皆さまこんばんは(≧▽≦)

お越し頂きましてありがとうございます。



今からめちゃくちゃ頭がおかしい事を書きます。



もしかして、心の中で「この世界には恐れというものがある」と信じている信念を持っていて、【恐れ】を1ミリでも信じていたら、


本当は1ミリも愛を信じていないのではないでしょうか?


愛を信じていないというか、愛が実は心の中に(というか奥底に?)入らないというか、そんな感じではないかと思うんです。


でも、もしそうだとしても、子供の頃は皆意識していませんが、愛を感じずに生きていくことってできないと思うんです。なにかしら愛や優しさを体験して生きてきてしまうと思うんですよ。



このことにより、「愛は愛を信じている信念がなくてもちゃんと体験できる」ということは、愛は存在しているもの。心の世界に存在しているので、この世・現実世界でもちゃんと体験ができる。


この愛と同じものが、私達やすべてのものの生命、意識とエネルギーだと思うんです。これらのものが「存在しているもの・在るもの」の力強さと素晴らしさだと思うんです。



さて、そしてこれらと反対のものが

「恐れ・エゴ/自我意識・不安・怒りという感情」はこれらのものがあるんだ。と信じている信念をもっていないと実は体験できないものだった。

というけっこう前代未聞(今までに聞いたこともないような珍しいこと)だったんだと私には気づきがきたんです。



このことが私達地球で生きているみんなで奥深くの潜在意識で決めた最大の惑わしなんじゃないかと思うんですが、今同じような気づきがきている達人様はいらっしゃらないだろうか????(・–・;)ゞ


ちょっとまとまっていないんですけれども、おおよその投稿はこれで終わりです。アセアセ



スピリチュアルの達人様なら体験であると思うんですけれども、最初は恐れを感じつつ色んな物事に挑戦していたら、あれ?いつの間にか恐れを感じなくなったな。と思うことってあると思うんです。


それは慣れていった。ということが主だとは思うんですけれども、潜在意識からだんだん恐れが薄れていった。→この事が恐れを信じなくなった。なんではないかと思うんです。



そして1つ注意点がありまして

もし、仮に私の投稿がそうだとしても、

今までと体験の仕方がごろっと変わるということではありません。スピリチュアルの情報を見てたらどうしてもこう思いがちな部分があるんですけど、普通の日常生活ありきでの自由な意識使いのお話になります。


ちゃんと自分と体感してきた方はごろっと変わります。でも、知識だけで見てくださっている方はどうしても思考が思い込もうとします。私もそうでしたガーンだからこのような書き方になります。




最後までお読み頂きまして

ありがとうございました。