忘れる感謝の心
亀徳新港
9時10分頃のムービー
霧がおおすぎて、島の街並みが見えない……
展望デッキで沖縄に帰省する「ヨザさん」と言う人とお互いの地元話をして盛り上がった。
方言、言葉の壁は想像以上に厚いらしい…
俺がここに来るまでの間も、そのギャップを感じた。
最初は、各地の方言が聞き取れないかもしれないという不安もあったが、どうやら逆でもあった…
千葉を含め、関東圏の人間はほぼ標準語…その標準語を聞き取られなかったりた時には軽く戸惑った。
千葉にも房総弁っつうのがあるらしいが、話せる人はほぼいない。
東京は全国から数多くの移住者の集合地帯、経済の中心部であるからなのか、標準語を当たり前としてる。
ヨザさんが言うには、沖縄から九州福岡に移住して言葉の違いを感じ、「名前」に関しても国の違いを知ったと言う。
「ヨザ」…こっちでは聞かない名字。
沖縄の人からすれば、本土では当たり前にいる「鈴木」「田中」「高橋」「佐藤」と言う名字は珍しく、福岡にきて初めてその名前の人を目にした時は、軽く感動したほどだという。
沖縄、九州、中国、近畿、関東圏から離れた国の人は「東京」に憧れを抱く人は多いと聞く。
千葉と言えばディズニーランド、地方の人からすれば必ず一度は行ってみたい名所のようだ。
自分らは車で1時間もすれば東京にいけるし、ディズニーもすぐ近く、なんでも揃ってるっつうのが当たり前の環境にいる。
地方の人らが都会に憧れるのと同様、こっちの人間も海に囲まれた沖縄や、にぎやかなイメージの関西などに憧れる人も少なくはない。
「東京タワー」観光名所だが、その地元の人間を含め、千葉の人間もそこまで興味はない。車で首都高を走ってれば必ず見える。
そこで思った…「当たり前」その感覚ほどつまらないものは無いなって。
ヨザさんからすれば沖縄の楽園は楽園でもなく、ただ落ち着ける故郷。
沖縄の地元民が沖縄を観光するわけもない。
お互いの地を知り得てみないと、普段の生活で気にもとめなかった地元の良い所が見えないままだと思う………。
映画やドラマの題名になった「東京タワー」
俺はドラマの方をたまに観てた。
あれは良い内容だと思う。
故郷を離れて上京、様々なギャップを感じ、都会の波に流れされ厚い壁にぶち当たる、そこにはのどかな自然もなく、農作業をする姿も無い。
でも時が経てばその波に逆らわず馴染んでいく…当たり前の環境になる。大事なもの、忘れちゃいけないものを忘れていく……。
周りに揃いすぎた環境、金があれば飯でも新品の服でもなんでも買える。
「東京タワー」の内容には関係ない話だけど、実際にこのドラマ話は全てに共通するものを感じる。
ありがたみ、誰もが忘れがち。
今ある自分を、見つめ直せる機会があれば、今おかれてる環境、誰かがいてくれたおかげで今の自分が存在できてる、そのありがたみを感じれると思う。
ちなみに、ドラマ「東京タワー」は、親への感謝、親がいてくれたからこその自分、そんなありがたみを伝えてくれる内容である。
ニート、親がいるから家がある、だから甘えてられる。自分を鏡で映して自分の甘えたるんだ、当たり前にいる環境を見つめ直したほうがいいと思う。
一人ではない、どんな時でも必ず………


