2017年JAF全日本ダートトライアル選手権第8戦(最終戦)
「NANO TOPカップ ダートトライアル IN タカタ」
大会のひとコマと旅の途中
その2(大会後の寄り道)
タカタの帰りも、CMSC島根の倉敷在住の三好工さん(JMRC中国のダートトライアル部会長 今大会では組織委員)の車に乗せてしてもらい、倉敷に戻りました。岡山からは9日(月)の夜行バスで帰るので、9日(月)の日中は三好さんの案内で倉敷、岡山、総社の観光と相成りました。
1 福山の水田耕作さん



①②③ タカタ全日本ダートトライアル第8戦(最終戦)の帰り、福山の水田耕作さんの店(ガレージ・ミズ)を訪ね、2008年以来9年ぶりの再会を果たしました。大のカープファンは、メジャーでの20億円を捨ててまでも古巣の優勝を夢見てカープに復帰した黒田博樹の生きざまに感服したと。何事にも一徹な水田さん、いつまでも元気で!
2 岡山の高橋伸治さん







⑦はタモリの煮付け。脂が乗った白身魚は身が締まって絶品の味でした。正式名はセトダイと言い、タイの仲間。瀬戸内海沿岸では「タモリ」とだけでなく「イイトモ」とも呼ばれているそうです(ほんとかな?)。元々は「トモノリ」と呼ばれていたのが縮んで「タモリ」。トモノリは平知盛のこと。壇ノ浦の戦いで平家が滅びるときに碇を担いで「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と入水した平家方では数少ない勇猛な武将です。
3 倉敷美観地区






①~⑥ 倉敷美観地区は倉敷駅から南に徒歩約12分にある町並保存地区・観光地区。
江戸時代、幕府直轄地である「天領」として栄えたまち。白壁土蔵のなまこ壁に、軒を連ねる格子窓の町屋、川面に映る柳並木など、情緒豊かな町並みが形作られています。4 阿智神社(倉敷市)



①②③ 倉敷美観地区の商店が建ち並ぶ場所から、坂を上ってすぐの場所にある神社が、倉敷市の総鎮守である『阿智神社』です。古来、倉敷市の周辺一帯は海で、美観地区周辺は交通の要所として賑わっていました。そうした歴史から、神社の祭神は海の神、航海の神として知られる宗像三女神です。鶴形山公園の阿智神社から美観地区の黒い屋根瓦が良く見えます。

④ 芭蕉句碑発見。「咲みたすもゝの中より初櫻 はせを」
5 宝福寺(総社市)





①~⑤ 画聖・雪舟が幼い頃修行した臨済宗の寺。涙でネズミを描き和尚さんを感動させた逸話が残っています。
6 鬼ノ城(きのじょう)(総社市)





①~⑤ 城めぐりでは一家言を持つPN2クラスチャンピオンの川島秀樹さんも訪れています。
標高約400mの鬼城山山頂一帯に、高さ6mにも及ぶ土塁や石塁が約2.8kmにわたって巡らされた古代の山城。実物大で復元された西門をはじめ,城内からの排水施設である水門,兵糧を蓄えた礎石建物跡などがあります。また昔話「ももたろう」の原形といわれる「温羅伝説」の地として知られています。
発掘調査では7世紀後半に築かれたとされています。白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷が倭(日本)の防衛のために、対馬~畿内に至る要衝に様々な防御施設を築いていますが、鬼ノ城もそのひとつと思われます。
7 備中高松城(岡山市北区)


①② 備中高松城は、かつて深い堀と沼沢地に囲まれた毛利氏の堅固な要塞でした。天下統一を目指す織田信長の命を受けた羽柴秀吉(豊臣秀吉)の参謀・黒田官兵衛の奇策「水攻め」にあい、城主・清水宗治の自刃とともに落城しました。現在は歴史公園として整備されています。



③④ 公園内の本丸跡には清水宗治の首塚があります。
⑤ 清水宗治時世の句
「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」
秀吉の中国攻めに高松城主として抗戦するも、城外湖面となる水攻めを受けて孤立。織田毛利の交渉の結果、宗治の切腹を条件に講和が成立しました。 湖面に舟をこぎだした清水宗治は、一舞いして死に就いたといいます。
8 帰路

日が暮れて、高橋さん、三好さんと食事。解散後岡山駅23:30発の夜行バスを待ちます。

新宿には翌朝8時30分到着。