10キロのジョギング
夜ジョギングに出かけてきました。距離は10キロです。走り始める前は少し長いかなとも思いましたが、途中にまいばすけっとでアイスクリームを買って休憩したりしました。実際に走ってみると気持ちよく走ることができ、充実感のある時間になりました。
今日は台風が近づいているという予報の影響なのか、普段よりもやや風が強く感じられました。しかし、幸いなことに強い向かい風に苦しめられる場面はほとんどありませんでした。ジョギングをしていると、向かい風は体力を大きく消耗させることがありますが、今日はそうした不快感はなく、むしろ心地よさを感じる風でした。
走っている最中、風が体に当たるたびに熱を奪ってくれるような感覚がありました。まるで天然の冷却装置が働いているかのようで、汗をかいても不快感が少なく、非常に快適でした。暑さを和らげてくれる絶妙な強さの風で、強すぎず弱すぎず、本当に理想的な吹き方だったと思います。
これから本格的な夏に向かって気温はさらに上がっていくでしょうが、今日のような風が吹いてくれるのであれば、暑い時期のランニングも意外と乗り切れるのではないかという気持ちになりました。真夏の厳しい日差しの下ではもちろん注意が必要ですが、適度な風があるだけで体感温度は大きく変わるものだと改めて実感しました。
10キロを走り終えた後も、疲労感より達成感のほうが大きく、「今日も良い運動ができたな」という満足感に包まれました。自然の風を感じながら走ることができるのは、屋外でジョギングをする大きな魅力の一つだと思います。
ただ、その快適な風の背景には台風の接近があるのかもしれません。私自身はその恩恵を受ける形になりましたが、台風は地域によっては大雨や強風をもたらし、生活や交通機関に大きな影響を与えることがあります。今日感じた心地よい風が、どこかで被害につながるようなことはあってほしくありません。できることなら勢力が弱まり、大きな災害を起こすことなく通り過ぎてくれることを願うばかりです。
今日は10キロのジョギングを無事に終えることができ、爽やかな風にも恵まれました。体を優しく冷やしてくれる理想的な風の中で走れたことは、とても幸運だったと思います。この気持ちよさを思い出しながら、また次回のランニングにも励みたいと思います。
止まった時間と止まらない生活
腕時計が途中で止まってしまいました。なくなったわけではなく、電源が切れてしまったということです。つまり、バッテリーの充電が必要な状態になったということです。見た目には何の変化もなく腕に付いているのに、ただ時間だけが止まっている。その状態に気づいたとき、少し不思議な感覚になります。
昔の時計であれば、電池を入れれば1年や2年、あるいはそれ以上長持ちするものもありました。一度電池を交換すれば、しばらくは何も気にせずに使い続けることができたものです。それに比べると、今使っている時計はスマートフォンと同じように、定期的な充電が前提になっています。便利さと引き換えに、手間も増えているのだと実感します。
そのため、少し充電を忘れてしまうと、外出中に突然動かなくなってしまうことがあります。まさに「うんともすんとも言わない」状態です。もちろん時計が実際に音を発するわけではありませんが、それまで当たり前のように動いていたものが急に沈黙する感覚は、どこか頼りにしていたものを失ったような気持ちにさせます。
とはいえ、今の時代は腕時計がなくても困らない場面が増えています。スマートフォンを持っていれば、時間はいつでも確認できますし、アラームやタイマーといった機能も十分に備わっています。そう考えると、腕時計は必需品というよりは、ある種の「選択的な道具」になっているのかもしれません。
では、それでもなぜ腕時計を使い続けているのかといえば、主な理由はジョギングの際にタイムを測るためです。むしろ、それがほぼ唯一の目的と言ってもよいでしょう。走っている最中に、経過時間やペースを手元でさっと確認できるのは、やはり腕時計ならではの利点です。
もちろん、スマートフォンでも同じようなことはできます。距離や速度、消費カロリーなどを記録するアプリも充実しています。しかし、走りながらスマートフォンを取り出して確認するのは手間がかかりますし、安全面でもあまり望ましくありません。その点、腕時計であれば視線を少し落とすだけで必要な情報を確認できるため、運動との相性が非常に良いと感じます。
だからこそ、腕時計を使う価値は十分にあるのですが、問題はやはりバッテリーです。途中で充電が切れてしまえば、それまでの機能は一切使えなくなります。時間すら分からなくなるというのは、時計としては致命的です。どれだけ高機能であっても、電源が入っていなければ意味がないという点は、ある意味でとてもシンプルな事実です。
現在は、スマートフォン用の充電器のようなものを持ち歩き、外出先で充電することで対応しています。充電が切れてしまっても、しばらくすれば再び使えるようになるという安心感はあります。ただ、その場しのぎの対処であることも否めません。本来であれば、そうなる前に準備しておくべきだからです。
理想的なのは、やはり家にいるときに充電を済ませておくことです。家ではジョギングをするわけではないので、時計の機能を使う必要はほとんどありません。その時間を充電に充てるのが、最も合理的な使い方だと思います。しかし、それが分かっていても、つい忘れてしまうのが難しいところです。
結局のところ、問題は充電そのものではなく、「充電する習慣」をどう身につけるかという点にあります。数日に一度でよいとはいえ、そのタイミングを自分で管理し続けるのは意外と手間がかかります。気づいたときにはすでに遅く、外出先で電池切れに気づく、ということが繰り返されてしまいます。
次こそは、外出中に充電切れにならないようにしたいと思っています。例えば、スマートフォンを充電するタイミングと合わせる、あるいは帰宅後すぐに充電するなど、何らかのルールを決める必要があるのかもしれません。そうした小さな習慣の積み重ねが、結果的には大きなストレスの軽減につながるはずです。
果たしてうまくいくかどうかは分かりませんが、少なくとも今よりは少し意識してみようと思います。時計そのものは変わらなくても、使い方を変えることで、その価値は大きく変わるのかもしれません。
「痛み」なき帯状疱疹と、静かに忍び寄る「かゆみ」の正体
最近の私の体の状態について、少し詳しく記しておこうと思う。遡ること約二ヶ月前、私は「帯状疱疹」という病を発症した。
ネットでこの病名を検索してみると、まず目に飛び込んでくるのは「激痛」「夜も眠れないほどの苦しみ」といった恐ろしい体験談ばかりだ。しかし、私の場合は少し様子が違った。世間で言われるような、刺すような、あるいは焼けるような痛みは微塵も感じなかったのである。おかげで日常生活に支障をきたすこともなく、夜もしっかりと深い眠りにつくことができていた。周囲の凄惨な報告と照らし合わせれば、私は極めて幸運なケースだったと言えるだろう。
だが、この病は別の形で私に現実を突きつけてきた。診断の際、医師から告げられたのは、帯状疱疹は「加齢」に伴って発症する確率が非常に高いということだ。若い頃には縁遠かったこの病を得たということは、否応なしに自分が相応の歳を重ねたのだという事実を、突きつけられたに等しい。ある種、自分の「老い」を客観的に証明されたような、妙に冷めた心地がしたのを覚えている。
二ヶ月前の通院時、医師からは「帯状疱疹としての急性期の症状はすでに収まっている」との太鼓判を押された。通常、完治後も続く後遺症の多くは「痛み」として現れるらしい。私の場合、その痛みこそなかったものの、代わりに「湿疹が出ていた箇所が執拗にかゆい」という独特の症状が残った。
そのかゆみも、一度は落ち着いたかに見えた。処方された薬をしばらく服用していたが、特に大きな変化も後遺症も感じられなくなったため、ここ一ヶ月ほどは服用を中断していたのである。ところが、ここ数日になって、あの忘れかけていた「かゆみ」が再び鎌首をもたげてきた。
かゆいという本能は、当然ながら「掻く」という行為を誘発する。しかし、かゆみに任せて無意識に、あるいは思い切り掻きむしってしまえば、せっかく治りかけていた皮膚はボロボロになり、二次被害を招くのは目に見えている。そのため、指先で加減をしながら適当に刺激を与え、あとはじっと我慢するという、なんとももどかしい日々を送っている。
かつて処方されたあの薬を再び飲み始めれば、この再燃したかゆみも多少は緩和されるのだろうか。今のところはまだ、理性が勝っており、我慢できないほどではない。そのため、慌てて薬に頼るのではなく、もうしばらくは自分の体の声を聞きながら様子を見ていようと考えている。
今年初めての野球観戦
今年初めての野球観戦に行ってきました。昨年も3月7日にその年初めての野球観戦を東大球場でしていたのですが、今年も奇しくも同じ3月7日が、年初めての野球観戦となりました。偶然とはいえ、同じ日に球場に足を運ぶことになったのは少し面白いものです。
今回訪れたのは、東京都文京区にある 場東大球場です。カードは 東京大学野球部 対 松蔭大学硬式野球部。東京大学は 東京六大学野球連盟 に所属するチームで、松蔭大学は 神奈川大学野球連盟 に所属しています。リーグの違う大学同士の対戦ということで、いわゆるオープン戦のような位置づけの試合です。
松蔭大学の「松蔭」という名前は、幕末の思想家である 吉田松陰 に由来しているそうです。吉田松陰の教えをもとに教育方針が定められているということを、事前に調べていて知りました。また、学校法人の本部は神奈川県厚木市にあるとのことです。世田谷区に鎮座する松蔭神社を真っ先に連想してしまうと、その近辺にあるのではと思いがちですが、そうではありません、そのため、野球部も 神奈川大学野球連盟 に所属しているわけです。
私が球場に到着したのは4回ごろでした。すでに試合は中盤に差しかかっていました。結果を先に言えば、試合は松蔭大学が勝利しました。東京大学はランナーを出す場面はあるものの、なかなかホームへ返すことができず、得点につながらない展開が続きました。最終回になってようやく得点が入った、という流れでした。一方の松蔭大学は、序盤からのリードを保ったまま試合を進め、最終的にはそのまま逃げ切った形となりました。
松蔭大学の選手を見ると、出身高校が神奈川県の学校である選手が多いように感じました。大学の法人本部が神奈川県にあることも関係しているのかもしれません。個人的には、名前を聞いてなじみのある高校が多く、少し親しみを感じました。
一方、東京大学ですが、エラーがきっかけで失点につながる場面があり、それは少しもったいないように感じました。ただ、打撃では期待できそうな鋭い当たりもありましたし、ピッチャーもここぞと言う場面では相手打線をしっかり抑えていました。全体として、実りのある部分も多く見られた試合だったと思います。
これから春のシーズンが本格的に始まっていきます。今回の試合が、春季リーグ戦に向けての課題の発見や、チームの良い点を確認する機会になっていればよいと思いました。シーズンが始まったら、また機会を見つけて球場に足を運びたいと思います。⚾
ポイ活で競馬
ポイ活の一環として、今日は1時間ほど時間をかけました。より詳しく言うと、アンケートサイトにアクセスして、いくつかのアンケートに答えていました。最初は少しだけやるつもりだったのですが、気がつけばなんだかんだで1時間以上も時間が経っていました。
もともとの目的はポイントを獲得することでした。しかし実際にやっているうちに、ポイントを貯めるということよりも、アンケートに答えることそのものにだんだん夢中になってしまいました。質問の内容を読みながら、自分の考えや普段の生活を振り返るような感覚もあり、意外と面白く感じることもあります。そのため時間を忘れて続けてしまい、気づいたときには1時間以上が過ぎていた、というような感じでした。
アンケートに答えること自体に楽しさを感じていると、時間が経つのがとても早く感じられます。何かに集中しているときというのは、時計を見ない限り時間の感覚が薄れてしまうものだと思います。今回もまさにそんな感覚でした。
一方で、もしポイントだけを目的にして「この作業はいくらになるのだろう。1円なのか、2円なのか、それとも3円くらいなのか」といったことばかり考えながらやっていたとしたら、きっと同じ1時間でもとても長く感じたのではないかと思います。報酬の金額ばかりを意識してしまうと、作業そのものが単なる労働のように感じられてしまい、時間の進みも遅く感じるものです。
今回利用しているポイ活のサービスでは、ポイントを銀行口座に現金として振り込んでもらう仕組みを選ぶことができます。私はその方法を選んでいて、少しずつ貯まったポイントが現金として銀行口座に振り込まれるようにしています。もちろん金額としては微々たるものですが、それでも実際にお金として振り込まれると、ちょっとした楽しみになります。
ではそのお金を何に使うのかというと、実は競馬の投票に使っています。といっても、私は大金を賭けるタイプではありません。本当に100円単位で、ちょっとしたゲーム感覚で楽しむ程度です。少額で賭けて、それを長く続けていく。私にとっては、そのくらいの距離感で楽しむのがちょうどよいと思っています。
ポイ活で貯まったお金が銀行口座に振り込まれたら、それを元手にして競馬をします。そして競馬はというと、もちろんそう簡単に当たるものではありません。たまに当たることもありますが、多くの場合は外れてしまい、少しずつお金が減っていきます。
そして、いずれその元手のお金がなくなると、またポイ活でアンケートに答えてポイントを貯め、それを現金にして次の元手にする。そういう小さな循環のような流れができています。大きく儲けるわけではありませんが、自分なりの楽しみとして続けているという感じです。
ただ、アンケートに答えるという行為を少し違う角度から考えてみると、これは自分の個人的な情報をお金に変えているという側面もあります。言い方を少し厳しくすれば、個人情報を少しずつ切り売りしているとも言えるかもしれません。
個人情報というものは、本来とても大切なものです。私自身も、むやみに公開するべきではないと思っています。しかし現代社会においては、ある程度の個人情報を提供することは、ある意味で避けて通れないことでもあると感じています。
例えば、国や地方公共団体が住民の個人情報を把握することは、行政サービスを行う上で必要なことです。住民票や税金、社会保障などの制度は、個人の情報がきちんと管理されているからこそ成り立っています。そして、その情報が住民サービスの向上につながり、結果として自分自身の生活の便利さや安心につながるのであれば、ある程度の情報提供はやむを得ないものだと思います。
しかしその一方で、もしその情報が悪用されてしまうようなことがあれば、それは決して望ましいことではありません。例えば、知らない会社から大量のダイレクトメールが届いたり、広告のために住所録として利用されたりするようなことがあるとすれば、それは本来の目的とは違う使われ方だと言えるでしょう。
もちろん、こうした個人情報は適切に管理され、監督されているという前提があるからこそ、私たちも安心して提供しているわけです。ただ、その管理や監督が実際にどの程度まで行われているのかを、私たちが直接確認できるわけではありません。まるで透明なガラス越しに中を覗くように、完全に見える形で公開されているわけではないのです。
結局のところ、そこにはある種の「信用」が存在しています。企業や団体が適切に情報を扱ってくれるだろうという信用があるからこそ、私たちは自分の個人情報を提供することができるのだと思います。
ポイ活で得られる金額は決して大きなものではありません。しかし、アンケートに答えるという行為そのものの面白さがあり、そこから得られるわずかな報酬があります。そしてそのお金が、また別の小さな楽しみに変わっていきます。
競馬でそのお金が少しずつ減っていき、やがてなくなれば、またアンケートに答えてポイントを貯める。そうしてまた次の元手が生まれます。大きな利益が出るわけではありませんが、こうした小さな循環を繰り返しながら、自分なりのペースで楽しんでいく。それが、私にとってのポイ活との付き合い方なのだと思っています。
卒業式の想い出は薄い
卒業シーズンであるとはいっても、身近に卒業式に出席したという人はまったくいない。だから自分の生活の中では、特に「卒業の季節だ」という実感はあまり湧いてこない。
しかし、ネットでSNS、特にTikTokやInstagramを見ていると、卒業式のシーンが何度も何度も流れてくる。嫌でも「今は卒業シーズンなのだな」と実感させられてしまうのである。
今は高校の卒業式が真っ最中なのだろうか。大学は確か3月25日頃だったような気がする。高校は確か3月1日が卒業式だった。そんな記憶がある。卒業証明書か何かを見たとき、確か3月1日付で卒業と記載されていたように覚えている。
さて、その卒業式であるが、自分が高校のときの卒業式を振り返ってみると、ほとんど記憶がない。というか、淡々と終わったという印象しか残っていない。
今のように写真をSNSにアップする文化もなかったし、みんなで何かをするという雰囲気も特になかったように思う。式が終われば、そのまま淡々と帰宅した。そんな感じだった。
卒業式のあとにみんなで集まって何かをするということもなく、式が終わるとそのまま家に帰った気がする。確か卒業記念として、おまんじゅうのようなものをもらった。それを自分が全部食べてしまい、家に帰ってから「なんで一人で全部食べるんだ」と怒られた記憶がある。
自分にとって卒業式が特別なものにならなかったのは、大学進学の事情もあったと思う。自分は大学へ進学する予定ではあったが、志望していた大学には合格できず、浪人することが決まっていた。
実は合格していた大学もあったのだが、そこへ行くつもりはなく、とりあえず受けてしまったという感じだった。今考えると、ずいぶんお金の無駄遣いをしてしまったと思う。
そんな状況だったので、高校を卒業したという区切りは確かにあったものの、自分の気持ちの中では区切りがついていなかった。だから「卒業」という出来事に対して、あまり強い思い出が残らなかったのだろう。
卒業式が終わった時点で、すでに自分の身分は「浪人生」だった。そんな時間だったように思う。
こうして振り返ってみると、今の卒業式とはずいぶん違う気がする。
もし少し思い出をたどるとすれば、自分の高校時代の学級担任は、3年間ずっと同じ先生だった。その先生が卒業式のとき、少し涙ぐんでいたのを思い出す。普段はあまり泣くような先生ではないと思っていたので、少し驚いた記憶がある。男の先生だったが、今どうしているのだろうか。
年齢を考えると、今でも教員をしているということはさすがにないだろう。
特にお世話になった先生に挨拶をして卒業したわけでもなかったが、とにかく高校を卒業するという資格を与えてくれた大切な学校である。感謝しなければならないと思う。
その高校も、今では建物自体は残っているものの、学校としてはすでに存在していない。統合されてしまったからである。
3年ほど前に一度見に行ったことがあるが、どちらかというと廃墟のような、ひっそりとした状態だった。建物は残っているが、これからどのように利用されるのかもまだはっきりしていないようだった。それからまた3年ほどが過ぎている。これからどうなっていくのだろうか。
さて、卒業式の話に戻ると、先ほども書いた通り、自分自身は特に大きな感情の動きもなく、静かな気持ちで卒業式を迎えた。帰りも自転車で淡々と帰った記憶がある。
遠くから学校を眺めて、「もうここには来なくなるのか」と思ったような気もするが、それも今となってははっきりしない。
その程度に、自分にとって卒業式というものは印象の薄い出来事だったのだろう。
だからこそ、今SNSで見かける楽しそうな卒業式の様子を見ていると、少しうらやましい気持ちにもなる。
とにかく、今年卒業を迎えた皆さん、本当におめでとうございます。
季節は巡り、思い出は長野へ
この前の日曜日は、東京マラソンでボランティアをしました。世界中からランナーが集まる一大イベントで、沿道の応援も熱気にあふれています。私は参加者としてではなく支える側でしたが、スタート前の緊張感や、ゴール後の達成感に満ちた表情を間近で見ることができ、とても貴重な経験でした。走る人にもそれぞれの物語がありますが、それを支える側にもまた別の物語があるのだと感じました。
次の日曜日には、名古屋で大きなマラソン大会が開催されます。女子のエリートレースで、国内トップクラスの選手が集結します。この大会は、将来のロサンゼルスオリンピックに向けた代表選考にも関わる重要な位置づけになるはずです。たしか「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」という名称だったと思います。MGCという言葉を聞くと、日本のマラソン界が次のオリンピックに向けて動き出しているのだと実感します。ほんの数秒、あるいは数十秒の差が、数年に一度の大舞台への切符を左右するのですから、その重みは計り知れません。
例年、3月から4月にかけてがマラソンシーズンの終盤という印象です。寒すぎず、暑すぎず、記録を狙うには適した季節です。4月には毎年、長野マラソンが開催されます。長野の澄んだ空気の中を走る大会で、自然の景色も楽しめると聞きます。
長野といえば、私はしばらく訪れていません。最後に行ったのは、名古屋から中央本線の乗って松本あたりを通過し、長野駅を経由しました。そこから飯山線に乗り換え、さらに上越方面へ向かった記憶があります。ちょうど真冬で、車窓の外は一面の雪景色でした。新潟の豪雪地帯を走る列車の中で、静かに降り積もる雪を眺めながら、日本海側の冬の厳しさと美しさを同時に感じたことを覚えています。あれは2年ほど前だったでしょうか。時間の流れは早いものです。
長野は、私にとってどこか懐かしい場所でもあります。学生時代、合宿所が野尻湖の近くにあり、毎年夏になると必ず訪れていました。湖畔の朝の空気はひんやりとしていて、日中は日差しが強くても湿気が少なく、とても過ごしやすかった記憶があります。都会の暑さとはまったく違う、澄んだ夏でした。
野尻湖の最寄り駅は黒姫駅です。黒姫という名前は、近くにある黒姫山に由来しているのだと思いますが、地名が先なのか、山名が先なのか、その由来は詳しく知りません。駅に降り立つと、遠くに黒姫山の堂々とした姿が見えました。けれども不思議なことに、私は一度もその山に登ったことがありません。いつも「いつか登ろう」と思いながら、結局そのままになっています。
黒姫山と聞くと、私の頭にまず浮かぶのは山そのものよりも、元関脇の黒姫山という四股名です。おそらく同世代以上でなければ、この連想はあまり共有されないかもしれません。今の若い人たちにとっては、黒姫山といえば純粋に自然や観光の対象としての山でしょう。しかし、私にとっては、学生時代の合宿の思い出と、相撲の記憶が重なった、少し個人的な響きを持つ名前なのです。ただし、黒姫山という四股名は、出身地である糸魚川市にある黒姫山と言う名前から。元関脇の黒姫山関のお孫さんも黒姫山という四股名で力士です。
マラソンシーズンの話から始まり、気づけば長野の記憶へとつながっていました。季節が巡るたびに、こうして過去の風景や体験がふとよみがえってくるのも、また楽しいものです。
SUICA
本日、ふと道端に目をやると、一見してそれと分かる交通系ICカード、Suicaが落ちていました。最初は裏向きの状態で地面に横たわっていたのですが、すぐにSuicaだと認識できました。拾い上げて表面を確かめてみると、そこには記名式であることが分かる氏名が刻まれており、おそらくお子様が普段の通学や習い事で大切に使っているものだろうと察しました。カードに名前が記されているということは、交番に届けさえすれば、持ち主のもとへ戻る確率が非常に高いことを意味します。このカードの持ち主が、自分の大切なものがなくなったことに気づき、どれほど不安な気持ちで探しているだろうかと考えたら、そのまま放置する選択肢は私にはありませんでした。
私は用事を済ませた後、最寄りの交番へ向かいました。交番に到着し、窓口で事情を説明すると、まず最初に拾得場所と時刻について質問されました。正確な場所や時間を答えるために、私は拾った瞬間にスマートフォンを取り出し、地図アプリを開いてその地点をスクリーンショットで記録していたことを思い出しました。その画像データには正確な位置情報と撮影時間が残されていたため、警察官の方にその画面を見せながら、「ちょうどこの辺りで、この時間帯に拾いました」と自信を持って報告することができました。事前のこうした備えがあったおかげで、報告の手続きは極めてスムーズに進みました。
一通りの報告を終えた後、警察官の方から「拾得者としての権利や、持ち主からの謝礼などは必要ありませんか?」という丁寧な確認の問いかけがありました。私は、困っている持ち主の手元にカードが戻り、無事に使えるようになることだけで十分だと感じていたため、「はい、何も必要ありません」と即答しました。私の返答を受け、警察官の方も納得されたようで、私の氏名や住所といった個人情報を詳しく尋ねられることもなく、淡々としたやり取りの中で手続きは滞りなく完了しました。
私にとって今回の対応は、ほんの少しの勇気と手間をかけることで、誰かの困りごとを解決できるという小さな達成感を得る機会となりました。ICカード一枚かもしれませんが、それを大切にしている持ち主のもとへ必ず戻ることを願っています。交番を出たとき、少しだけ清々しい気分になれたのは、自分ができることをしっかりとやり遂げられたからかもしれません。また機会があれば、迷わず同じ行動をとろうと心から思える一日でした。
マラソン当日
東京マラソン当日のボランティア活動、無事にすべての行程を終えて帰宅しました。今年も例年と同じく「給水係」を担当させていただきましたが、何事もなく無事にこの大役を全うできたことに、今はただ深い安堵感に包まれています。
今回の私の活動場所は、ランナーの方々がコース上でちょうど一気に押し寄せてくる、非常に重要なエリアでした。選手たちがまず最初に目にする「最前列のテーブル」が私の担当でしたが、ランナーの皆さんが真っ先にそこへ向かって手を伸ばすのは自然の摂理ともいえる光景であり、当然のことながら、活動開始と同時に猛烈な勢いで給水用のカップが次々と姿を消していきました。休憩を挟む余裕など一瞬も存在しない、最初から最後まで絶え間なくコップを並べ、声を出し、ランナーをサポートし続けるという、非常に密度の濃い、慌ただしい時間を過ごしました。
当日のコンディションについても触れておきますと、天候には非常に恵まれました。一般の方々にとっては快晴で素晴らしい一日だったかと思いますが、走る選手たちにとっては太陽の光が容赦なく降り注ぐ過酷な状況だったのかもしれません。そのせいか、水やスポーツドリンクの減りが例年よりも格段に早く、補給を繰り返す私たちの手元も大忙しでした。そうした現場での個人的な感想や細かなエピソードは数え切れないほどありますが、それらをすべて言葉にして書き連ねるのは私のスタイルや美学に少し反するところもあるため、ここでは控えさせていただきます。とにかく、大きな事故やトラブルを招くことなく、ボランティアチーム全体として滞りなく業務を完了できたという、その結果そのものに何よりの達成感を感じています。
さて、今回の活動を終えてふと未来に目を向けると、来年の東京マラソンが節目となる「第20回記念大会」であることに思い至ります。さらにその先には、ロサンゼルスオリンピックのマラソン代表選考会も控えており、ボランティアという形で再びその熱狂の渦の中に身を置くことができれば、これ以上幸せなことはありません。来年の大会までの一年間、あるいはその先の目標に向けて、まずは自分自身が日々の健康を大切にし、元気に過ごしていきたいと強く思っています。
こうしてボランティアを一つひとつ積み重ねていくことは、私にとって人生の大きな喜びでもあります。大会運営の裏方として汗を流し、ランナーの方々のひたむきな姿を一番近くで応援する。その喜びを原動力にして、これからも日々の生活を丁寧に送り、また来年の春に素晴らしい舞台でお会いできるよう、毎日を積み重ねていく所存です。今回の活動を通して改めて、マラソンというスポーツが持つ不思議な力と、それを支えるボランティアという役割の素晴らしさを肌で感じることができました。充実感に浸りながら、今はゆっくりとこの余韻を味わいたいと思います。
東京マラソンボランティア体験記
東京マラソンの前日ボランティア、無事に任務を完了してきました。今回はランナーの方々にナンバーカード(ビブス)をお渡しする業務を担当したのですが、振り返ると朝の出発の段階から、自分との静かな戦いが始まっていました。
実は当日、少し家を出るのが遅れてしまい、駅までの道を歩いている最中に、どうしても集合時間に間に合わないことが確定してしまったのです。「どこかで電車の接続が少しでも良くなれば……」と、人知れず都合の良い奇跡を願ってしまった自分もいましたが、結局は間に合わず、ご迷惑をおかけしてしまったことを深く反省しています。
今回、東京ビッグサイトでの前日の受付業務に携わるのは実に4、5年ぶりのことでした。東京マラソンにはボランティアとしてほぼ毎年参加していますが、この「前日受付」という枠は久しぶりで、前回の記憶はかなり曖昧になっていました。かつての経験値がほとんど活かせないような感覚で、少し戸惑いもありましたが、現場の空気に触れるうちに体が思い出していき、何とか最後までやり遂げることができました。
今回のボランティアチームを率いてくださったリーダーは、非常に機転が利く素晴らしい方でした。活動中も細やかな配慮が光っていましたが、特に印象的だったのは活動終了の際です。最後はしっかりと笑いを取って場を和ませ、綺麗に締めてくれました。期待通りに笑いをもたらしてくださる姿に、「さすが関西人だ!」と感心すると同時に、一日の最後にとても嬉しい気持ちになれました。
会場ではボランティアと並行して「東京マラソンエキスポ」が開催されており、久しぶりに会場の熱気に触れることができました。以前は圧倒されるほどの出店数と活気に、見て歩くだけで疲れてしまうほどでしたが、今回はコロナ禍を経て企業の出店も様変わりした印象を受けました。
以前のエキスポでは、山崎製パンの「ランチパック」を買い求めるのが楽しみでしたし、東京マラソン限定の刺繍が入ったお気に入りの靴下(1500円ほどでした)を選ぶのも恒例でした。また、ビール会社が配布していたノンアルコール版のスーパードライをいただくのも楽しみの一つでしたが、今回はそれらの企業やブランドの姿が見当たらず、時代の移り変わりを少し寂しく感じました。全国的にマラソン大会の規模縮小といったニュースを耳にすることも多いですが、東京マラソンは今回も熱気に包まれており、その活気の中に身を置けたことは嬉しい驚きでした。シティーランナーの方々に向けて、今後もマラソン大会が再び盛り上がっていってくれればと心から願っています。
久しぶりの受付業務を通して、ランナーの方々の期待と緊張が入り混じった表情を間近で見られたのは、とても貴重な時間でした。大きな混乱もなく役割を全うできたことは、自分の中でも「まずは一安心」と胸をなでおろす達成感に繋がっています。