2015年JAFカップオールジャパンダートトライアル
大会のひとコマと旅の途中 その1
1 行きの広島まで


①今回も交通費節約の為、10月29日(木)夜8時、新宿から夜行バスで一路広島に向かいました。
②途中ほぼ2時間ごとにサービスエリア(SA)に立ち寄り、計5回レストコントロール。


③広島駅前には明けて30日(金)朝9時到着。ほぼ寝たきりでしたが合計13時間の長旅でした。たっぷり睡眠が取れるので、朝到着したら昼間そのまま動けるのが夜行バスのメリット。
④広島駅前にある郵便局(広島東郵便局)は24時間営業なので、同じく24時間営業のコンビニとコラボレーションが2003年の郵政民営化で誕生。入り口を入ると正面にATM、左に郵便局、右にローソンでした。
2 広島市内めぐり その1 原爆ドーム


①広島市内に足を踏み入れたので、まずは世界遺産・原爆ドームに今年2回目のお参りに行きました。
②「お参り」とは、神様仏様に日頃の感謝の気持ちをお伝えするとともに、様々な願いごとをお祈りすることですが、戦争のむごたらしさを今も伝える悲惨な姿の原爆ドームを前にして、人類の平和を祈らざるを得ません。


③④原爆ドームは大正4年(1915)建築の元広島県産業奨励館。被爆当時から残る数少ない建物のひとつであり、核兵器廃絶と人類の平和を求める誓いのシンボルとして世界遺産にも登録されています。


⑤原爆ドームから少し東へ200mほど入った通りの、島外科内科病院の脇に「爆心地」の説明板があります。
実はここが本当の「爆心地」で、まさにこの上空600メートルで1945年8月6日8時15分に原子爆弾が炸裂した訳です。
⑥原爆ドームの道を挟んですぐ東隣に見える西蓮寺の被爆地蔵尊です。気づかずに通り過ぎていく人々も結構いました。原爆の熱線がほぼ真上からきたことからお地蔵さんの影となった部分の台座(石)はなめらかで、影にならなかった部分はざらついています。原爆の悲惨さを痛感します。
3 広島市内めぐり その2 広島城


① 原爆ドームから北に1km、15分ほどぶらぶら歩くと広島城。戦国時代の武将・毛利元就の孫の毛利輝元が築城。原爆で全壊。1953年復元されました。
②毛利元就といえば「三矢教え(三本の矢)」の逸話。一本の矢は容易に折れるが、三本まとめてでは折れにくいことから、一族の結束を説いたという逸話です。現代の「三本の矢」は安倍首相のアベノミクス。❶大胆な金融政策❷機動的な財政政策❸民間投資を喚起する成長戦略。この3つを基本方針としており、安倍首相はそれを「三本の矢」と表現しています。


③広島城は別名「鯉城」。掘りには色とりどりの鯉が泳いでいました。
④広島城内に神社!廣島護国神社。元々は原爆ドーム近くの旧市民球場付近にありましたが、原爆で全壊したため戦後広島城内に移転されたと。護国神社は明治以降に国のために亡くなった人々を祀るために建てられた神社で、基本的には都道府県に一社ずつあります。護国神社がある場所は城跡が多いような気がします。


⑤城内二の丸、三の丸では10月24日(土)から11月8日(日)まで「広島城大菊花展」が開催中。
⑥秋の風物詩として市民や観光客の目を楽しませてきたイベントで、日本の秋の花を代表する菊の花約2000鉢が一堂に、広島城にお目見えしていました。
4 広島市内めぐり その3 縮景園


①広島城から東に1km、歩いて15分のところに「縮景園」があります。目と鼻の先は広島駅でありながら、醸し出される雰囲気は別世界。
②広島駅からは、広島一の繁華街を控えた「八丁堀」電停で白島線に乗り換えて2つ目の「縮景園前」。


③元和6年(1620)に、広島藩主・浅野長晟(ながあきら)により、別邸の庭園として作庭されました。中国の世界的な景勝地"西湖"を模してつくられたと伝えられています。
④園の中央に掘られた濯纓池(たくえいち)には大小の島が浮かび、巧妙に配置された渓谷、橋、四阿(あずまや)を回遊しながら楽しむことができることから、回遊式庭園とも称されています。これは、江戸時代の諸大名の大庭園に多く見られる形式です。

⑤池には鯉が泳いでいるのは当然ですが、なんと海水魚のボラやスズキやさらにはタイまで鯉と一緒に泳いでいたのにはびっくり。満潮時海の水が川をさかのぼり池に侵入する汽水(弱塩水)だからでした。
5 広島市内めぐり その4 広島拘置所


①広島城と縮景園の間には、広島県庁や広島合同庁舎や裁判所やらの官庁街になっていますが、異色なのが広島拘置所。
②その拘置所を囲む高い塀に江戸時代の城下町の景色の壁画が180mにわたって描かれています。広島城築城400年を記念して、広島拘置所がかつての広島城郭内武家屋敷の場所であったことにもよるの。拘置所という、普通だとちょっと敬遠する施設に潤いを与えるとして、地元でもけっこう話題になっています。
※拘置所は警察の取調べが終わり、検察庁が起訴した人を入れているところであり、また、判決で刑が確定して刑務所へ移送される間に入るところです。刑務所は刑が確定している人が更生のために労働や教育を施されるところです。ちなみに、死刑囚は死刑をもって刑の確定なので刑務所ではなく、拘置所に収容されています。
6 広島市内めぐり その5 旧日本銀行広島支店


①旧日本銀行広島支店は原爆ドームから南東に直線で1km弱。両サイドの高いビルに挟まれた昭和建築の3階建ての古ぼけたビルが広電袋町電停前にあります。数少なくなってしまった原爆の被爆建物のひとつ。原爆ドームとは違った被爆の生きた証。被爆にも耐えた頑丈な建物と言えます。
②1階のホール(銀行のカウンター内)。高~い天井が 当時の建築の特徴を表しています。今はしばしば絵画の展示会や音楽イベントが行われています。


③1階の銀行営業窓口も残されています。
④地下の金庫室にも自由に入れ、金庫の分厚い扉は見る価値があります。


⑤⑥2階の支店長室。被爆前後の日本銀行広島支店の様子が説明されていました。爆風で飛び散った窓ガラスが突き刺さったままの個所や、傷ついた建具がそのまま見ることができます。


⑦地下1階では丁度金庫室を利用して、「広島平和記念資料館 収蔵資料展」が開催中でした。
⑧タイトル「死の川」 展示資料は写真ではなく、被爆者が書いた絵がエピソード・コメント付きで飾られていました。


⑨タイトル「水・水・水を・・・」 コメントを読むと当時の悲惨な様子がまざまざと伝わってきて、かえって絵を直視できませんでした。
⑩タイトル「小どもたちの死」

⑪タイトル「廣島が消えた日」
7 今宵の宿 ゲストハウス「carpe 広島己斐」


①今夜はJR西広島駅前のゲストハウス「carpe 広島己斐(カルペ ひろしま こい)」に投宿。駅を降りると目の前の水色の家が見えますが・・・道がない。
②道はぐるーっと回り道で、しかもわかりにくい路地の奥にありました。


③台湾から来た女性が道が分からず、一緒にチェックイン。「〽時の流れに身を任せ~」台湾出身、アジアの歌姫テレサ・テンを知らないなんて! でもそのはず、亡くなってもう20年になるのでした。
④部屋は2段ベッド×2の4人1部屋のドミトリー。1泊@2000円也。プロ野球広島カープファン御用達の宿だそうです。


⑤JR山陽本線西広島駅下り線ホーム
⑥まるごと「がんばれ!カープ号」の電車にびっくり。広島カープは昔は強かった時代もあったけれど、今年は4位でした。


⑦夜の食事はお好み焼き。全日本ジムカーナN3クラスで活躍の広島市内在住の金本辰也さんがお付き合いしてくれました。
⑧広島のお好み焼き「広島焼き」は広島の郷土料理。鉄板に小麦粉で作った生地を円形にのばし、その上にキャベツ・もやし・豚肉・焼きそば・卵などを重ねて焼いたもので、ソースなどをかけて食べます。関西風のお好み焼きは生地と具材を混ぜてから焼くのに対し、広島風ではまず生地をのばし、具を順にのせてへらで鉄板に押しつけながら焼く点に特徴があるとのことです。