と言った私に微笑んでくれて
私も笑った
それが最期に交わした笑顔でした
Mさんと私が始めて出会ったのは、私が生まれた年
1982年の6月頃
Mさんによると顔を見に来たのに、私は良く寝てたのだそうw
私の住む地域はとっても田舎でみんながとっても身近。Mさんの家と私の家は2キロほど離れているのだけど、歩いて出産祝いを持って来たのだと言う
私の家に始めての女の子。だから見にきたんだって
2回目に出会ったのは
小学5年生の時。祖父母参観日という学校行事で地域のおじいちゃん•おばあちゃん全員を学校に呼び寄せ、色々教えて貰うという行事
そこで同じチームになって一緒に花瓶を作った
特に手も口も出さず私の好きなよーに作らせてくれたのを覚えている
それが、ちょっと寂しかったこともちょっと覚えてる
3回目に出会ったのは
介護福祉士として介護施設に就職した時
Mさんは私が就職した時にはその施設で4年以上は暮らしてた
そこから大変お世話になることになる
お昼前、自力では起きれないMさんを起こしに行く
すると
一本飲んで行きなさい
とコーヒー味又は抹茶味の豆乳を勧めてくる
最初はずっと断ってた
断ったら
嫌いなの?
と聞かれるから
好きだよ
と答える
じゃあ遠慮しないで飲みなさい!
と怒られた
最初は怒られても断ってた
でも、沢山お話して仲良くなってく内に断らなくなった
豆乳を飲む間
あーでもない
こーでもない
と愚痴やらなんやらを話す時間になった
私はその時間を
給水ポイントと呼んでた
お互い笑ながら話すのが好きだった
仲が良かったのは私だけじゃない
職員みんなが、Mさんの優しさに癒され元気づけられた
Mさんは生活の殆どを介助なくしては過ごせなかった
本人も頑張り屋さんで痛いとか泣きごとはあまり言わなかった
だからみんながいつも心配してた
いつも体が痛くて辛いはずだから
5・6年前毎日のように面会に来ていた旦那さんが亡くなった
突然死
いきなりのことでMさんも信じられないようだった
葬式は行かなかった
行きたくないって自分で断ってた
葬式の日
いつものようにベッドで寝ているMさんを起しに行った
ベッドで横になり、自分で涙も拭けず泣いていた
でもなんて話しかければいいかわかんなくて黙ってたら
お父さん死んじゃった
と一言言った
涙を堪えながら涙を拭くことしかできなかった
私が体を壊して、職場を辞めなきゃいけない時
プレゼントをくれた
ピンクのストール
体に気をつけなさいよ
と一言添えて
その場で笑顔で
家に帰ってから泣いた
私が職場復帰した時には、喜んでくれた
おかえり
って笑顔で言ってくれた
すごく嬉しかった
部署移動の時も一番初めに報告した
会えなくなるわけじゃないから
また、愚痴りに来るから!
って言ったら笑ってた
今年の8月に入って調子が悪くなってからは
なるだけ会いに行った
部署が変わっていつでもお手伝い出来ない立場になってしまったから
少しでも関わっていたかった
2014.7.7
遅番の入りで会いに行って
笑顔を交わしたのが最期
その日の23:58旅立って行ってしまった
最期は眠るようだったという
それまで、とっても辛そうな様子も見てたから少し安心した
今日通夜に行った
ご家族のご好意でお顔も拝見出来た
とっても綺麗で寝ているみたいだった
職員全員の心にぽっかり穴があいた
もちろん私もそう
誰かを失うたびに穴が空く
その穴は誰にも埋められない
埋められるのは、穴を開けた本人だけ
穴はあいたけど
時間をかけて思い出で埋めて行ってくれる
いい思い出だけじゃないけど
いい思い出だけじゃなくてもいいと思う
私に出来るのは、生きていくことだから
生きて、自分が出来ることをするだけだから
とってもシンプル
いつも霊前で手を合わせて言うことはこれだけ
私がそっちへ行くことになったら、また沢山お話しようね
また会えるよね


