「知ってる?今度Jリーグってのが始まるんだ」
中学一年生の終わり頃だったと思う。
それまでスポーツ観戦と言えば野球だけだった僕らの生活が一変した。
「マラドーナ来る?」
「マラドーナは来ないよ。でもジーコは来るんだよ」
僕らははっきり言ってサッカーなんてほとんど知らなかった。
野球少年だったし、その頃も当たり前のように巨人ファンだった。
「ワールドカップで得点王になったリネカーだってくるんだぜ」
得点王。
なんか凄い。かっこいい。
「リネカーのチーム。絶対に強いぜ」
そうやって好きになった。
ただそれだけだった。
しかし、得点王は期待通りの働きをせず、初めての試合は神様ジーコと、Jリーグ元年の象徴とも言えるアルシンド2人の5得点であっさり敗れた。
それからも、僕が好きになった赤いチームは全くと言っていいほど勝てない。
リネカーが好きだというと友達には「あの給料泥棒」と揶揄され、ヴェルディやマリノス、アントラーズは遠い彼方。
それでも僕は夢を見ていた。
好きになったお荷物球団がいつか強いチームになることを。
1994年。
1人の選手がそのチームに入団した。
彼は「僕をドラゴンと呼んでください」と言った。
ドラゴン。
格好いいじゃないか。
でも僕らは世界でも名前の売れた選手だからと言って、活躍できるとは限らないことを痛いほど知っていた。
そうして彼のデビュー戦。
忘れもしないサンフレッチェ広島戦。
前半始まって間もない時間、あっという間の退場劇。
やっぱり。
やっぱりだめなのか。
ドラゴンなんてのは口ばっかなのか。
しかし、その1ヶ月後。
これもまた忘れられない試合。
雨のジェフ市原戦。
ドラゴンは大きく姿を変えた。
その日フィールドで舞う姿にもはや荒々しいドラゴンの面影はなく、そこにいたのはたった1匹の華麗な妖精。
背番号8を付けた妖精はその日確かにサポーターに魔法をかけた。
もしかしたら、チームが生まれ変わるかもしれないと思わせる魔法を。
翌年メガネをかけたインテリ風の指揮官がその魔法をさらに加速させる。
妖精は舞い続ける。10という数字は彼のためにあった。
「サッカーってこんなに美しいんだよ、みんな見てるか?一緒に楽しもう」
と語りかけるようなそのプレー。
ピクシーアレ。ピクシーアレ。
そうして、サポーターが待ち望んでいた歓喜の瞬間が訪れる。
1996年1月1日。
そこでも妖精は高らかに舞った。
そして、天皇杯を天高く掲げる姿に僕らサポーターはいつまでも涙を流し続けた。
その後、妖精はもう一度2000年の元旦に天皇杯を掲げる。
しかし、いつまでもいつまでも遠いものがあった。
それはリーグ優勝という栄光。
リーグ優勝だけはいつまでも叶わなかった。
叶わないまま妖精は去った。
その後もたくさんの選手が来て、そして去った。
去った選手の中にはその無回転のフリーキックとビッグマウスで一躍時の人となったあの選手もいた。
しかしチームは万年中位。
不名誉なレッテルに反論するたび、実際中位になるチームにサポーターたちは何度も悔しい思いをし続けた。
2008年。
チームに大きな転機が訪れる。
妖精が再び名古屋に舞い降りた。
「ピクシーがやるといったらやる」
もうドラゴンなんて言葉は必要なかった。
全てのサポーターがピクシーの帰還を待ち望んでいた。
誰もが知っていた。長年の溜飲を下げてくれるのはこの男しかいない。
やっと妖精が僕らの夢を叶えに帰ってきたと。
さぁ、もう一度僕らに魔法をかけてくれ、ピクシー。
他会場で2位の鹿島が神戸と引き分けた。
その一報は今にもグランドに飛び出しそうなピクシーにも届けられた。
ちょっとおどけたような表情。
あぁ、僕らが見たかったのはこのピクシーだ。
シュートを外しておどけるピクシー。
キーパーをあざ笑うかのようにドリブルで抜き去った後のおどけたピクシー。
そうか。
ピクシーはまた魔法をかけに来たんじゃない。
ずっとずっとかけていてくれたんだ。
日本にまた戻ってくると約束して、その通りに戻ってきてくれたピクシー。
サッカーの楽しさを教えてくれたピクシー。
楢崎が大きく蹴りだした球が落ちてくる前に、僕らが18年間待ち続けたホイッスルが鳴った。
歓喜の瞬間に、涙をこらえる必要などないじゃないか。
これはピクシーが仲間と創った壮大な壮大な物語。
僕達はその一部に過ぎない。
いつだってハッピーエンドに涙はつきものだ。
最愛のチーム「名古屋グランパス」がついにリーグ優勝を果たした。
僕らの大好きなピクシーがそれを現実にした。
もう夢じゃない。
お荷物球団。
万年中位。
そんなのも今なら笑い飛ばそう。
ありがとうピクシー。
日本に来てくれて本当にありがとう。
でもピクシーが見せてくれる夢にはまだ続きがありそうだ。
僕らサポーターにかかった魔法はまだ解けない。
中学一年生の終わり頃だったと思う。
それまでスポーツ観戦と言えば野球だけだった僕らの生活が一変した。
「マラドーナ来る?」
「マラドーナは来ないよ。でもジーコは来るんだよ」
僕らははっきり言ってサッカーなんてほとんど知らなかった。
野球少年だったし、その頃も当たり前のように巨人ファンだった。
「ワールドカップで得点王になったリネカーだってくるんだぜ」
得点王。
なんか凄い。かっこいい。
「リネカーのチーム。絶対に強いぜ」
そうやって好きになった。
ただそれだけだった。
しかし、得点王は期待通りの働きをせず、初めての試合は神様ジーコと、Jリーグ元年の象徴とも言えるアルシンド2人の5得点であっさり敗れた。
それからも、僕が好きになった赤いチームは全くと言っていいほど勝てない。
リネカーが好きだというと友達には「あの給料泥棒」と揶揄され、ヴェルディやマリノス、アントラーズは遠い彼方。
それでも僕は夢を見ていた。
好きになったお荷物球団がいつか強いチームになることを。
1994年。
1人の選手がそのチームに入団した。
彼は「僕をドラゴンと呼んでください」と言った。
ドラゴン。
格好いいじゃないか。
でも僕らは世界でも名前の売れた選手だからと言って、活躍できるとは限らないことを痛いほど知っていた。
そうして彼のデビュー戦。
忘れもしないサンフレッチェ広島戦。
前半始まって間もない時間、あっという間の退場劇。
やっぱり。
やっぱりだめなのか。
ドラゴンなんてのは口ばっかなのか。
しかし、その1ヶ月後。
これもまた忘れられない試合。
雨のジェフ市原戦。
ドラゴンは大きく姿を変えた。
その日フィールドで舞う姿にもはや荒々しいドラゴンの面影はなく、そこにいたのはたった1匹の華麗な妖精。
背番号8を付けた妖精はその日確かにサポーターに魔法をかけた。
もしかしたら、チームが生まれ変わるかもしれないと思わせる魔法を。
翌年メガネをかけたインテリ風の指揮官がその魔法をさらに加速させる。
妖精は舞い続ける。10という数字は彼のためにあった。
「サッカーってこんなに美しいんだよ、みんな見てるか?一緒に楽しもう」
と語りかけるようなそのプレー。
ピクシーアレ。ピクシーアレ。
そうして、サポーターが待ち望んでいた歓喜の瞬間が訪れる。
1996年1月1日。
そこでも妖精は高らかに舞った。
そして、天皇杯を天高く掲げる姿に僕らサポーターはいつまでも涙を流し続けた。
その後、妖精はもう一度2000年の元旦に天皇杯を掲げる。
しかし、いつまでもいつまでも遠いものがあった。
それはリーグ優勝という栄光。
リーグ優勝だけはいつまでも叶わなかった。
叶わないまま妖精は去った。
その後もたくさんの選手が来て、そして去った。
去った選手の中にはその無回転のフリーキックとビッグマウスで一躍時の人となったあの選手もいた。
しかしチームは万年中位。
不名誉なレッテルに反論するたび、実際中位になるチームにサポーターたちは何度も悔しい思いをし続けた。
2008年。
チームに大きな転機が訪れる。
妖精が再び名古屋に舞い降りた。
「ピクシーがやるといったらやる」
もうドラゴンなんて言葉は必要なかった。
全てのサポーターがピクシーの帰還を待ち望んでいた。
誰もが知っていた。長年の溜飲を下げてくれるのはこの男しかいない。
やっと妖精が僕らの夢を叶えに帰ってきたと。
さぁ、もう一度僕らに魔法をかけてくれ、ピクシー。
他会場で2位の鹿島が神戸と引き分けた。
その一報は今にもグランドに飛び出しそうなピクシーにも届けられた。
ちょっとおどけたような表情。
あぁ、僕らが見たかったのはこのピクシーだ。
シュートを外しておどけるピクシー。
キーパーをあざ笑うかのようにドリブルで抜き去った後のおどけたピクシー。
そうか。
ピクシーはまた魔法をかけに来たんじゃない。
ずっとずっとかけていてくれたんだ。
日本にまた戻ってくると約束して、その通りに戻ってきてくれたピクシー。
サッカーの楽しさを教えてくれたピクシー。
楢崎が大きく蹴りだした球が落ちてくる前に、僕らが18年間待ち続けたホイッスルが鳴った。
歓喜の瞬間に、涙をこらえる必要などないじゃないか。
これはピクシーが仲間と創った壮大な壮大な物語。
僕達はその一部に過ぎない。
いつだってハッピーエンドに涙はつきものだ。
最愛のチーム「名古屋グランパス」がついにリーグ優勝を果たした。
僕らの大好きなピクシーがそれを現実にした。
もう夢じゃない。
お荷物球団。
万年中位。
そんなのも今なら笑い飛ばそう。
ありがとうピクシー。
日本に来てくれて本当にありがとう。
でもピクシーが見せてくれる夢にはまだ続きがありそうだ。
僕らサポーターにかかった魔法はまだ解けない。