『和』と『中心人格』の総括  ③ | 想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

何でも書こう
 (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性、)(哲学思想)(政治経済)などなど、

では、資質の差異に基づく各自の位置付けとしての、この上下本末に於いて、最も上の者は、何が故に最も上なのかと申しますと、それは、一つの集まりに於ける中心人格であるが故に、最も上なのであります。

本来、中心人格とは、下の者の心を一つにまとめるための鑑もしくは師表であります。下の者からすれば、自分が自分らしく生きんとするときに仰ぎ見る鑑、顧みる師表であります。

例えば、子が子らしく生きんとするときに、父親ならどうするだろうかと、我が父に照らして己を見る。また、社員が社員らしく活動せんとするときに、社長ならどうするだろうかと、我が社長にてらして己を見る。そういう父親や社長が中心人格なのであります。

従って、突き詰めますと中心人格の役割とは、力によって下の者を制することではなく、己の前進全霊を賭けた言動によって人の情理を整えることだと言えるのであります。

言を換えますと、ややもすれば個体小我の幻想にとらわれ、欲望の体系へ流される下の者の父となり師表となり、下の者を迎慕心服せしめて然態に帰らしむ者。己の情理を整える事によって下の者の情理を整え、その妬み嫉みを裁ち切り、共同運命の自覚へと向かわしめる者。そして、下の者に各々の能力を最大限に発揮させ、生き甲斐のある人生を歩ませる者。これが、中心人格と言えるのであります。

ここに於きまして、中心人格の具体的、、、、

 続く