今年いっぱいでいま住んでいるところの更新が来る。

家賃的にも広さ的にも引っ越そうかと思っているが、

想定している範囲でこれ以上広くすると家賃が上がる、

ちょっと場所を変えるべきだと思い、いろいろ探してはいるが、

ピンと来ない。

いまの家も契約するまでに、約30軒は見たんじゃないか?ってぐらい、

ある意味、物件内見ヲタク。笑

そこなへんの不動産会社の営業より、物件詳しいよ!たぶん。

親からは毎月数十万の家賃を払うなら、家買っちゃいなよと

言われることは多々あり、そんなことを思うこともあるが。。。

と踏ん切りがつかないんだよね~

ずっと同じ場所に住むのもね~

賃貸にして利回り目的(投資)ならありかも。

ひとまず見てみるかな。

19歳から23歳までカリフォルニアにいました。

その頃は、なんも不自由なく家も借り、多国籍な人たちと住み、
仕事もしていました。

英語もわからない単語は数多くあったけど、
違った言い回しで説明できるだけの英語力があった。

帰国して約10年
言葉って忘れるよね。。。

学校行って、あの時の英語力、いやそれ以上の力を身に付けたいな。

自己紹介にも書いてますが、
アメリカにいるころ、よく公園でサッカーをしていました。
メキシコ人と。
名前を言っても、 ナカタ~ナカタ~ と呼ばれ、
中田英寿さんの影響はここまで及んでいるんだと感心したものです。

そんな中、ある時、
メキシコ人と接触し、すんごい痛みに襲われその場でダウン。
みんなが集まってきて(ほぼメキシコ人)、僕を囲み、
いや~って顔して、“OK、OK”と。
自分で接触をした右足を触ると、骨がぼこぼこしてる。。。

しばらくすると遠くから、救急車と消防車(アメリカはセットできます)

広い公園内にタンカを持ったレスキューが走ってきて、
そのままなすがままに病院へ。

ERに運ばれ、処置されるまで4~5時間痛いまま待たされ、
伝えられたのは、右足の複雑骨折・・・

ひとまず包帯ぐるぐる、固定され、
2週間後に手術ですと。。。

言われるがまま、2週間後に病院へ行き、
全身麻酔かけられ、手術し、右足にボルトを入れられ1日だけ入院。
その間あまりにも痛いので、モルヒネを打たれ、
ふわふわしてました。笑

その後は、経過報告や抜糸などで病院に通っていました。
しばらくすると、家に請求書の数々が送られてきた。
救急車や病院、薬代、最初は100ドル、500ドルと加算され、
まあ海外保険入ってるから大丈夫だろうなんて、だろう運転をかましていたら、
あれよあれよと加算されていき・・・

合計1,000万円以上!!!!!

(余談)
あとで知らされるのだが、
執刀してくれた先生がUCLAのスポーツ医学の有名な先生で、
2年後に日本でボルトを抜く手術をしたとき、日本の先生が
キレイな傷口を見て関心していた。

(話は戻り)
僕の海外保険で摘要される保証額は250万円。。。
え?足らないじゃん。。。
どうする?どうしよ?

一応病院や各請求書が来るところにもこの保証額を伝えても、
まったく対応してくれず。。。
日本の家族は冷や汗もん。
電話で家族会議。

仕方なく弁護士にお願いすることになり、この件については、
弁護士にお願いすることになり、1年間病院と交渉。
(その間も病院側からは追加の請求書や支払い催促状が送られてくる)

こっちとしてみれば、いやいやそんな費用かかるなら事前に言ってよ。
病院側は、済んだことだから払ってよ。

ってな感じ。

この交渉していた1年間は気が気じゃなかったし、
病院側も全面的に払ってよ~スタンスなんで平行線。

まあ結果は、アメリカっぽい結末?で。
僕のビザが切れて日本に帰らなくてはならないことを
病院側に説明しに言ったら、
あっさり “保険の適用内の250万円でいいよ” と。
え?まじで?
僕としてはありがたいけど、いままでの交渉はなんだったの?

憶測としては、このまま本人がアメリカからいなくなって
交渉が面倒になるよりかは、取れる範囲内で取っておこうと
思ったんだろうね。
一件落着と言いたいところだけど、アメリカはほんとイイカゲンで
その結果が各方面にしっかり伝わっておらず、
その後も数年僕へ請求書と催促状が送られてきたとさ。

保険は大事だよ~



たぶんその道を行った方がいいのかもしれない

でも、やり通すには自分が決めた道でないと

確実に後悔すること間違いなし!

やれなかったのは自分のせい

覚悟できなかったのも自分のせい

過去はもうどうでもいい

いま!

いまの自分が未来の自分を創る

険しい道かもしれない

でもやってみよう!

だいたいの人は経験したことがある学生時代のクラス替え、
仲良い友達と離れ寂しい気持ちと、新しい友達ができるドキドキ感

こんなことを大人になっても共感できるビジネス

懐かしさの中にいまの時代に合ったビジネスがある。