諸行無情

諸行無情

気まぐれに更新したり休んだり それも諸行無情

実は何年か前にB眼科を受診したことがある。

通っていた眼科で眼鏡の度数がイマイチ合わずB眼科で合わせてもらったら怖いくらいドンピシャに合った。

その時は今通っている眼科にそのまま行ったほうがいいと言われ、敷居を高く感じていた



予約はなく先着順ということで受付5分前に行くと長い列ができていた。


負け知らずの眼科以上に検査を受けながら待つ。

なかなか視力が出ないので検査の人にも

「視力だけじゃなく、目の中に何か問題があると思います。」

と言われる。

(通ってた病院では言われたことがなかった)



ようやく呼ばれ、院長の前に。
院長は検査結果を見ると開口一番
「緑内障と白内障ですね。」

「視力が出ないのは白内障だからです。」

「白内障では失明しないけど、緑内障は失明します。」

「目薬をこれだけさしているのに眼圧のコントロールができていない。」

(通ってた病院ては何の指摘もなかった)


「来週緑内障の涙を出す線のつまりを除くレーザー治療をします。」
「白内障の手術は、ここでしますか?」

『は、はい。お願いします。』


『あの、車の運転はできるようになりますか?』

「白内障の手術が終わったら、したらよろしい。」

「緑内障で見えづらいところがあるから、それをわかって気をつけて運転したらよろしい。」


『あの、事務の仕事はできますか?』
「したらよろしい」


負け知らずの眼科とのあまりの診断のギャップに呆然としたまま診察は終わった。


そして、白内障の手術の予約がいっぱいで4ヶ月先なのも呆然とした。

負け知らずの眼科の受診の翌日、会社へ出勤して社長へ報告した。



今までの経緯と診断結果。


現在の目の状態。


コンタクトをしても視力が出ないこと。
メガネをプラスしても見えないこと。

アメブロで言えば字の大きさを30にしないと読めないこと。

コピー用紙を半分に折って穴あけパンチで穴を開けようとしても折り目が見えないこと。

小さい字も薄い字も見えない。

パソコンの字は画面から10センチ離れると見えない。

私の仕事は事務で、こんな状態では仕事にならないので辞めざるをえない。

早く次の方を見つけてほしい。


社長は突然の話で黙ってしまった。

勤めて20年、ベテランのお一人様事務が急に辞めるとなるとダメージが大きいのだろう。


そこに話を聞いて前社長がやってきた。

「もかこさん、B眼科に行ってみなさい」

「確かに受診した眼科も有名やけど、B眼科の院長先生も古くからされてて会社の人もお客さんも行ってるし」

「B眼科で同じ診断が出たらまた考えたらいいし、違う診断が出るかもしれないし一度行ってみなさい」


と何度も言う。


あまりに強く勧めてくるので、(一度行ってみようか)と思い

「わかりました、行ってみます。

明日はお休みいただきます。」と応えた。

明けましておめでとうございます。
書いたり
休んだり
サボったり
ゆるゆると続けていきます。


セカンドオピニオンに選んだのは、こちらでは負け知らずの病院。


以前、近所の少し大きな病院で受けた義母の白内障の手術が失敗に終わり、急遽この病院で再手術していただいたのでセカンドオピニオンならここだと思っていた。


眼科だけなのに病院は広く患者さんが多くごった返していた。
予約外なので検査を受けながら長時間ひたすら待つ。

診察室が10個ほど並ぶそのうちの1つに案内された。

若い女性の医師が優しく問診してくれた。
今までの経過をじっくり聞き、検査結果を見る。

おもむろに口を開いた。

「緑内障は治療中ですね。

そして白内障ですね。」

「緑内障の視野の見えにくいところが目の真ん中にあります。」

「残念ながら車の運転も仕事もやめたほうがいいですね。」
「今までの経過を知りたいので、次の診察までに通っていた病院からデータをもらってきてください。」

運転も仕事もできない。

こんな状況になっても何もしてくれなかった病院に行き、データをもらいお金を払えと?


しかし、ここが最後の砦と思いつめて来た。

一月後の診察の予約を入れ、トボトボと帰宅した。

朝、いつも通りバイクで通勤していた。
相変わらず信号が見にくい。
それでも通い慣れているいつもの道を走っていた。
いきなり目の前に交通整理のおじさんが止まれの合図で立っていた。
数センチのところで止まった。
頭真っ白。
「ごめんなさい、当たりましたか?」
『大丈夫、当たってないよ。早く行って。』
おじさんは急に現れたのではなく私が見えなかったのだ。

あかん、次はきっと事故る。

同じ頃、かかりつけの内科を受診し先生に目のことを相談した。
長く通っている病院なので、他のところに行くのは申し訳ない気がして行きにくい、とも。

先生は不安になることがあれば病院変えても全くかまわないよ。
この病院も、いつ変わっても問題ないよ(笑)

と、背中を押してくれた。

急ブレーキをかけた次の日、早速県では負け知らずの眼科に行くことに決めた。

それから信号が見にくくなってきた。

診察の時に訴えても
「近視が強いから」
と言われるだけ。

そしてある日、コンタクトが目の中で真っ二つに破れた。

慌てて近所の眼科に行って取ってもらった。

2回目に破れた時、また違う眼科を受診した。

そこでは視力検査などもされ、視力が出ないのは初期の白内障だと指摘された。

かかりつけ医でコンタクトを買う時、目の中で破れたことと初期の白内障だと言われたはなしをしたところ
「白内障じゃないですよ!!」
と強く言われた。

目の中でコンタクトは破れるし、コンタクトをしてもメガネを重ねても信号が見えにくくバイクの運転が怖い。

私の目、どうなっていくんだろう。

免許の更新できるのかな。

不安がどんどん膨らんでいった。
もともと強い近視だった。

そして10年ほど前に緑内障の診断を受けた。

緑内障は視神経が傷んでいく病気で、傷んだ視神経は治らない。

傷んだところはどんどん広がり、見えにくくなって視野が狭くなりやがて失明する。
しかし、進むのはゆっくりだから寿命が先か?見えなくなるのが先か?と言われていた。

近視はコンタクトで、緑内障は目薬で対応していた。

去年の初め

夜の運転中、見えづらくなった。

そのうち昼間も見えにくくなってきた。

「仕事でパソコン使うから、視力悪くなったかな」

眼科で相談し、コンタクトを調整しても見えにくい。

コンタクトにメガネをかけても視力が出ない。

眼科医は「近視が強いからね」とのことだった。

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ほぼ2年ぶりでございます。
気持ちよくバブル時代のことを書いていたら
まさかのドラマが始まるというね。
ないだろうけど関連づいてアクセス増えたら怖い、と自粛してたらいつの間にか日が経ちました。

色々ありましてね。

色々あります。

とりあえずググってもピンとくる情報が集まらなかった
「この年で白内障手術を受けるまで」
を書いていこうと思います。

めっちゃ愚痴る内容になります。

…書いたから読んで不快になっても文句言って来ないでね。


〜〜〜諸行無情〜〜〜

↑機種変したから文字もでてこんわ(笑)
入社してすぐにスカウトを受けた。
当時まれだった170センチの長身
デカい声(笑)
新人研修の思い切りの良さ
デカい声(笑)←多分これ

「是非労働組合の支部の執行委員に!!」

組合の支部長達の勢いに断る選択肢はなく、慣れない仕事の合間に組合の仕事もするハメに💦

啓蒙活動で各営業所を回ったり、別の支部へ表敬訪問したり

組合主催のイベントをしたり

労使会議で支店のトップ達と話したり…

と結構やることが多かった。


仕事を抜けたり休んだりも多かったが組合活動が理由だと職場の許可はすんなり通り、その間の保障は組合からされるのでお給料は減らず、あちこち行けて楽しかった。  


抜けた間の仕事のフォローは先輩達がしてくれていたが、急ぎでない仕事は溜まる一方だった(笑)


一番記憶に残っているのは夏にとある大会に参加した時のこと。


色んな労働組合が集まり、一緒に会場へ向かった。

遠方なので移動は飛行機。

翌日の大会の前にあちこち観光させてもらい、宿に連れて行ってもらう。

部屋が二間続きの和室に応接セット。

そしてかけ流しのお風呂。

洗い場には畳。


当時21歳。

飛行機に乗ったこともなければスイートルームに泊まったこともかけ流しの温泉も畳の上で身体を洗うことも経験のない私にとって全てが驚きの連続だった。

かけ流しを知らず、お湯がもったいないと止めてしまい宿の人に注意されたのもいい思い出(笑)


翌年も是非執行委員に、と熱望されたが

先輩達が相次いで退職し、私一人になり仕事のフォローをしてくれる人がいなくなったことで辞退した。


こうして目まぐるしい1年目が終わった。


〜~~諸行無情〜〜〜


仕事の配属先は支店だった。
私を含め女子の新入社員は4人。

私ともう一人のAちゃんは営業部、Bちゃんは総務部、Cちゃんは販売促進部と割り振られた。


早速簡単なテストや実務をやらされ、私はお客様に対する営業事務に、

同期のAちゃんは各地の営業所に対する事務につくことになっ


バブル時代で景気は良く、目の回る忙しさだった。

電話はひっきりなしに鳴り、メモを取りその処理をする間もなく次の電話に出ることも。

その隙にお客様の売上の伝票を書き、計算し、入力する。

営業所事務のAちゃんも同じ。

先輩はいたが、ゆっくり教えてもらう暇もなく

「○○様から電話です」

『営業の中居さんに回して』

「△△様から注文です」

『国内仕入れの稲垣さんに伝えて』

という感じだった。

営業事務なので営業さんが戻ってその日の売上の報告と、翌日の予定をまとめてもらってから仕事ができる。

最初の頃は定時で帰れたが、仕事に慣れて試用期間が終わると定時で戻らない営業さんを待つため定時に帰れないことも多かった。


総務部のBちゃんはほぼ定時、販促部のCちゃんもイベントがなければ定時で帰っており、同じフロアで私達営業部だけがバタバタと遅くまで仕事をしていた。


この仕事量の違いでも基本給が一緒だなんて不公平と当時は気づかなかった。

それほど目まぐるしく日々が過ぎていった。


〜〜〜諸行無情〜〜〜


4昔前の話です。

ただの思い出&陰の防備録です。


いよいよ入社式に参加する日が来た。

入社式は本社ですると言う。

新幹線の駅で他の採用者と落ち合い、いざ本社へ。

・・・の前に新入社員研修を受けるべく合宿所へ。


そこでは各地の採用者が集まり、結構な人数がいてたまげた。


お茶の入れ方、電話の取り方、メモの取り方、上座・下座などの礼儀作法、ディスカッション...


そして「自分の殻を破れ」研修。


講師は三十代のボーイッシュな美女。

全員ジャージでグラウンド集合。


講師はにこやかにハキハキと

「はーい、では全員で『水戸黄門』をやりまーす♪」


みんなポカーン。


講師は手拍子を取りながら軽やかにスキップするような速さの駆け足で

「見て♪見て♪見て♪見て♪水戸○門♪」

と指差す。


みんなポカーン。


「はーい、次はみんなでやりますよー♪」


という今ならどうよ?な研修もあり。


研修最後の夜には新入社員の中で最も輝いてた(目立ってた)最優秀者が選ばれ、女子は私が選ばれた。

上の研修を全力でやったのが理由らしい(苦笑)


そして入社式。

そこでまさかの最優秀者の表彰状をいただき、前列での記念撮影、社長始め上位の重役の方に囲まれての昼食会と続いた。


ホテルでの懐石料理など経験がなく、汁物のお椀のフタが開かず、四苦八苦していると重役の方が

「こうやって本体を握れば開くよ(笑)」

と教えてくれたのを今でも忘れられない。


入社式が終わり、配属先が決まり、同期の皆と別れを惜しみながら帰途に着いた。


女子は翌週から配属先での仕事か始まり、男子は半数がまた別途の研修を受ける。


今はこれほど経費をかけて新入社員研修はしないと聞いた。


生まれて初めての経験ばかりで今でもこれだけ強烈な印象として残っている。


ちなみに今でもしろ、と言われれば水戸黄門できます。


吉本で育った関西人には朝飯前♪



〜〜〜諸行無情〜〜〜