ファンキー加藤の『八王子からそのまんま東へ 』独占手記vol.2
へそ曲がりの真剣勝負
2006年1月25日。京王八王子駅の駅ビルの5階にあるタワーレコードに、僕たちのデビューシングル『そのまんま東へ』のCDが陳列されていた。僕たち三人は複雑に絡からみ合う様々な感情をかみしめながら、柱の影からその光景を眺めていた。まるでそこだけ時間が止まったかのように、ただただじっと眺めていた。
デビュー当時、よくライブをしていた八王子のライブハウスで
FUNKY MONKEY BABYSは2004年の元日に結成した。最初は毎日のように遊んでいたモン吉と二人で。後に、当時はアフロヘアーのDJケミカルが加わった。メンバー三人とも八王子生まれ。豊かな自然の中で育ってきた。
東京の西に位置する“八王子”という街は不思議な所で、市民に東京都民としての自覚はあまりないような気がする。都心部に出掛けることを「都内に行く」と言うのが良い例。それなのに23区内の人に「八王子って東京じゃないでしょ」と言われると、少しイラッとする(笑)。そしてとにかく郷土愛が強い。渋谷や六本木といったきらびやかな大都会に密ひそかな憧れを抱きつつ、同時に反発心もある。素直に認めてしまえば、吸引力のあるその大きな渦に簡単にのみ込まれてしまうからだ。だから誤解を恐れずに言えば、八王子は“へそ曲がりの異端児”が多く存在する街。
地元八王子のCDショップにてライブ
ご多分に漏れず、僕たち三人もなかなかの八王子人気質。そもそもが“ファンキー加藤”、“モン吉”、“DJケミカル”で“FUNKY MONKEY BABYS”というへんてこりんな名前だ。ヒップホップというスタイリッシュな音楽のジャンルで、このネーミングセンスはない。そして当時からケミカルは踊っていた。DJなのに。だからよく馬鹿にされ、笑われていた。
でも僕たちはこれで良いと思っていた。いや、これが良いと思っていた。お洒落しゃれな横文字のグループ名なんて、渋谷辺りに山ほどいる。西麻布界隈かいわいで石を投げればクールなDJに当たる。カリスマ性も歌唱力もビジュアルも中途半端な僕たちが、他のグループと同じことをやっていても勝ち目は薄い。馬鹿にされても、笑われても、まずはインパクトを残すこと。ただそれだけを考えて、必死に歌ってきた。
グループ結成から2年後。たくさんのご縁が実を結び、ついにメジャーデビューが決まった。ここからは異端なだけでは駄目。目立つだけでも駄目。日本の音楽業界の中で、群雄割拠のJ―POPシーンの中で、結果を出さなければいけない立場になった。つまり片田舎出身のへそ曲がり三人組が、東京のど真ん中で勝負をすることになったのだ。
そして冒頭の場面。地元のCDショップの柱の影から踏み出した一歩目。高揚感や期待感、そして少しの不安感を胸に、八王子の駅から京王線で“そのまんま東へ”。もう後には引けない僕たちの果てしない旅が始まった。(ファンキー加藤)
引用:http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/music/mnews/20130515-OYT8T00886.htm
2006年1月25日。京王八王子駅の駅ビルの5階にあるタワーレコードに、僕たちのデビューシングル『そのまんま東へ』のCDが陳列されていた。僕たち三人は複雑に絡からみ合う様々な感情をかみしめながら、柱の影からその光景を眺めていた。まるでそこだけ時間が止まったかのように、ただただじっと眺めていた。
デビュー当時、よくライブをしていた八王子のライブハウスで
FUNKY MONKEY BABYSは2004年の元日に結成した。最初は毎日のように遊んでいたモン吉と二人で。後に、当時はアフロヘアーのDJケミカルが加わった。メンバー三人とも八王子生まれ。豊かな自然の中で育ってきた。
東京の西に位置する“八王子”という街は不思議な所で、市民に東京都民としての自覚はあまりないような気がする。都心部に出掛けることを「都内に行く」と言うのが良い例。それなのに23区内の人に「八王子って東京じゃないでしょ」と言われると、少しイラッとする(笑)。そしてとにかく郷土愛が強い。渋谷や六本木といったきらびやかな大都会に密ひそかな憧れを抱きつつ、同時に反発心もある。素直に認めてしまえば、吸引力のあるその大きな渦に簡単にのみ込まれてしまうからだ。だから誤解を恐れずに言えば、八王子は“へそ曲がりの異端児”が多く存在する街。
地元八王子のCDショップにてライブ
ご多分に漏れず、僕たち三人もなかなかの八王子人気質。そもそもが“ファンキー加藤”、“モン吉”、“DJケミカル”で“FUNKY MONKEY BABYS”というへんてこりんな名前だ。ヒップホップというスタイリッシュな音楽のジャンルで、このネーミングセンスはない。そして当時からケミカルは踊っていた。DJなのに。だからよく馬鹿にされ、笑われていた。
でも僕たちはこれで良いと思っていた。いや、これが良いと思っていた。お洒落しゃれな横文字のグループ名なんて、渋谷辺りに山ほどいる。西麻布界隈かいわいで石を投げればクールなDJに当たる。カリスマ性も歌唱力もビジュアルも中途半端な僕たちが、他のグループと同じことをやっていても勝ち目は薄い。馬鹿にされても、笑われても、まずはインパクトを残すこと。ただそれだけを考えて、必死に歌ってきた。
グループ結成から2年後。たくさんのご縁が実を結び、ついにメジャーデビューが決まった。ここからは異端なだけでは駄目。目立つだけでも駄目。日本の音楽業界の中で、群雄割拠のJ―POPシーンの中で、結果を出さなければいけない立場になった。つまり片田舎出身のへそ曲がり三人組が、東京のど真ん中で勝負をすることになったのだ。
そして冒頭の場面。地元のCDショップの柱の影から踏み出した一歩目。高揚感や期待感、そして少しの不安感を胸に、八王子の駅から京王線で“そのまんま東へ”。もう後には引けない僕たちの果てしない旅が始まった。(ファンキー加藤)
引用:http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/music/mnews/20130515-OYT8T00886.htm