以前は…なにかそう思えるもの
例えば、人の
"こうするほうがいいよ"とか
"こう考えるほうがいいよ"とかっていう
目標になるような言葉が先にあって
『私もこうなりたいな』『こうできたらいいな』っていう願望が、そこから派生していく感じだった
でも、最近はこうしようという思い切りがあってから、再確認させられるような言葉に後から出会うようになったという感覚があります
ほぉ、こういう考え方もあるのね
じゃあ実践してみよう
↓↓↓
そうそう
こうするのって面白いほど楽なんだよね
これすごく良くわかるわ~
こんな風に変化した感じ
いつもこんな意識があるわけじゃないけど
ふと実感として感じる事がある
友人と話していて、日本人っていうのは
子供がいれば親として世間体を気にしたり、なんとか今の生活にマシなところ探しだそうとするし、変化を恐れる人が多い
そういう人は変われない
こういうことを言われたわけだけども
それを聞いた時に、そりゃ変わらないというのは一種の安心感があったりするから、そう考える人もいるだろうね…とは思ったものの、自分がそういったことに安心感という魅力を全く感じなくなってることに気がついた
昔の私であれば、あらゆる不安から10年以上あるブランクを理由にして働くことも躊躇っていただろうし、モラ夫を切り捨てることに家族としての罪悪感もあったりして、なんとかこの生活のマシな部分を見つけ出し、変わらないで済む道を選ぶようなまねをしてたと思う
今はそれがない
今よりマシじゃない状況ってなに(笑)
これを続けるメリットが私にある?
夫という至近距離にいる人間から、俺を満足させろという際限のない要求をされ、ある意味サンドバッグにされ、いわれの無いことで責任をなすり続けられ、ストレスから体調までおかしくなって…こんな中に1つでもマシだと思えることを見つけて、今を継続させようとするほどトチ狂った自分はもういない
だから、とやかく言うのをやめて働きに出たわけです
もう行動あるのみ