でした。
⑤ 大手門番所(復元)  大手門の内側に建てられ場内に出入りする者の監視や警備をする役人の詰め所。


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➅ 三の丸広場のシャチホコ・モニュメント 再建天守閣のシャチホコは勿論再建の青銅製ですが、こちらは瓦で作られており再建前の大手門の本物のシャチホコだそうです。
 



2 三方原古戦場 (静岡県浜松市北区)


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①② 「三方原の戦い」は若き日の徳川家康が、武田信玄に大敗北を喫した戦いで、家康生涯唯一の負け戦。1572(元亀3)年、上洛(地方から京に上ること)を目指し、武田信玄が遠江国に進軍。それを知った徳川家康は、浜松城を出発・追撃し、三方ヶ原の地で戦いとなりました。しかし、兵の数でも軍術でも劣る徳川軍は総崩れとなり、家康も命からがら浜松城へ逃げ帰りました。


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③ 日本語による説明
④ 英文による説明 かなり省略されています。






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⑤ 武田信玄本陣「根洗いの松」(近年植えた三代目) 物見兵が木に登って見張りをしていたと伝わっています。
 




3 井伊直虎ゆかりの寺 龍潭寺(りょうたんじ 静岡県浜松市北区)



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① 2017年の大河ドラマ主人公・井伊直虎ゆかりの寺であり、井伊家千年の歴史を伝える臨済宗の古刹です。徳川四天王の筆頭井伊直政、幕末の井伊大老直弼など井伊家四十代を祀る菩提寺です。



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          ② 山門                         ③ 仁王門


 

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     ④ 東門(旧鐘楼堂)                       ⑤ 本堂


 

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             ➅ 開山堂 龍潭寺歴代住職のお位牌(御霊)を祀るお堂





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⑦ 井伊家墓所  正面右=初代共保、左=直虎の父・直盛
左列奥より松岳院=祐椿尼(直虎母)、直虎、元許婚直親、直親妻、直政

⑧ 井伊家歴代の墓
 




4 長篠・設楽原古戦場(愛知県新城市)

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① ラリー取材の合間に、織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼軍を破った「長篠・設楽原の戦い」の古戦場を巡りました。

「長篠・設楽原の戦い」とは、天正3521日、三河国長篠城をめぐって、織田信長・徳川家康連合軍38000と武田勝頼軍15000との間で行われた戦い。織田軍が新戦法・鉄砲三段撃ちを行った話で有名です。その戦場となったこの長篠・設楽原一帯には、その名残が今も数多く残っています。この合戦を境に信長は天下人としての地位を固め、勝頼は衰亡の一途をたどることになります
 


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②③ 長篠・設楽原決戦場  この丘からは徳川勢が布陣して戦った戦場一帯が見渡せます。



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④⑤ 竹広激戦地 長篠、設楽原の戦いの中でも最も激しい戦いが繰り広げられたところです。
 



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➅  織田信長 戦地本陣跡 茶臼山
「織田信長戦地本陣跡」。決戦場から西約1kmの茶臼山にあります。
⑦ 眼下に新東名高速の長篠設楽下りPA。ということはPAから歩いても行けます。


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               ⑧ 本陣跡には稲荷社が祀られています。




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⑨⑩ 織田信長戦地本陣跡に建つ信長の歌碑。「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね」
 



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⑪⑫ 徳川家康  戦地本陣跡 八剱神社
徳川家康は現在の東郷中学校の北側にあたる高松山に陣取りました。中学校西側の道の正面()に八剱神社があります。この境内地に「徳川家康本陣地」の石標が建っています。
 


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⑬⑭ 武田勝頼 本陣跡  医王寺
天正3(1575)年5月、武田勝頼は織田、徳川連合軍との決戦を前に長篠の医王寺で軍議を開きました。多くの忠臣は決戦を回避すべしと進言しましたが、勝頼は聞き入れず21日未明、勝頼は設楽原に向けて総攻撃を命じましたが、戦いの結果は武田軍の惨敗に終りました。


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⑮⑯ 武田勝頼 戦地本陣跡 永観寺跡 
新東名高速・新城インターチェンジと三菱電機・新城工場の間の林の中に、高さ60センチほどのこの石碑がぽつん。長篠・設楽原戦いの時、勝頼は医王寺からこの地に戦地本陣を移しました。
 



5 ラリー中の宿


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①② 11月2日(金)は翌日のSS3鬼久保に入るため、職住近接。すぐ近くの道の駅「つくで手作り村」の駐車場で車中泊。 ギャラリーらしき車が多数停まっていました。


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③③ 車中泊はこんな感じです。足をト―ボードまで伸ばせば楽勝。




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④ 湯を沸かして温かいお茶を頂きました。
 


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①② 3日(土)の晩は新城総合公園からほど近い、新東名高速新城インターチェンジ入り口にある道の駅「もっくる新城」。翌日の新城総合公園でのSS、イベントの撮影に好都合でした。


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③④ 寝る前には天然温泉「本宮の湯」(ほんぐうのゆ 豊川市)で体をリフレッシュ。露天風呂もありましたが湯温が低く、風も冷たかったので湯船から出られなくなりました。