今日は僕の大好きなアスクビクターモアの三回忌です。
引用:JRA-VAN 名馬メモリアル アスクビクターモア より
イクイノックス、ドウデュースと言った競馬史の中でも屈指の実力者揃いの22世代。クラシックレース(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)の最後の一冠である菊花賞をレコードタイムで駆け抜けた姿は多くのファンに焼き付いています。
競馬をあまりご存知ない方でも「ディープインパクト」という名前は聞いた事があるのではないでしょうか。アスクビクターモアはディープインパクトを父に持ちますが、彼はお父さんのディープインパクトのような強烈なスパートをかけるようなスタイルではなくずっと先頭から2~5番目くらいを走ります。これが意外と難しいのです。前も後ろも意識をしないといけないところが特に。
彼の唯一のGI勝利となった菊花賞はまさにその難しい「先行策」の極致といっても良いレースでした。セイウンハーデス(彼は今も頑張っています!嬉しいね)が作ったハイペースを2番手で追いかけて最終コーナー付近で先頭に。他馬を引連れて先頭で直線に入る彼の姿は本当にかっこいい。最後はボルドグフーシュとジャスティンパレスが迫る中、最大の持ち味「粘り強さ」で戦闘を譲らずゴール。レコードタイム!!
父のような分かりやすい強さがある訳では無いですが、彼の粘り強さは今も多くのファンに愛されています。
その後調子を落とし苦戦が続きます。夏前の宝塚記念を終えてリフレッシュして秋以降頑張ってほしいなと思っていた矢先の事でした。
彼はあまりにも早く虹の橋を渡ってしまいました。4歳の夏。競走馬によってはここから全盛期という子もいる年齢です。
死因は熱中症。少なくともGI級を勝利した馬では前例がありません。また、この時JRAはここ数年の酷暑対策を打ち出していたタイミングでした。
もちろんこれは誰が悪いというものではありません。それ故に当時は気持ちの整理がつきませんでした。何故彼なのか。何故前例のない熱中症なのか。何故無理をしてでも見に行かなかったのか...
彼がまだ生きていたら、もしかしたら今も名勝負を繰り広げていたかもしれません。あるいは引退して次の世代に夢を託していたかもしれません。ひょっとしたら気楽に見に行ける誘導馬や牧場のマスコットだったかもしれません。あまりにも早すぎる別れに今もたくさんの「もしも」が溢れてしまいます。
今はただアスクビクターモアが向こうで元気に走っていること、そして今とこれからの全ての競走馬たち、競馬に携わる方々の素敵な「もしも」が1つでも叶うことを願わずにはいられません。
「混戦の菊に2頭!!
ボルドグフーシュ!
アスクビクターモア!!
接戦の菊花賞になりました!!」