2017年JAF全日本ラリー選手権第8戦
「第45回MCSCラリーハイランドマスターズ2017」
大会のひとコマと旅の途中
その2 大会前の寄り道
今回高山での全日本ラリー取材を前に、塩尻から木曽福島経由で向かい、中山道・木曽路の北側の 洗馬宿、本山宿、贄川宿、奈良井宿をぶらり寄り道した。かつては松尾芭蕉、正岡子規、果ては皇女和宮も木曽路を訪れており、島崎藤村「夜明け前」の書き出しの通り、木曽路はすべて山の中だった。
奈良井宿では前回の妻籠宿、馬籠宿同様古い街並みが保存されていて、あたかも江戸時代にタイムスリップしたかのようだった。
1 洗馬宿(長野県塩尻市)


善光寺道との追分でもあったことから、善光寺詣での人々でも賑わっていた宿場です。


③ 分去れ(わかされ)。左の道が善光寺に行く善光寺道。右の道が旧中山道。
④ 分去れ(わかされ)常夜燈

⑤ 分去れ道標
以前は④の分去れ常夜燈と同じ場所に有りましたが、今は木曽寄りの新たな中山道・善光寺道分岐点に移設されています。

⑥ 「つゆはれのわたくし雨や雲ちぎれ」
松尾芭蕉も善光寺参り(更科紀行)の時洗馬宿に泊っていますが、季節が違うので別の時に読んだ句のようです。

⑦ 「邂逅(あうた)の清水」
木曽義仲挙兵の際、木曽から出てきた義仲と信濃・今井から出迎えた今井兼平の主従が邂逅したところと伝えられ、兼平が疲れた義仲の馬の足を洗うと馬はたちまち元気を回復したとの言い伝えがあります。
今井兼平は木曾義仲の忠臣。妹に巴御前がいる。いとこの源頼朝ら鎌倉軍に追われ敗走する義仲に従い、粟津の戦いで討ち死にした義仲の後を追って自害しました。享年33。
2 本山宿(長野県塩尻市)


①② 中山道32番目の宿場。信州そばの発祥地といわれる所でもあります。江戸幕府第14代将軍徳川家茂に嫁いだ皇女和宮も宿泊しました。


手前から川口屋、池田屋、若松屋と江戸時代の旅籠が今も残されています。子孫かどなたか居住はしているようですが営業はしていません。

⑤ 路傍の石塔群。
右から 庚申塔(2基)、供養塔、二十三夜待ち塔、南無阿弥陀仏、地蔵尊 南無阿弥陀仏 馬頭観音、道祖神、常夜燈、左端の秋葉神社は「火除けの神様」。元々村のあちこちに散在していたのをここに一括集結したものと思われます。

⑥ 「是より 南木曽路」碑。これより北は信濃路です。
本山宿と贄川(にえかわ)宿の間の国道沿いに建てられています。

⑦ 旧道をめぐるとあちこちに道祖神、様々な供養塔に出会います。
道祖神(中)は村落の辻や峠の境に祀られ、外来の邪悪なものをさえぎると言われ、旅の安全を願ったり道案内の約割を務めていました。
左は二十三夜待供養塔 (にじゅうさんやまちくようとう)
特定の月の23日の夜に講員が集まり、月を拝み飲食を共にする月待 ( つきま ) ちの行事で、江戸時代には全国各地で盛んに行われました。その際供養のしるしとして建てた石碑。月待塔とも言います。
3 贄川(にえかわ)宿(長野県塩尻市)


② ここには福島関の添番所(贄川関所)が設けられ、木曽路の北の防御拠点でもありました。


③④ JR中央本線贄川駅。各停が上り下り各1日12本停まります。


⑤ 旧中山道沿いにある塩尻市役所樽川支所駐車場の一角というか、諏訪神社の一角に芭蕉句碑。石碑の表面は「芭蕉翁」
⑥ 横面に「送られつ をくりつはては 木曽の秋 」

⑦ 木曽平沢は宿場町ではありませんが漆器の町。江戸時代からみやげ物として人気があったそうです。今も休日には漆器を求める観光客でごったがえすとか。この日は平日で静かでした。

⑧ 平沢から奈良井に向かう途中の旧道で見つけた中山道碑
4 奈良井宿(長野県塩尻市)

① 奈良井宿は難所の鳥居峠をひかえ、「奈良井千軒」と言われたほど賑わった宿場です。
今回鳥居峠は時間の都合でパス。次回に取っておきます。




①~④ 重要伝統的建造物群保存地区」の町並みは、妻籠宿、馬籠宿と並んでさながら江戸時代にタイムスリップしたような。休日は観光客でごったがえす宿場町も今日は雨降る平日、静かな町並みを散策しました。

⑤ 宿場のあちこちで見かけた「水場」。水が昏々と清水が湧き出ています。鳥居峠を下ってきた旅人ののどを潤した甘露の水です。


⑥⑦ JR中央本線奈良井駅。ここの駅も特急は停まらず、各停のみ上り下り各1日12本が停車。
5 「木曽街道六十丸次」浮世絵
贄川関所内にある観光案内所に、浮世絵師葛飾北斎と渓斎英泉が描いた「木曽街道六十丸次」浮世絵のコピーが飾られていました。当時の木曽路宿が描かれています。


① 洗馬宿 ② 本山宿


③ 贄川宿 ④ 鳥居峠

6 昔の木曽路写真


① 贄川宿 ② 鳥居峠


③ どこかの木曽路 (場所見落しました) ④ どこかの宿(宿名見落しました)