2018年JAF全日本ダートトライアル選手権第2戦
「RASCAL SPRING TRIAL IN KYUSHU」
大会のひとコマと旅の途中
その2 大会前日まで
1 成田空港~福岡空港


①② 成田空港第3ターミナルには昨夜遅く到着。 ウエイティングルームで一晩。ファミリーコーナーと称する畳コーナーがいいか、普通の長椅子で寝るのがいいか悩むところでしたが、結局畳で寝ました。



⑤ 福岡空港には玄界灘から博多湾に入り、そのまま滑走路へ。手前の陸地は「海の中道」。右奥の陸地は「金印の島」の「志賀島」。昔は島でしたが今は海の中道と陸続きです。中央奥の島は「能古島」。左手陸地が福岡市街です。


⑥⑦ 飛行機は一気に高度を下げて市街が丸見えになるくらい低空飛行で滑走路に入ります。
2 西日本鉄道 旧宮地岳線(廃線)花見駅跡




宮地岳線はレールが取り外されて線路跡がグリーンになって伸びています。グリーンの間に敷石が残っているのが線路だった証。
「花見」駅は駅舎もホームもすっかりなくなって面影は丸でありませんでした。福岡県出身の井上陽水の唄「東へ西へ」の歌詞にある「花見の駅」とはこの駅のことと言われています。
~ガンバレみんなガンバレ 夢の電車は東へ西へ
花見の駅で待ってる君にやっとの思いで逢えた~
散歩中のお年寄りに聞くと、井上陽水の「夢の中へ」 ~探し物はなんですか?見つけにくいものですか~ と口ずさんでくれました。


⑤⑥ 廃駅前の駅舎とホーム

⑦ 電話ボックスが廃駅前からの名残です。




⑩⑪ 西日本鉄道 旧宮地岳線の終点は津屋崎。こちらも駅舎、線路は撤去されて跡形もなし。
「電車延長記念」の石碑がひっそりと残るだけ。

⑫ 2007年廃線廃駅の津屋崎駅。
3 津屋崎

① スピードパーク恋の浦のある福津市は、2005年福間町と津屋崎町が合併して、それぞれの町名の「福」と「津」をくっつけて名づけられた人口6万人の市。スピードパーク恋の浦は旧津屋崎町にあり、その津屋崎は江戸時代から海上交易と塩田で大いに栄え、その賑わいぶりは、家が千軒もひしめくようで、「津屋崎千軒」と呼ばれました。現在も、昔の面影を残した趣ある町並みが魅力的です。


② 津屋崎千軒 民俗館「藍の家」
明治34年に建築された染物屋「藍の家」は、 100年以上の歴史があり、当時の津屋崎千軒の町屋形式が色濃く残る代表的な建物。
③ 昭和初期の「藍の家」。今の写真と外観はほぼ同じ。手前の松が今はヒノキに代わっています。また道路に階段がありますが、今は車が通れるようスロープになっています。


④⑤ 「藍の家」玄関と中
4 世界遺産 宗像大社辺津宮、新原・奴山古墳群

① 世界遺産『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』は(1)沖ノ島沖津宮、(2)宗像大社、(3)新原・奴山古墳群から構成されています。

(1)沖ノ島
日本列島と朝鮮半島との間に位置する沖ノ島は、高度な航海技術をもった宗像地域の人々にとっての道標でした。古代東アジアにおいて海を越えた交流が頻繁に行われた4世紀後半〜9世紀末の約500年間にわたり、 沖ノ島では航海の安全と交流の成就を祈っておびただしい量の貴重な奉献品を用いた祭祀が行われました。 島全体が信仰の対象である沖ノ島では、「神宿る島」として厳しく入島を制限する禁忌などの慣習が人々の間に根付き、自然崇拝に基づく古代祭祀の変遷を示す遺跡がほぼ手つかずの状態で現代まで受け継がれてきました
(2)宗像大社(むなかたたいしゃ)
宗像大社は①沖津宮(沖ノ島) ②沖津宮遥拝所(大島)、③中津宮(大島)、④辺津宮(本土)から成り立っていますが、今回は辺津宮のみ参拝。沖ノ島は渡航制限で行かれません。大島は海を渡るので次回に宿題。





宗像大社辺津宮は九州本土における信仰の場でした。
(3)新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)



新原・奴山古墳群には、沖ノ島を含む三つの信仰の場からなる宗像大社と沖ノ島祭祀を行った古代豪族宗像氏が眠っています。
詳しくは
5 福間海岸


①② 金曜日と土曜日の夜は 福間海岸駐車場で車中泊。土曜日朝(写真)は雨模様で寒い思いしましたが、日曜日朝は晴れてまずまずの気候でした。


③④ 風呂は福津市の福間海岸ペリにある福祉施設「夕陽館」で。湯は地下から汲み上げた海水を温めた潮湯です。200円は値打ち。