ニートと変な名前を付けられ、一塊にされ、社会悪であるかのように非難されている人たちも、大多数は、心の内では働かなくてはいけないと思っているはずだ。
一度は、将来に希望を持って、就職して仕事をしていたり、アルバイトをしていた人がほとんどだと思う。
では、なぜそうなってしっまたのか、考えてみた。
ライフスタイルの欧米化が定着し、個人主義的思考が強まり、生き方の多様化という変化に、社会環境が追いついていないように感じる。
つまり、個人主義的思考であるがゆえに、理想や希望をストレートに主張する。
しかし、それを受け止める国や会社などの組織は、保守的で、変化に対する反応が鈍く、ストレートな主張を受け止めるだけの度量が備わっていないように思う。
度量が備わっていないとは、急速な変化を嫌う多くの組織は、色々な主張をして現状を変えようとする者、つまり、”出る杭”を古い慣習に従って、盲目的に打ってしまうことなど、変化を受け入れる許容量が少ないことを意味する。
すなわち、ニートが増えるのは、ニートだけの問題として捉えるのは、間違えで、それを受け入れる側の組織は、時代の流れに合っているのか、検証してみる必要があると思う。
一方のみについて考えていても、何の問題解決にもならないと思う。
会社などの組織も、自身を見つめ直し、真剣にこの問題を考えなければならないと思う。
やる気のないやつら = ニートと深く考えもせずにレッテルを貼るような旧態依然の思考回路を断ち切らなくてはならない。
彼らには、間違えなくいろいろな可能性を秘めている。
また、この問題は、日本社会に変化を拒む体質が根付いていることを表してしるのではないだろうか。
関西大学とパソナグループが提携して、就職をサポートするようであるが、企業も含めて、変化に柔軟な組織についても議論したどうだろうか。