諸行無情

諸行無情

気まぐれに更新したり休んだり それも諸行無情

入社してすぐにスカウトを受けた。
当時まれだった170センチの長身
デカい声(笑)
新人研修の思い切りの良さ
デカい声(笑)←多分これ

「是非労働組合の支部の執行委員に!!」

組合の支部長達の勢いに断る選択肢はなく、慣れない仕事の合間に組合の仕事もするハメに💦

啓蒙活動で各営業所を回ったり、別の支部へ表敬訪問したり

組合主催のイベントをしたり

労使会議で支店のトップ達と話したり…

と結構やることが多かった。


仕事を抜けたり休んだりも多かったが組合活動が理由だと職場の許可はすんなり通り、その間の保障は組合からされるのでお給料は減らず、あちこち行けて楽しかった。  


抜けた間の仕事のフォローは先輩達がしてくれていたが、急ぎでない仕事は溜まる一方だった(笑)


一番記憶に残っているのは夏にとある大会に参加した時のこと。


色んな労働組合が集まり、一緒に会場へ向かった。

遠方なので移動は飛行機。

翌日の大会の前にあちこち観光させてもらい、宿に連れて行ってもらう。

部屋が二間続きの和室に応接セット。

そしてかけ流しのお風呂。

洗い場には畳。


当時21歳。

飛行機に乗ったこともなければスイートルームに泊まったこともかけ流しの温泉も畳の上で身体を洗うことも経験のない私にとって全てが驚きの連続だった。

かけ流しを知らず、お湯がもったいないと止めてしまい宿の人に注意されたのもいい思い出(笑)


翌年も是非執行委員に、と熱望されたが

先輩達が相次いで退職し、私一人になり仕事のフォローをしてくれる人がいなくなったことで辞退した。


こうして目まぐるしい1年目が終わった。


〜~~諸行無情〜〜〜


仕事の配属先は支店だった。
私を含め女子の新入社員は4人。

私ともう一人のAちゃんは営業部、Bちゃんは総務部、Cちゃんは販売促進部と割り振られた。


早速簡単なテストや実務をやらされ、私はお客様に対する営業事務に、

同期のAちゃんは各地の営業所に対する事務につくことになっ


バブル時代で景気は良く、目の回る忙しさだった。

電話はひっきりなしに鳴り、メモを取りその処理をする間もなく次の電話に出ることも。

その隙にお客様の売上の伝票を書き、計算し、入力する。

営業所事務のAちゃんも同じ。

先輩はいたが、ゆっくり教えてもらう暇もなく

「○○様から電話です」

『営業の中居さんに回して』

「△△様から注文です」

『国内仕入れの稲垣さんに伝えて』

という感じだった。

営業事務なので営業さんが戻ってその日の売上の報告と、翌日の予定をまとめてもらってから仕事ができる。

最初の頃は定時で帰れたが、仕事に慣れて試用期間が終わると定時で戻らない営業さんを待つため定時に帰れないことも多かった。


総務部のBちゃんはほぼ定時、販促部のCちゃんもイベントがなければ定時で帰っており、同じフロアで私達営業部だけがバタバタと遅くまで仕事をしていた。


この仕事量の違いでも基本給が一緒だなんて不公平と当時は気づかなかった。

それほど目まぐるしく日々が過ぎていった。


〜〜〜諸行無情〜〜〜


4昔前の話です。

ただの思い出&陰の防備録です。


いよいよ入社式に参加する日が来た。

入社式は本社ですると言う。

新幹線の駅で他の採用者と落ち合い、いざ本社へ。

・・・の前に新入社員研修を受けるべく合宿所へ。


そこでは各地の採用者が集まり、結構な人数がいてたまげた。


お茶の入れ方、電話の取り方、メモの取り方、上座・下座などの礼儀作法、ディスカッション...


そして「自分の殻を破れ」研修。


講師は三十代のボーイッシュな美女。

全員ジャージでグラウンド集合。


講師はにこやかにハキハキと

「はーい、では全員で『水戸黄門』をやりまーす♪」


みんなポカーン。


講師は手拍子を取りながら軽やかにスキップするような速さの駆け足で

「見て♪見て♪見て♪見て♪水戸○門♪」

と指差す。


みんなポカーン。


「はーい、次はみんなでやりますよー♪」


という今ならどうよ?な研修もあり。


研修最後の夜には新入社員の中で最も輝いてた(目立ってた)最優秀者が選ばれ、女子は私が選ばれた。

上の研修を全力でやったのが理由らしい(苦笑)


そして入社式。

そこでまさかの最優秀者の表彰状をいただき、前列での記念撮影、社長始め上位の重役の方に囲まれての昼食会と続いた。


ホテルでの懐石料理など経験がなく、汁物のお椀のフタが開かず、四苦八苦していると重役の方が

「こうやって本体を握れば開くよ(笑)」

と教えてくれたのを今でも忘れられない。


入社式が終わり、配属先が決まり、同期の皆と別れを惜しみながら帰途に着いた。


女子は翌週から配属先での仕事か始まり、男子は半数がまた別途の研修を受ける。


今はこれほど経費をかけて新入社員研修はしないと聞いた。


生まれて初めての経験ばかりで今でもこれだけ強烈な印象として残っている。


ちなみに今でもしろ、と言われれば水戸黄門できます。


吉本で育った関西人には朝飯前♪



〜〜〜諸行無情〜〜〜




皆さん気を使って

若く言ってくださいます。


なんせ170センチ90キロは全身パンパンなのでシワが少ないしね。


ヘタして老けて言ったらヘッドロックされるんちゃうか?と思われるようです(笑)


私は老けて見られようが若く見られようがどちらでもいいです。


「何歳?」

と聞かれて歳をごまかしたことは

16歳の時ディスコに入場する際

「18♪」

と言ったくらいかな。




〜〜〜諸行無情〜〜〜実年齢より若く見られた

 

 

 

 

 

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4昔前の話です。 

ただの思い出&陰の防備録です。



無事、就職が決まり短大を卒業し、友達と卒業旅行に行った。

短大の入学式で遅刻して出会ったトリオだ。

遅刻した私達は他の生徒に合流できず、式が終わるまで後ろの保護者席のさらに後ろの会場の出入り口の前で待たされた。

仲間意識が芽生え意気投合。


普段は時間にうるさい私が遅刻するなどあり得ないのだが、神様の采配なのだろう。


3つの学部があったのだが、同じ学部で4クラスに別れていたのに同じクラス。

必須科目はもちろん、相談せず決めた選択科目も同じ

教職を取得するコースも同じで授業全て一緒というミラクルぶりたった。


短大で教職取得コース選択というのは毎日朝9時から17時まで授業がある。

土曜も当たり前にある。

教室はほぼ高校まで過ごしたような広さで出席番号順に座らされるため、代返や欠席がバレないことはあり得ないのでハードだった。 

そんな風に毎日一緒だったので就職を機にバラバラになるのが淋しく、別れを惜しんだ。


そこでまた神様のいたずらか。


ここまで来たのだからお城まで足を延ばそう、と電車に乗った。


違う駅に着いた。


また戻り、電車に乗り直す。


また違う駅に着いた。


どうやら電車によって右に行ったり左に行ったりするらしいが、当時は時刻表しかなく、予定になかったので下調べしてなかった。


帰りの電車の時間になり、諦めて帰った。


あれから40年。

まだ行ったことがない。



〜〜〜諸行無情〜〜〜




って何よ?

と、ノリツッコミをかまして復活です。

夫の病状が落ち着いたらと思ったのですが、落ち着かないので(笑)横に置いておきます。

その間に機種変しましてiPhoneからAndroidに変わりました。

iPhoneにしたのはウイルスの心配をしなくていいからだったのに2代目iPhoneでは
「iPhoneでもウイルス感染します」
と、ウイルス対策ソフトを入れさせられ
次の機種変ではAndroidにする、と心に決めてました。

不都合あれば携帯ショップに行けばいいし。

今のところ使いづらい点が少し。

ブラウザの戻るボタンがなく、戻れない。
インスタグラムも、ストーリーを見たら戻れない。
文字入力で「てんてんてん」と入れても「...」が出ない。

そのうち慣れるでしょう。

こんな感じでまたボチボチつぶやきます。

〜〜〜諸行無情〜〜〜


4昔前の話てす。 
ただの思い出&陰の防備録です。

短大2回生。
私は就活に苦労していた。

教職を選択していたため、教育実習に行ったものの授業をしても手応えもなく、生徒との交流も苦痛で「合わないな」と、痛感した。


しかし、商売人だった父の仕事が全くうまくいかず収入がなく

母が会社勤めで家計を支えているのを見て

仕事をするなら公務員か会社員と決めていたので教職試験を受けたが見事に一次で落ちた。


当時はバブルで、証券会社が人気だった。

採用人数も多かったが最終面接で落ちた。


短大に来る企業に応募しようにも、まず成績優秀者から決まるので中の下の成績の私まで回ってこない。


年が明け「学校の事務なら紹介するよ」

教師の義兄弟に言われたが、その学校は荒れに荒れていたので怖くて行けなかった。


いよいよ卒業が迫る頃、ある企業の追加募集を見かけ応募した。


返事がなかなか来ないまま、所属しているスキー部のお別れ合宿に入った。

スキー場まで電車なら五時間、バスなら半日はかかる山の中の宿だった。

何日目かの夜、宿に母から電話が入った。

「会社からハガキが来てた。

さっき気づいた💦

明後日、9時から就職試験だって」


...「え?」


当時は今のようにスマホで乗り換え案内など見られず、遠出は合宿以外親の許可が出なかったのでしたことがなく、どうやって帰ればいいのか途方に暮れた。


とにかく顧問が電車の切符を手配してくれ、翌日宿の方が駅まで送ってくれて何とか帰宅。

ゴーグルの跡が白くその他は日焼けした逆パンダ顔で就職試験に臨んだ。


あまりにバタバタしていたので試験の模様は覚えていない。


それから2週間後、合格通知が来た。

卒業の何日か前だった。


「これで奨学金返せる」


心底ホッとした。

近藤正臣様。


久しぶりの投稿が「誰?」って感じですね。


若い頃はとてもハンサムでセクシーでした。

例えピアノの上に乗り足でピアノを弾いたとしても。


歌のアルバムも出してて、バイト代を貯めて買いました。


今は好々爺で、おじいちゃん役ばかりですが、やっぱり見てしまう。



そういえば正臣様より年上だと思うけど、草刈正雄って歳取らないですよね、不思議。



〜〜〜諸行無情〜〜〜




好きな俳優といえば

 

 

 

 

 

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月日は流れておりますね(笑)


努力も虚しく

GW明けから夫は

体調を崩し

時には救急車のお世話にもなり

入退院を繰り返しております。


2ヶ月近くなるのに、まだ安定しません。

5/8からコロナが第五類になったにも関わらず

発熱したら、まずは発熱外来でPCR検査。

入院先の病院は面会禁止。

内視鏡での処置(手術)の時も病院内での待機禁止。

なのに始まる時も終わった時も経過説明私には一切なし。

洗濯物などの荷物も職員さん経由でやりとり。

入院したら退院するまで顔を見ることができません。

医師は今までの生活は発病に関係ないとほざいたが(失礼)

血液検査の肝臓の数値がなかなか改善しないのは酒のせいじゃないんですかね?

夫は血液検査の結果が改善したら、またお酒を飲みたいそうです。

「喉元過ぎれば〜〜」

というヤツがここにいる(笑)


私が生活に困らないくらい残して好きにしてください♪


〜〜〜諸行無情〜〜〜






夫が戻って1ヶ月

まだ慣れずバタバタです💦

私と夫は水と油

離れている時は平和だが、一緒にいると噛み合わない


朝は3時に目を覚ます夫

目覚ましでかろうじて4時半に起きる私

朝から食欲旺盛の夫のために食事を作り、お弁当を作る

その前に

神棚と仏壇の世話をする私

知らん顔の夫

仏壇には夫の両親の位牌があるのだがね

家にいる時も線香の一本も立てることはない(バチ当たれ)

車で5分のところにあるお墓参りも私が言わないと行かない(バチ当たれ)


休みの日は出かけたがる夫

家でゴロゴロしたい私

GW中に、なんとできたばかりのアウトレットモールに2時間以上かけて出かけることにした

出てしまえば人混みも行列もへっちゃらな私

苦手な夫

人混みに酔って滞在時間30分でギブアップ

こんな感じで噛み合わずギクシャクした日々を過ごしております

基本、夫には逆らわず夫のしたいようにさせているので

私はストレス溜まるが平和です

夫は調子に乗って、またお酒を飲んではいるが

私が注意せず生暖かく見る目を感じ

早めに帰る努力をしているようです

努力が実を結べばいいね


〜〜〜諸行無情〜〜〜