2017年JAF全日本ジムカーナ選手権第8戦(最終戦)

「NRC鈴鹿BIGジムカーナ」



大会のひとコマと旅の途中


その2 大会前の寄り道





 
横浜から鈴鹿に直行すれば、楽で早いけれど面白くないので、今回は下道を甲州街道で諏訪まで行き、諏訪から西に辰野、伊奈を抜けて木曽福島から旧中山道をノンビリ行くことにしました。では9月29日(金)30日(土)の立ち寄り先を紹介します。
 



≪中山道巡り前半≫


1 中山道中間地点
 




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①②③ 中山道は東海道とともに江戸と京都を結ぶ2大街道。江戸寄りの宮の越宿と福島宿の間に江戸と京都の双方から266キロの中間地点があります。
 





2 木曽の棧(きそのかけはし)
(長野県木曽郡上松(あげまつ)町)
 



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①②③ 長野県木曽郡上松町から旧国道19号(現上松町道)を木曽福島方面に行った道路下 にある橋跡。木曽路のかつての難所。 桟(かけはし)は 険しい山の崖ぎわに短く切った木をかけ渡した木の橋。碓氷峠、太田の渡しとともに昔から中山道の3大難所のひとつと言われていました。
対岸の道路が旧中山道跡です。木曽の桟は対岸の断崖に作られた木製の桟橋ですが、当時の木橋は残っていません。川にかかる橋でなく、崖に添った桟。江戸時代に石積みになり、今では桟橋のなごりが石積みの桟道として残っています。



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④ 松尾芭蕉は更科紀行の中で、「かけはしや 命をからむ蔦かつら」と、詠んでいます。

⑤ 正岡子規はここで「かけはしやあぶない處に山つゝじ」の句を残しています。









 
3 寝覚の床 
(長野県木曽郡上松町)




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①② 木曽川の奇石と水面の美しい名勝。床岩と名付けられた岩の上で、帰ってきた浦島太郎が寝覚めたと伝えられ、小さな祠・浦島堂が祀られています。





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③ 大相撲の関脇御嶽海は上松町出身。
 



4 須原宿
(長野県木曽郡大桑村)



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①② 中山道江戸から数えて39番目の宿場。木曽十一宿のうち「須原宿」は木曽谷の中では一番古くに栄えた歴史ある宿場町です。宿場のなかでも道幅が広く、格子戸の街並みが残されています。
 



5 妻籠宿(つまごしゅく)
(長野県木曽郡南木曽町)




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①~⑥ 妻籠宿は隣接する馬籠宿(まごめしゅく:岐阜県中津川市)と、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて木曽路を代表する観光名所。
江戸と京を結ぶ中山道69次のうち江戸から数えて42番目の宿場町。中山道と飯田街道が交叉する交通の要衝として古くから賑わいをみせていました。馬籠宿から馬籠峠を越えて至る山間部に位置し、約800mの道沿いに、出し梁造りに竪繁格子の家並みが連なり、元は板葺きで、2階に手摺りをもつ旅籠形式の町家が連続しています。
 


6 馬篭峠


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①② 馬篭峠に続く石畳や山道がいまでも残されています。


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③ 馬篭峠 かつての難所も脇に国道が走り、楽々通過。
 


7 馬籠宿
(岐阜県中津川市)
 

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①② 馬籠宿は、中山道43番目の宿場で、木曽11宿の一番南の宿場町です。妻籠宿同様江戸時代の面影を深く残していて、平日にもかかわらず多くの国内外観光客でにぎわっていました。かつては長野県木曽郡山口村に属していましたが、2006年2月の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入されました。






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③ 馬籠は明治の文豪島崎藤村の生まれ故郷。藤村記念館は藤村の生家。馬籠宿本陣跡に建てられています。

④ 落ち目の三度笠。 リストラに合って新しい仕事を探して旅に出ているように見えます。




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⑤ 「是より北 木曽路」
⑥ 「送られつ をくりつはては 木曽の秋」芭蕉翁
 




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⑦ 8078 「桑の実の 木曽路出づれば 麦かな」正岡子規。

 正岡子規は、明治24年6月に上野を出発し、木曽路から美濃路へと旅をしています。その様子を紀行文「かけはしの記」として、新聞「日本」に発表しました。

⑧ 十返舎一九 狂歌 「渋皮の むけし女は見えねけれど 栗のこわめし ここの名物」 

 




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⑨⑩ 木曽路の至る所で、野の花や野仏がやさしく迎えてくれました。⑩写真の花は「ムラサキシキブ」。
 



8 CMSC岐阜との再会



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① 木曽路散策は中津川で日没サスペンデッド。街に下りてCMSC岐阜のメンバーと夕食兼情報交換。左から 兼松智志副会長 三枝重光会長 浅野博孝前会長、早瀬要治さん。
CMSC岐阜では11月25~26日モンテカルロ・オート・スポーツ・クラブ(MASK)が恵那市で開催する女性ドライバーだけのラリー 「Women‘s Rally in 恵那2017」 に共催することになりました。



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② 夜も更けて、その日の晩は早瀬さん宅に民泊しました。感謝。
 
 
≪中山道巡り後半≫

翌日9月30日(土)は細久手宿、御嵩宿、太田宿、鵜沼宿を巡ってから鈴鹿に向かいました。



9 細久手(ほそくて)宿  
(岐阜県瑞浪市)
 



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①② 中山道49番目の宿場町。主要交通路や鉄道が南の土岐川沿いに移ったため、宿は過疎化の中でわずかに往時の姿をとどめています。






10 御嵩(みたけ)宿
(岐阜県可児郡御嵩町)





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①② 願興寺の門前町として発達した中山道制定当初からの宿場。


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③④ 願興寺  桃山期に民衆の一念発起で再興された本堂(国指定重文)も痛みがひどく、近々平成の大修理を予定していると、檀家の掃除の女性が話してくれました。



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⑤ 国道わきの空き地に 「すげ笠の 生国名のれ ほととぎす」正岡子規の句碑。
 句は「かけはしの記」で詠んでいます。
 




11 太田宿
(岐阜県美濃加茂市)
 



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①②③ 中山道69次の51番目の宿場、美濃十六宿の中央にある太田宿。太田宿には、中山道三大難所の一つに数えられた「太田の渡し」があり、尾張藩の代官所もあったことから、政治・経済・文化の中心地として栄えました。現在も古い町並みや枡形などが残り、宿場情緒を楽しめます
④ 「太田の渡し」付近の木曽川
 



12 パジェロ製造
(岐阜県加茂郡坂祝町)




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①② かつて三菱自動車のモータースポーツ活動で「パリダカ」で名をはせたパジェロが、美濃加茂市と鵜沼の間の坂祝町にあるパジェロ製造で作られています。デリカD5 アウトランダーもここで製造されています。
 




13 鵜沼宿
(岐阜県各務原市)



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①② 鵜沼宿は、江戸・日本橋から52番目の中山道の宿場。東西に広がる宿場町で、街道の南には当時の面影を残す古い町並みが残っています。



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③ 中でも本陣の正面に立つ「菊川酒造」は、本蔵と豆蔵が登録有形文化財に指定されている立派な現役造り酒屋です。