お豆腐☆双極性障害、ADHD、糖尿病のなるべく前向き日記
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神経質になる

人前で咳をすることがこのコロナ禍で怖いですよね。

今日は久しぶりに映画館で映画(千と千尋の神隠し)を観ました。
最後のエンドロールが流れるときに飲み物の残りを飲んでしまおうとしたら、果物のかけらが喉に引っかかってむせてしまいました。

シーンとしている暗い映画館の中で咳き込む人。

嫌だ。

必死に止めようとすればするほど咳き込むのが酷くなってしまい、危うくパニックになりかけました。

必死に相方に合図してバッグを取って出口へ。

トイレに駆け込んで、ハンカチを口に当ててみたり、水でうがいしたり。

そこでも咳の音が響いたらいけないとまた必死になってしまって、パニックになりかけ、咳が酷くなってしまいました。

最後には吐きそうにまで。

自分を落ち着かせて、やっと落ち着きました。

この時期、人前で咳が出ることがどんなに神経使うことか。

その前に劇場に入る時のサーモグラフィーが赤く点滅したのもすごく怖くて、、、。

マスクを顎にして顔をはっきり出したら青くなって平熱だったのですが、時間が迫ってるのもあり、ものすごく焦ってパニックになりかけました。

予想と違うことやいつもと違うことが起きると焦りすぎたり、パニックになりかけるのはADHDでしょうか?💦

入場時のこともあり、咳がでたことですごく焦って怖かったです。

映画はとても面白かったし、観に行って良かったので、結果良かったんですが。

本当にちょっとの咳でも神経質になってる自分にもびっくりしました。

『誰でも出来ることが出来たらすごくないんですか?』

『誰でも出来ることが出来たらすごくないんですか?』

大好きなドラマ「僕らは奇跡で出来ている」の中の主人公のセリフ。

すごいところを100個言うところでこのセリフです。

誰でも出来る「顔を洗う」「歯を磨く」も出来たら凄い!

うつ病や双極性障害などで寝たきり状態になるとこの「顔を洗う」「歯を磨く」もキツくて一仕事の時があります。

本当に毎日必死でこれらをしています。
普通の人は簡単に出来ることでも私たちにとっては「凄い」ことだし、

この主人公は人が簡単に出来ることでもやれたらすごいと言っていて、本当にこの言葉に心救われる気持ちでした。

みんな偉い!


生かされる命。最初の頃を思い出してみよう

初めて病院に行った頃のことを思い出してみようと思います。

新しい仕事について確かバイトみたいな感じだったけど、事務の仕事をしていた。
ある日、生理痛が酷くて仕事を休んでしまった。
前から生理痛が酷くて、生理になると休むほどキツかった。

積み上げたものが優れ落ちる音がする。
そんな感じがした。砂の城だ。波がきて全部根こそぎ持っていかれた。
生理が来るたびにそんな気がしていた。

新しい仕事のお給料が入る前で生活に困窮していて、携帯のお金を払えず外の公衆電話までお腹を押さえながら電話しに行った気がする。

そして、次の日。
お腹が痛くてのたうち回るほど。
公衆電話まで行けない。
何かがプツンと切れた気がした。

真面目だった私がもうどうなっても良いと思った。

無断欠勤。次の日も。

それから、何日そうしていたのか分からない。
きっと生理は終わってたはず。

その頃の記憶がほとんどなくて、ずっとベッドに横になっていた記憶しかない。

ご飯を食べていたのかその記憶もない。

その後の記憶は、妹が異変を感じたのか家に来たこと。

「開けて!」という声。

妹の顔を見て号泣したこと。
それだけ覚えている。

それからの記憶もまたプツリプツリと途切れていて、何故か妹と温泉センターに行ってお風呂に入ってご飯を食べている映像。

妹と病院の待合室にいる映像。

病院では、女性の方から細かく今の状態などのカウンセリングみたいな問診?があって、その人が先生かと思ったら、また待合室に待たされて呼ばれたら違う男の先生だったのを覚えている。

ずっと頭がぼーっとしていて、何を話したのかも覚えていない。

とにかくあの頃のことはほとんど覚えていない。

それからはひとりで病院に行くのだけど、待合室で人の大声がするだけで泣き出してしまったり、近くに人が座っただけで怖くてしょうがなかった。

スーパーにやっと買い物に行った途端に激しくお腹を壊して、ずっとトイレを行ったりきたりしたのを覚えてる。

病院も外も怖かった。

会社は結局行かずにそのまま手紙を書いて辞めることになった。
ちゃんと謝ることもできなかったことが悔やまれるが、あの頃に自分には何も出来なかった。

本当にあの頃は記憶が曖昧で、何をした記憶もない。

ただ、病院に必死で通った記憶だけ。

もしかしたら、あの時妹が来ていなかったら、死んでいたのではないかと思う。

どうやって生きたのかも曖昧だけど、とにかくずーっと頭がぼーっとしていたとしか思えない。

悲しいとか感情も何もなくて、死にたいという感情もなく。でも生きたいという気持ちもなくて。
ずーっと天井を見ていたような気がする。

そこからまた苦しくなるんだけど。

ともかく、生きてて良かったと思う。

その頃からしたら、ちゃんと生きてる。
感情も波はあるもののちゃんとあるし。

あの頃はただの生きたしかばね、空気の人形だったのかなと思う。

希死念慮は今でもあるけど、あの頃のとは違う。

生きるためにあがいてる証。
多分、今は生きたいと思ってる。

生きたいというよりも生かされてる命だから、全うしなくてはいけないと思ってる。

あの時、トリガーは生理痛だったけど、きっと他にも色々あって限界だったんだろう。

ちなみに生理痛は腺筋症とか内膜症とか色々あってのちに子宮を全摘の手術をすることになる。

あの時死んでいなかった命はきっと生かされてたし、震災があったときに、とっさに命を守る行動をとったのはただの本能だけではないと思う。

何が言いたいのかごちゃごちゃ分からなくなったけど。

あの頃には戻りたくないってこと。

それより今はすごく良くなったと思うし、良くここまでやってこれたと思う。

まだまだ波はあるけど、ちゃんと乗り越えられるはず。

1番の変化は
「病院は治すところじゃない。手助けをするところ」
って思うようになったこと。
薬は手助けで、治すものではない。

自分自身が変わらないといけない。
し、受け容れないといけない。
そう思えたことで、自分自身が自分のお医者さんにならなくてはと思えたこと。

まだまだだけど。



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