神戸市、評判の店「烏三」、お目当てのものは「かりんとまんじゅう」1個110円。揚げたては格別で大人気。紙袋の烏三マークも好評。

丹波笹山のそば屋。ミシュランひとつ星の名店「ろあん」、ここのロゴも一度見たら忘れない。ろあん店主の真ん丸い顔を取り入れている。

東京の老舗和菓子店から、誰もが知るフランスの高級ブランドまで世界に名を轟かせるハイブランドが、こぞって印刷を依頼する会社がニッポンにある。それが兵庫県加西市に本社を置く、従業員40人の地方の印刷会社「グラフ」だ。
地方の印刷会社と言えば、その多くは大手印刷会社の“下請け”企業というのが現実だ。だが、グラフは下請けの仕事を、ほとんどしていない。それどころか他の印刷会社で断わられた「特殊な印刷」の仕事が次々に舞い込む。
高級ブランドのパンフレットからロゴも注文される。

古い本の復刻など、難しい仕事を引き受けて評判になった。

もちろん、少し前まではグラフも99%を下請け仕事に頼る、倒産寸前の印刷会社だった。しかし、社長の北川一成は、その地方の印刷会社をたった一人で世界を舞台に活躍するオンリーワンの印刷所に生まれ変わらせたという。なぜ、地方の印刷会社が「脱・下請け」を実現して、世界が認める企業へと生まれ変わったのか?これまで明らかにされてこなかった北川流「逆転経営術」に迫る。

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崖っぷち工場を復活させたのは、①色:どんな色でも作り出す。

色見本にない中間色を技術職人が技を駆使し注文の微妙な色を作り出す。色の調合データは北川が作成。100分の1グラムまで比率が出されている。

金にツルツル感とザラザラ感を出したり、ラルクアンシェルのCDジャケット製作では限定盤が即完売した。

グラフの社長を務める北川は、実は、デザイナーでもある。
筑波大でグラフィックデザインを学び、賞も獲得した。

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ユーハイムの要望は15年やってきたブランド力が競争が激しくなって通用しなくなってきている。という。

北川はルーツに帰っていくようなデザインを提案。「温故知新」で、当初の小さな菓子屋のイメージを前面に出した。

ユーハイムの河本社長も「すばらしいデザインだ。」と絶賛。

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北川には、ある目標があった。それは「捨てられない印刷物」を作るという野望だ。原点は、印刷会社で働く父親の元で育った北川の幼いころの思い出にあった。実は、北川が子供の頃は、毎年、父や職人が大晦日の夜中まで「正月用の折り込みチラシ」の印刷作業にあたっていた。

だが、そんな風に苦労して作ったチラシも、年が明けると、当然のようにゴミとして捨てられていたのだ。
「なぜ印刷は、こうも簡単に捨てられるのか?」
「同じモノづくりの会社でも自動車やカメラなどは簡単に捨てられないのに・・・」
この体験を通して北川の中に生まれたものこそ“捨てられない印刷物”を目指すという思いだ。

よその印刷会社が「実現不可能」として投げ出した印刷でも、グラフは引き受け、ニーズに応えてみせた。そして、いつしか「特殊印刷の駆け込み寺」そう呼ばれるまでに至ったのだ。特別な機械を使わなくても、他社と差がつく。その秘密こそ、北川が育ててきた技術屋集団にあった。

北川「親父は星一徹みたいな厳しい親父だった。その親父とおふくろに泣きつかれて家業を継いだ。」

北川「宿題で太陽を形容する色を書くのがあって、それを’白い’にしたら×をもらった。」

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印刷といってもいろいろある。新聞や雑誌はすぐに思いつくが、自動車の木目調パネルも印刷物。路上の注意書きも実は印刷物。

印刷業界は市場6兆円。そのうち大日本印刷と凸版印刷が6割を占めて、残りを中小の印刷業者が奪い合う。印刷所はここ10年で3分の一が閉鎖された。

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社長に就任した北川が、真っ先に取り組んだことがある。それが“脱・下請け”だった。当時のグラフは、仕事の多くが下請けで、社内の印刷機は、その下請けの仕事でフル稼働していた。すなわち、デザインから印刷までを請負う“利益率の高い仕事”を受けられない状況に陥っていたのだ。この悪しきサイクルを打破しようと北川が断行した「脱・下請け改革」がある。

①安売り戦略・・・ポストカードを16分の一の値段で出来ると営業に出た。

1枚の版下に16種類をはめ込み、多いときは3000社から受注した。

②“バカ社長のフリ”をする。・・・仕事を回してくれる大手の取引先の目の前で“バカ社長”を演じて、「この会社に仕事を任せたら危ない」と思い込ませる戦略だ。

しかし、これが想像以上に効果を上げ、グラフは虎視眈々と下請けの仕事を減らしていったのだ。大胆な戦略に隠された北川の緻密な仕事術だ。波風立てずに下請けを脱する秘策だった。

北川「下請けすると自分の会社の名前を書けない。」

北川「印刷が好きで実は親父の仕事を手伝うのが好きだった。正月のチラシを年末に作って、子供ながら頑張った。それが正月終わるとゴミとして捨てられるのが嫌でトラウマになった。」

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そんな北川の原点は富久錦。老舗の酒屋だ。1989年にこの150年続く酒蔵が大改革を計画していた。酒のラベルから変更しイメージを統一したいと思っていた。大手のところに発注したが、しっくりしなかった。そこで北川に依頼。北川は「土の匂いがしませんね。」と言ったという。

北川がロゴマークをデザイン。これが賞を獲得し、一躍デザイナーとして脚光を浴びた。

北川「当初は親父から注文を断れ!と言われた。3回ほど断ったが、見積もりだけでもといわれて、大きな金額を提示したが、’こんなもんでしょ’と受け付けられた。3度目は洗いざらい話して「悔しいくて、デザインやりたいです。」と言ったら、「もう決めてまんねん」と言われた。

富久錦の社長は凄い!

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東京代官山。グラフ懇親会が行なわれた。

脱サラして起業した末澤輝之さん。「脱サラファクトリー」というネーミングも北川が付けた。

そのファクトリーの工場は淡路島にある。海水を煮て塩を作っていた。

食品会社から脱サラした末澤さん。「’食’は大事。いいものを提供したいから。」

北川は名前もさることながら、商品コンセプトや、デザインも手がけた。

北川「(引き受ける仕事とそうでないものの選別基準を聞かれて)大きい小さいではなくて、意気込みややりたいことがハッキリしていること。」

北川「(他の会社で真似できることはと聞かれて)人の人間力かな。」

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編集後記・・・虹の彼方に。 子供の頃、虹を取りたくて裏の山に登ろうとしたら、母親が’コレに入れておいで’とビニール袋を渡してくれた!というエピソードが語られた。いいなぁ、この話。

↓グラフ社長の北川さん、なんか脱力系でいい感じの人だった。
生誕半世紀からの存在証明-北川