最近、自分の中で普通になってきた『スピリチュアル』という言葉ですが…

 

そもそも『スピリチュアル』ってなに?

 

ということで、Wikipediaでポチっとしてみました。

 

英語のスピリチュアル: spiritual)は、ラテン語の spiritusに由来するキリスト教用語で、霊的であること、霊魂に関するさま[1]


英語では、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、の、聖霊の、の、の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味する宗教形態[2]


キリシタン用語としては、ポルトガル語読みでスピリツアル、すぴりつあると表記される[1]

キリスト教
  • キリスト教神学におけるスピリチュアリティ(霊性)は、霊性を参照。
ニューエイジ・心霊術
医療・ケア
音楽
Wikipediaから抜粋
 


 
宗教的な意味から、医療、音楽に至るまで様々な解釈があるのだと気づきます。
 
そこで、自分のスピリチュアルという考え方は何処に近いのかな?
 
と、考えてみた結果『医療』の分野が近い気がします。
 
そこで、またポチって見ました(笑)
 
 


 

スピリチュアルケアspiritual care)とは、「生きがいを持ちやすい人生観」への転換を推奨し、人生のあらゆる事象に価値を見出すよう導くことにより、人間のスピリチュアルな要素(心あるいは魂)の健全性を守ること[1]である。


ウァルデマール・キッペス(Waldemar Kippes)は、「スピリチュアルケアとは現代人のスピリチュアルな生活のバイタリティーおよびその深さを育成する援助であり、他者や神や自分自身の内面的なニーズに応対する、人間としての成長を示し、育成するものである」と述べている[2]

Wikipediaから抜粋


そうすると、スピリチュアルケアという言葉が出てきました。
 
何やら医療関係では重要視されてるみたいです。
 
上の記事を見てみると、確かに生き甲斐だったり自分の人生観というものは自分自身で考えていてもなかなか答えが出てこなかったりします。
 
自分がどのように生きて行くと健全な生き方ができるかなんて想像もつかないですよね •́ω•̀)?
 
 
 

概要

(スピリチュアルケアは末期がんケアの現場で盛んに用意られてきた言葉だそうです)

 

なぜ生きているのか」「何のために生きているのか」「毎日繰り返される体験の意味は何か」「自分はなぜ病気なのか」「自分はなぜ死ななければならないのか」「んだあとはどうなるのか」「人間に生まれ、人間として生きているということはどういうことなのか」などの問いは、人間誰しも抱えている[2]


スピリチュアルケアというのは、こういった問いに真正面から対面し、探究し、健全な解決へと向けて、絶え間なく働きかけることである[2]


人は、誰でも、元気なときでも、何かしら「スピリチュアルケア」を必要としているという[3]


ましてや、病気になったとき、どうにもならない困難と対峙したとき、死に直面しているときなどは、なおさら、適切なスピリチュアル・ケアを提供を受けることが、大きな救いとなる[3]


ところが、現代西洋医学は、「APPARATE MEDIZIN(機械医療)」、つまりハイテクノロジー重視の医療へと変化してしまったため、もはや西洋の古来の伝統的医学とも異なり、また現在も用いられる各文化圏の伝統医療とも異なったものとなってしまってい、現代西洋医学の従事者の多くは、病んでいる人のスピリチュアル・ニーズや、その切実な叫びを理解できなくなってしまっているという[4]


おまけに、現代社会全体が、若さ・バイタリティー・美などばかりを高く評価しそれに言及することが多い一方で、苦しむこと・病気の状態を生きること・死ぬこと・宗教的なこと、といったことがらについては、普段、タブー視する傾向がある[4]


しばしば病は突然やってくるものであり、そのような場合、人はスピリチュアルな痛みを感じつつ、「自分は何のために生きているのか」「死んだあとはどうなるのか」といったスピリチュアルな問いを行う。


臨床スピリチュアル・ケアはこういった場で生まれている切実なニーズに応えている。

スピリチュアルケアは、身体的ケア・精神的ケア・心理的ケアにまさっているともされ、また、人間の究極的なケアともされる[2]


飯田史彦は、スピリチュアル・ケアとメンタル・ケアとの違いは、メンタル・ケアが「とにかく大丈夫ですよ」などと答えをあいまいにしたままであるのに対して、スピリチュアル・ケアにおいては「人生についての根本的疑問」に理路整然と回答し、納得を得る必要があることだとしている[5]


スピリチュアルケアは、その実施のためには十分な教育と訓練が必要とされるものである[2]


スピリチュアルケアは、各国の現場では、主要な宗派の用語や人々の言語習慣などを汲みつつ「PASTORAL CARE パストラルケア」(英・米)「SEELSORGE 魂の配慮」(ドイツ)などとも呼ばれている[注 1][注 2]


日本の医療界におけるスピリチュアルケアの状況は、必要性についての認識が十分に育っておらず、位置づけも不十分で伝統が確立していない、とキッペスから指摘された(1999年)[6]


その後、2004年にはスピリチュアルケア研究会が愛知県で、2007年には日本スピリチュアルケア学会が関西で設立されるなど、徐々に進展が見られる。

 
Wikipediaから抜粋
 



すごく重要なことだと思います!

 
でも、死ぬ直前に考えるより自由に動ける今、考えた方がその後の人生にも奥行きが出てくるのではないでしょうか?
 
今、病気で苦しんでる方がいるとするならば、『今考えた方がいいですし…今、健康であれば、『今』考えた方がいいと思います。


 
 健康である、自分の結論ですが…



なぜ生きているのか?

と言う意味を考えるよりも、『今』どのようにして生きたいのか?



何のために生きているのか?

生きているのだから『今』どのようにして生きていこうか?



毎日繰り返される体験の意味は?

体験する事に意味があり、自分の個性を発揮出来るステージでどのような自分を作っていこうか?


と言う、新しい疑問が湧いてきます。


この様に自問自答しながら人生を送る事が『今』を生きると言う事に繋がっていく気がします。

勿論、これは僕のカラーの出し方がこうだから『皆さんも同じようにした方が楽ですよ』

とか言うつもりは一切ありません。

1人1人自分の持っているカラーは違います。

そして、同じカラーでも出し方だって100人いれば100通りのカラーの出し方があるはずです。

人には1人1人、個性があります。

誰一人、同じ時間、同じ顔、同じ人生、同じ人間関係、同じ性格全てが同じ人なんて存在しません。

双子だって同じく、違う人生を生きています。

同じ両親から生まれ、同じ家で育ち、同じ顔ですが、同じ時間に起きて、同じ時間に、同じ友人と全く同じ遊びをしたり、同じタイミングで、同じ料理、同じ素材のものを口にするなんて無いはずです。

自分は、唯一無二の人間に生まれて唯一無二の人間体験をしています。

例え、それが良いこと悪いこと関係なくです。


同じ人間はこの世には存在しない…


この見方で自分を見てみると…


凄く自分が貴重な存在に思えて来ると思います。


だって、この世でたった1人の個性をもった人間なんですよ?


誰かに認められたいですか?


その前に出来ることがあります。


自分で自分の存在を認めてください(^-^)


そこからが


僕の考えている『スピリチュアル』のスタート地点だと思います。


自己肯定感


これが僕の『スピリチュアル』と言う考え方の答えです(^-^)