2017年JAF全日本ダートトライアル選手権第1戦
「DIRT-TRIAL in NASU」
大会のひとコマと旅の途中
その2 大会決勝前日まで
1 浅草
① 浅草寺雷門。行きがけの駄賃に浅草寺にお参り。「家内安全」の護摩修行。
② 1.2km先、スカイツリーが目の前。
③ 平日なのに仲見世は混雑。海外からの観光客か、日本語より英語、中国語、韓国語が聞こえます。
④ 宝蔵門
⑤⑥ 宝蔵門をくぐり、本堂の手前には、線香の煙がたちこめる「常香炉(じょうこうろ)」があります。常香炉は、お参りの前に身を清めるための仏具です。自分の悪いところを取り除く、というとから転じて、病気が治るという意味合いになっているようです
⑦ 本堂の中。
2 足利銀行黒羽支店
① 足利銀行黒羽支店 明治時代に立てられた2階建て土蔵造りは今でも現役。「え!? これが銀行?」およそ銀行らしからぬ建物。
3 黒羽町 芭蕉句碑・ゆかりの地めぐり
①② 松尾芭蕉は元録2年(1689年)江戸・深川を出発して、栃木県には20間250kmを旅しました。特に太田原市黒羽町は松尾芭蕉が奥の細道の道中、14日間と最も長く逗留した地。
③ 芭蕉の館。芭蕉に関わる資料が展示されていますが、時間の都合で館内には入りませんでした。
④⑤ 芭蕉の館の前庭にある芭蕉と曽良の旅姿の像。普段は徒歩ですが、この地では馬を借りたとのこと。
⑥馬を借りるとき読んだ句が「野を横に 馬ひきむけよ ほととぎす」(常念寺) 石が風化して、句はほぼ読めませんでした。
⑦ 常念寺
⑧ 「田や麦や 中にも夏の ほととぎす」(黒羽城址・芭蕉の道)
⑨ 黒羽城址
⑩ 「山も庭も動き入るや夏座敷」(浄法寺桃雪邸跡)
⑪ 旧浄法寺邸
⑫⑬ 「夏山に 足駄を拝む 首途哉(かどでかな)」(修験光明寺跡)
⑭ 修験光明寺跡はほんとにやぶの中だったので、この案内矢印がなかったら見逃すところでした。
⑮ 「今日も又朝日を拝む石の上」(明王寺)
⑯ 明王寺
4 遊行柳(ゆぎょうやなぎ)(栃木県那須町芦野)
①②③ 西行法師、松尾芭蕉、与謝野蕪村と3人の歌人が訪れた有名な歌枕(和歌の題材とされた日本の名所旧跡)の地です。現在でも美しい田圃の中に遊行柳は静かに立っていますが、小生が訪れた3月のお彼岸は緑の出る前でした。柳の芽が吹くころにもう一度行き、西行、芭蕉、蕪村が愛でた風景を味わってみたくなりました。
この柳の傍らに芭蕉、西行、蕪村の歌碑・句碑が建てられています。西行は今をさかのぼる800年前に遊行柳に行っています。芭蕉は西行の500年後に行っています。今から328年前のことです。蕪村は芭蕉の55年後に行きました。
④ 「田一枚 植えて立ち去る 柳かな」 芭蕉 字がかすれて読めませんでした。
⑤ 「道のべに 清水流るる 柳かげしばしとてこそ 立ちどまりつれ」 西行
⑥ 「柳散 清水涸 石処々」(やなぎちりしみずかれいしところどころ) 蕪村
字がかすれて読めませんでした。
5 那須温泉・鹿の湯
①②③ 3月18日(公開練習)の朝会場入り前に、ふと風呂浴びに鹿の湯に行ってきました。
那須温泉は芭蕉が「奥の細道」の旅の前半に立ち寄った温泉でもあります。鹿の湯に入ったかは定かではありません。
④⑤ 湯船は6つに仕切られて、それぞれ湯温が異なり、41、42、43、44、46、48度と上がっていきます。写真は43度の湯船で、44度の湯船までは堪えられましたが、46度、48度の湯船はパスしました。
⑥ 鹿の湯から続く石畳の元湯通りの中ほどに「芭蕉の宿泊地」がありました。芭蕉はここで2泊。にもちろん看板だけで建屋はありません。
芭蕉は黒羽で13泊、那須温泉で2泊した後に、芦野の遊行柳に足を運び、白河に抜けました。
6 那須温泉 那須温泉神社
① 大鳥居 ② 拝殿
温泉に関わる、あるいは温泉を祀る神社。日本各地の主に温泉地にあります。「温泉」は「ゆぜん」とも「おんせん」とも読みます。那須与一が屋島の合戦出陣前に那須温泉神社に戦勝祈願を行い、また帰国したおりにもお礼として弓を奉納したと言われており、最近若者に「パワースポット」として人気のある場所だそうです。
①② 元禄2年(1689年)4月芭蕉は奥の細道をたどる途中殺生石見物を思い立ち、まず温泉神社に参拝しました。その時読んだ句が「湯をむすぶ 誓いも同じ岩清水」。拝殿手前にその句碑がありました。
7 殺生石(せっしょうせき)
①② 付近一帯には硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスがたえず噴出しており、「鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られています。
③④ 殺生石の手前には「賽の河原」といわれる草木も生えぬ荒涼とした風景が広がり、岩の間からは鼻を付く硫黄の臭いが漂ってきます。
⑤ 芭蕉は那須温泉神社を参拝した後、殺生石に立ち寄っており、「石の香や 夏草赤く 露あつく」の句を残しています。
緑の草も赤く枯れ、芭蕉も殺伐とした光景の中に無常を感じているような気がします
⑥ 千体地蔵
賽の河原を静かに見つめる千体地蔵。
お地蔵さんに小さな小石が沢山積まれています。三途の河原は「賽の河原」(さいのかわら)と呼ばれます。賽の河原は、親に先立って亡くなった子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされます。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石で塔を完成させると供養になると言います。