ずっと気になっていたが、やっと読んだ。しかも上下なのに一気読み。映画は見ていないので新鮮。いやー面白かった。3つの家族の生き様が、山神という殺人犯はいったい誰、3つの家族が遭遇する男の誰なのか?を引っ張って、この3家族はいずれもマイノリティ(ゲイに発達障害に母子家庭)いずれもイジメにあっていたりする。
殺人犯山神ののっぴきならない焦り、暑さの中での殺意。
哀しい話だけど、最後のほうでは涙がこみ上げるほどだった。
映画は日本アカデミー賞候補。「愛子」役が宮崎あおいらしい。小説ではちょっと太った女の子なのでエッと思ったが、演技力を勘案すると宮崎あおいは適役かもと思った。
★★★★★
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吉田修一の『怒り』が新刊として発売されたのは2年余り前だが、この秋、映画化によってあらためて注目されている。これを機に新しく巻かれた文庫本のカバーには、渡辺謙ら出演俳優の顔写真が組まれ、華やかだ。
八王子の郊外に暮らす若い夫婦が自宅で惨殺され、目撃情報から精緻なモンタージュ写真が作られる。犯人は山神一也、27歳。すぐに全国に指名手配されるも手がかりがないまま1年が過ぎた夏、房総の港町で働く親子、東京の大企業に勤めるゲイの青年、沖縄の離島で母と暮らす少女の前に、身元不詳の男が現れる。当初は訝られながらも、男はほどなく受けいれられていくのだが、警察が整形手術後の山神の写真をテレビ番組で公表したあたりから状況は慌ただしくなる。この男は殺人犯ではないかとの疑念が3者それぞれに湧きあがり、彼らの日常が震えだす──どの男が犯人かわからないまま絶妙な場面転換に従って各地の人間関係の変容を読み進めるうち、気づけば登場人物たちと同じく、私もまた信じることの意味について自問自答していた。
相手を信じきれるかどうかは、突きつめれば、そう信じている自分を信じられるかという問いになる。自分の身を賭すぐらいでなければ、信じきることなどできないのではないか。だから、それとは違う立場の他者や社会に対しては怒りがこみあげる。自分を信じていなければ、本物の怒りも湧いてこない。怒りとは、つまり、自分を信じている証しなのかもしれない。
信じることの難しさと、尊さ。この小説が突きつける問いは禍々しく、ヒリヒリするぐらい切ない。
評者:長薗安浩