人口約2万2千人の旧渥美町(2005年当時、今は合併して約6万1千人の田原市になりました)から東京の大学に進学して、新宿区内で1人暮らしを始めてから約13年間東京にお世話になりました。人生の約5分の2は東京にいたので、東京と地元のどちらの生活もそれなりに経験してきています。
東京にはヒト・モノ・カネが狭いスペースに集まっており、とても刺激的な環境が整っております。
私は18歳の時、東京の真ん中へ飛び込んで学生生活を始めました。淋しい思いの中、持ち合わせの行動力で大学のゼミやサークル、バイト等で友人を作って居場所を築いていきました。大学2年の時に大学から徒歩10分以内の所に引っ越してからは、暇な時には大学の図書館で興味のある本を片っ端から手に取って読みふける生活を送っていました。バイトに行くために電車に乗る以外は家と学校の周辺のみで生活をしていた時期もありました。家はたまり場でした。家の周辺は学生が多く住む地域だったので、近くに住む1人暮らしの友人たちと近所の銭湯に行ったり大学の講堂前の広場で飲み明かしていました。あと時間を見つけては海外(主にアジア)へ旅立っていました。
就職して配属先が「東京」となり、事務所のある秋葉原、池袋、上野と山手線の上半分が働くフィールドとなりました。東京の都心、副都心で働く経験ができました。大手重電メーカーで経理を約2年半、営業を約5年半やりました。2つの職種を経験できたことは、私の中での財産ですし、異動を叶えてくださった当時の上司には感謝しています。営業では、茨城県に会社の工場や取引先が多くあったので最盛期には週3回ほど出張していました。茨城県は全国魅力度ランキングでは最下位のようですが、実際のところ観光資源に恵まれ、とても住みやすいポテンシャルのある地域です。
住居の方は品川、中目黒、そして千葉の市川とライフステージに合わせて転々としました。無事家庭を築くことができました。
大学に入って就職してそのまま地元に戻らず東京の方での生活を続ける選択肢もありましたが、心の中には常に故郷があり、生活の中心を地元に移す決意をしました。転職に踏み切りました。31歳の春のことです。
厳密に言うと、私が育ったのは田原ですので、今住んでいる豊橋は故郷ではありません。但し、東三河の中心都市であり、親族の多い豊橋に住むのが広義の意味で帰郷したと解釈して良いのかなと認識しています。(この場合UターンではなくJターンと呼ぶのかな)ちなみに私は豊橋の市民病院で1986年に生を受けました。豊橋の今の住居は、田原の実家にも片道1時間少々で帰れますし、職場のある名古屋駅前までも豊橋~名鉄名古屋間で片道約1時間と中間に位置する環境です。愛知県は都会と田舎が程よく存在する所が良い所だと思います。平日は名古屋と取引先のある西三河で働きながら休日は東三河を拠点として暮らす今の生活がいいとこどりでそれなりに満足しています。東京は鉄道網が発達しており、車は必要ないと考えていましたし、実際になくても不便に感じていませんでした。(あれば便利ですが)愛知は車がないと困ります!車社会です!というのが常識かもしれませんが、案外車を持たなくても生活できているのが実情です。勿論、あったら生活の幅は広がりますので、ゆくゆくは購入しますが。
とりとめのない文章をつらつらと書きましたが、人生は一度きりですので後悔のない生活を送りたいものです。私の場合は東京で出会った人の輪を大切にしながら、地元に根を張ってワイワイガヤガヤ生活していく所存です。