「9月入学が騒がれてますけども」

早々にやっぱなーしってなると思ったら世論の雰囲気が危ない感じになってきたので続きを書こうと思った。

「小学0年生」なる誰かの思い付きとりあえず口に出してみましたレベルのものまでメディアが思いっきり煽り報道するもんだから、お茶の間からついったー村まで大混乱。

何かを変えようとするとき、思考が小さく収まってはいけない。

客観的にみればふざけてんのか?みたいな発想も、ブレインストーミング的な空間では必要。

偉い人達だっていきなり正解は出せないんだから、突拍子もないことを言うこともある。

情報出すときは慎重にやってください報道のみなさん。
てりたま(笑)
使命感をもって報道に取り組んでいる人達が、マジョリティになりますように。



なぜ9月入学の検討を偉い人達が進めているのか、目的がテレビやらネットニュースからはあまり伝わってこない。

相変わらず手段の話ばかりをしている。

Twitterの9月入学関係のタグを覗いてみたけど、まぁ大変なことになっている。

いま国民が大切にするべきは、情報を正確に受け取ること。

「事実」と「誰かの意見」を明確に分けること。

ゼロリスクの策なんかあるわけないんだから、目的と誰を救うのかに集中しよう。



この9月入学の話は、日本社会全体の話。
で、主役は学生と、これから学生になる人。



そもそも、だ。
コロナ起因で持ち上がったいつもの後手後手な話、何かウルトラスーパーな制度を考えて、未就学児から高校3年生(とその保護者)を一気に納得させて、来年からそれをスタートさせようということは今さら不可能。

いま大切なのは、今年度末という「期限がある」学生が「救われた」と感じる状況は何か、そして、彼らをどうやって救うのか。

「受験生がかわいそう」という言葉の本質を考えよう。
今の状況の「何が」かわいそうなのか。

学校の勉強がストップしているから?
学校によって対応が違って不公平だから?

そこは本当のかわいそうポイントではない。
本当に勉強をしたい子は、それぞれの環境の中で何らかの方法で今も勉強している。勉強の定義の話はしない。そもそも学校は不公平な存在。その話はまた今度。

本当にかわいそうなのは、
今までにない状況で、先輩たちみたいな受験勉強ができなくて、先輩たちみたいに入試が受けられないんじゃないか、で不安になってしまっていること。
あくまで「気持ち」の話、だ。

自分たちの受験はどうなってしまうんだろう
自分たちの人生はどうなってしまうんだろう

中には、なんでもいいから早く決めてくれ、と思っている学生も多いだろうと思う。

この「気持ちの問題」は、2つの問題を含んでいる。

1つは、学生が今の社会を信用できていないこと。

日頃、教員として中学生と向き合っていて、子どもたちが自分の能力を発揮するには「安心」という土壌が必要だと感じている。
安心できる場所だと感じているから、自分の考えを表現できたり、チャレンジしたりできる。
怒られるんじゃないかとか、馬鹿にされるんじゃないかとか、そう思ってしまう環境があるうちはダメ。

今の日本社会を学生という立場で体験していて、
「この素敵な国で働きたい」
そう思える学生は残念ながら育たないと思う。

もう1つは、いわゆる受験勉強を通過しないと人生ダメだみたいな勘違いをさせてしまっていること。

また前回も書いた話だけども、暗記ばっか傾向分析やったもん勝ち入試に全力を注いだところで、それで企業が欲しい人材は育たないし、選べもしない。

それらのことを踏まえて、
さっさと受験生に安心できる出口であり入口を示してあげる必要がある。
受験生のためにするべきは、時期を変えることではなく、入試の在り方を考え直すこと。

文科省が「こんな状況だから、今年度の学習はこの内容だけでいいよ」って示す。
同時に、「コロナ世代」という差別用語が生まれないように政治に全力を注ぐ。それを強烈に約束する。

各自治体や学校が、「社会に求められる力を見るために、入試を変えるよ」って伝える。
同時に、社会全体が報道の力も駆使してその方向転換を後押しする。

具体的なフォローをするために、教職員がしっかり各家庭と向き合う。

それだけの動きが学生や保護者に伝われば、「安心」できるんじゃないだろうか。

安らかな心は、生命を守り、育てることにつながる。

教科の勉強で得られるすべての知識や技能が、必ずしも社会で役に立つかといえばそうではない。
そのことを、ほとんどの大人は経験で知っている。
あくまでも公教育で大切なのは、勉強を通して育まれた資質・能力。

履修の考え方で、何時間勉強したかの考え方では、もういけない。大人の言い訳だ。

慌てて来年9月入学にして時間確保しましたよって、様々な混乱で、結局子どもたちの不安はなくならない。
教育行政は、そんなに単純な組織ではない。

文科省が現実的な基準を示して、残された時間で現場の教員が精一杯の努力をする。
学生が安心できる出口に向かっていけるように、学校が支える。


来年度の9月入学には、絶対に反対する。


大切なのは、子どもの気持ちに寄り添うこと。
教育の仕組みを変える目的は、そのすべてが、子どもたちのためになるか、という観点で考えられる必要がある。

公教育において、誰かを見捨てる発想は絶対にいけない。
未就学児からすべての学生、その誰かにしわ寄せがいく仕組みにしてはいけない。

進むべき先は、コロナ禍で環境の変化を迎えざるを得ない子どもたちに「大丈夫だよ」と伝えられる結論。


マスク2枚、スピード感をもって配れなかった国が、これだけ大きな舵取りをすることに、誰が安心できるだろうか。
手段の話をいくらしようとも、もはや子どもたちの信用と安心は得られない。

やってみて結果を検証するでは、今を生きている子どもたちが犠牲になる可能性を拭えない。

その舵取りは間違っている。

教育という、成果が目に見えない土俵での話。
目的と計画と、現場の準備と。
明確なビジョンをもったその上で実践する責任がある。





また受験生よりの話になってしまった。
教育を受ける権利の話と思っていたけど、まぁ世の中のトレンドに合わせたということにしよう。


自分にできることは、学校再開に向けて授業の準備と担任として子どもたちを迎え入れる準備。

頑張れ偉い人。

子どもたちの「安心」のために。