2017CMSC岩手スノーフェスティバル


大会のひとコマと旅の途中

その3 大会翌日 盛岡散策


CMSC岩手スノーイベントが終わって、急ぐ旅ではないので延泊して翌日1月23日()盛岡市内を散策することにしました。
 


1 日本百名城 盛岡城
 


イメージ 1

① 盛岡城は江戸時代の盛岡藩主南部氏の居城。天守閣をはじめほとんどの建造物は明治の初期に解体され、現在は石垣を残すのみで、「盛岡城跡公園」となっています。



イメージ 2

② 城跡公園案内図。石垣以外に城の建造物がないので、どう回ればいいのか?とりあえず三の丸から二の丸を通り本丸跡に行くことにしました。



イメージ 3
イメージ 4

③ 三の丸跡。この先右手の道が二の丸跡、本丸跡と続きます。
④ 三の丸は石垣の修理工事中。




イメージ 5イメージ 6

⑤ 二の丸から本丸に向かう道。
⑥ かしわの木。柏餅をくるむ柏の葉が黄色く枯れて落ちずに残っていました。



イメージ 7
イメージ 8

⑦ 本丸跡。
⑧ 本丸跡に日露戦争で戦死した南部藩主42代目の南部利祥中尉の騎馬像台座があります。銅像本体は1944年(昭和19年)に軍需資材として撤去され、現在は台座のみが残されています。


イメージ 9
イメージ 10

⑨⑩ 二の丸跡には石川啄木の歌碑「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」があります。盛岡に生まれた啄木が学んだ中学校がすぐ近くにあり、啄木は,ときおり教室から逃げ出し,ここで文学の夢を結びました。



イメージ 11

⑪ 三の丸から見た二の丸東側石垣。石垣下の道は二の丸と本丸の間にある空堀に続きます。


イメージ 12
イメージ 13

⑫⑬ 二の丸の下にある多目的広場は絶好の雪遊び場。小学校低学年の体育の授業のようでした。
 

2 石川啄木新婚の家(盛岡市中央通り3丁目)
 


イメージ 14
イメージ 15

イメージ 16
イメージ 17

①②③④ 啄木が明治38年20歳新婚のとき、妻、両親と妹と共に3週間暮らした家。南部武家屋敷の質素な家を当時のままに保存。中学時代からの友人だった節子との結婚式を、この家で行うことになっていたのに、啄木は当日姿を見せなかった。たとえ花婿がいなくても結婚式がおこなわれたというのだから、さらに驚き。

イメージ 18
イメージ 19

⑤ 啄木が新婚生活を送った部屋。4畳半。

⑥ 玄関から啄木の部屋(一番奥)」を望む。




イメージ 20

            ⑦ 市内あちこちには啄木の歌碑が多く残されています。
 


3 いーはとーぶアベニュー材木町
 

地元出身の詩人、宮沢賢治の世界を再現した商店街。啄木新婚の家からほど近く、盛岡駅から徒歩10分旭橋を渡った左側。350mほどの材木町商店街には賢治童話のファンタジックな世界を味わえるモニュメントが通りのあちこちに置かれています。



イメージ 21
イメージ 22

① 石座モニュメント 石の採掘場で休む賢治を描いた彫刻。
② 音座モニュメント チェロのオブジェから賢治の作曲した『星めぐりの歌』が聞こえる。
このほかにも夜になると淡い灯が点滅する銀河系をイメージした「星座」、賢治あこがれのシルクロードがモチーフの「絹座」、賢治の設計した花壇をイメージした「花座」、そして賢治が詠んだ短歌を記した陶板を設けた「詩座」があります。どのモニュメントからも、自然の小さな生命を語り、また慈しんだ賢治のメッセージが伝わってきます。


イメージ 23
イメージ 24

③ 石座・宮沢賢治のブロンズ像の斜め向かい、賢治の初めての童話集「注文の多い料理店」はここ、「光原社」で出版されました。現在の光原社は同じ名前の民芸品店になっています

 現光原社の奥には1924年の光原社が再現。




イメージ 25
イメージ 26

⑤⑥ 賢治の白壁
 



4 もりおか啄木・賢治青春館(旧第九十銀行 盛岡市中ノ橋通1丁目)
 


イメージ 27

① 「もりおか啄木・賢治青春館」は明治43年に竣工した旧第九十銀行を保存活用して石川啄木と、宮沢賢治が青春を育んだ盛岡の街と二人の青春時代を紹介しています。


イメージ 28
イメージ 29

イメージ 30

②③④ 1階常設展示室。二人の歴史を細かに紹介。啄木は賢治より10歳年上でした。
2階展示ホールでは「あなた啄木派?賢治派?」という企画展が行われていて、市民のアンケート結果を公開していました。どちらかというと賢治派が多いようでしたが、なんとなくわかります。
 



5 そのほか市内文化財・歴史的建造物
 


イメージ 31
イメージ 32

①② 旧岩手銀行本店本館。設計は東京駅と同じ設計者の辰野金吾。赤レンガと白い花崗岩の帯が美しい。



イメージ 33

③ 旧岩手銀行本店本館の隣では、現在の岩手銀行中ノ橋支店が営業中。




イメージ 34
イメージ 35

④⑤ ござ九(ござく 盛岡市紺屋町)。江戸後期から明治にかけて燈明用の燈心売や藁工品などを扱った商家。城壁と貼り瓦、格子戸の低い軒が続く建物は豪商の面影を今に伝えています。


イメージ 36

⑥ 紺屋町番屋 大正2年に盛岡消防団第5分団の詰め所。大正期の洋風建築の典型。消防、自警団の役割をしていた。後ろは火の見櫓。


イメージ 37
イメージ 38

⑦⑧ 石割桜。盛岡地方裁判所敷地内に、巨大な花崗岩の割れ目からエドヒガンザクラがたくましく伸びています。推定樹齢360年以上。



イメージ 39
イメージ 40

⑨ 上の橋擬宝珠。盛岡城の東側を流れる中津川に架る上の橋には、江戸時代初期の慶長年間に造られた青銅の擬宝珠が18個取り付けられています。
⑩ 上の橋の下の中津川に白鳥の姿。