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木根川橋を車で通る
必ずこの歌を想い出す
昔話のような感じで 恩師と話している歌なのかな?
私の音楽の趣味は 絶対父譲りだと思う
志村けん好きも父の影響w
去年 父は中学の同窓会に出席したらしい
高齢の先生を囲む会が目的だったようだけど
先日その仲間らしき人から 先生が亡くなったから
『先生を偲ぶ会』を開くとハガキが来た
中学の同級生にまでは連絡をしていなかったから
まさか担任より先に 父が亡くなるなんて思いもしなかっただろう
今はこの歌を聴くと 何だか切ない気持ちになる
でもやっぱり昔の歌はいいね
この歌もけっこう好きかも♡
ある日 私が実家にいる時のこと
父を訪ねて 男性が来た。
あいにく父はいなくて…
母が代わりに話をしていた。
その人はディーラーだった。
その人が新人の頃からずっと
支店が変わってもずーっと何十年も
父は担当者を変えなかったという。
とっても長い付き合いだと言っていた。
「○○さん(父)には本当にお世話になって
いろんなことも知っていて 尊敬もしています!」
また別の日
父の昔からの知り合いという人がやって来た。
「機械関係において ○○さん(父)以上の人はいない!」
またまた別の日
父の昔の同僚と部下という人が来た。
「あの機械を世の中に広めたのは○○さん(父)でした。
何でも知っていて 本当にスゴい人です!」
そんなふうに 最近は実家に父を訪ねて来る人が多い。
みんながみんな 父を褒め称える。
そして 長い付き合いだという。
面倒見のいい父…
身内に厳しく
自分と他人には甘く
孫には激甘という。
でも ホントに頼りになって
何でもできて
何でも知っている 父を
私は一生尊敬する。
父を訪ねて いくらお客さんが来ても
誰も父に会えなかった…
1月26日金曜日 午前11時53分
父は旅立った。
75歳でした。
救急車で運ばれた時にはもう…意識もなく
いろいろ止まってしまっていた。
その日
私は救急車で運ばれる前に 母の電話で呼び出され
病院まで行ったんだけど道に迷ってしまい
たどり着くのに時間が掛かってしまった。
母のカンはスゴい
この母の電話のお陰で
じいちゃんとばあちゃんの最期も見送れた。
父のことも
母と妹と私で 最期を見送った。
その後は悲しむ隙もなく
見送りの準備に向かった。
お通夜の2日前
母が体調を崩し
妹は母に寄り添うことになった。
そしてその先は長女の私だけで
何もかも取り仕切ることになった。
葬儀屋との打ち合わせをやり直し
旦那と娘と3人で通夜・告別式・初七日をおこなった。
何でも父に頼り切っていた母に
喪主という立場は ツラいだろう…
という
母に対する父の 最後の優しさだと思っている。
私は
救急車で運ばれた病院に行く運転中。
旅立った翌日の寝起き。
火葬場に向かう霊柩車の助手席。
火葬炉に入っていく父を見ている時。
どれも数秒だけ泣いた。
今も気持ちだけは 時が止まっているようで…
まだやることはたくさんある。
日常に戻りながら
ココロはどこかフワフワしてる。
父の形見に
ギターのピックをもらった。
バンドを解散してから
すぐ別のバンドで活動を始めていた父。
辞められなかったんだなw
読経以外の時間はずっと
父が作った自分のバンドのCDを流していた。
ホントの解散Liveだね。
みんなに聴いてもらえて 嬉しいね。
父のそばには お気に入りのギターを置いた。
全てのLiveは 段取りから会場の準備
司会進行とメインボーカル・ギターまでやっていた。
3月もスタジオの予約が入っていたり
まだまだやりたかっただろう…
CDの最後に父の声が入っていた。
曲名【エンディング】
「え~ 最近は暑くも寒くもなく
過ごしやすいのではないでしょうか
・・・・・
また来年お会いしましょう!
長い間 本当にありがとうございました!」
まったく…
自分の葬儀なのに
自分でしめちゃったよw
お父さん ありがとうございました。
母も入院。
救急車で運ばれて心不全。
息ができずに苦しんでいたところ
父と妹が救急車を呼んだらしい。
どうしてここまで我慢したのか・・・?
多分「救急車呼ぼう!」ってなった時も
母は「やめて たいしたことない」って言ったんだろうって予想つく
まわりからしてみたら
息ができなくて苦しんでいる姿がたいしたことないなんてあり得ない
ってなるよね。
でも そう言っちゃうんだよな 私たち。
病院では最初
「延命治療はしますか?」
って聞かれたみたい。
母は肺の半分に水が溜まっていたらしい。
私も救急で運ばれた時の顔色が黒かったって・・・
健康診断の問診票に
『家族の病歴』を記入する欄があって
そこに心臓病とか書いてあったなぁって思って・・・
こういうことか!
母と私は同じような症状で心不全。
ここまで大きな病気をしたことがない私たち
年女の今年
こんなことになってしまった。
そんな母もやっと退院できたのでホッとしている。
肺の水が抜けて息ができるようになったらラクになるんだよね。
息を吸うってこんなに難しかったっけ?
どうやるんだっけ??
ってくらい息ができなかった。
完治は難しく 再入院することも多い病気。
退院したから本当の安心って訳じゃないんだけどさ。
母も私も心臓のポンプは まだ弱い。
私は薬を毎日飲んでいるおかげで
肺に水が溜まるってことは今のところないけど・・・
『心不全』の症状は1つじゃないけど
母と再入院にならないようにガンバロ。
頸椎椎間板ヘルニアのほうは
医者から「ヘルニアは大きいけど 神経がヘルニアに勝ったんだね!」
って言われて
リハビリも個人判断で良いって言われた。
だから やめちゃった。
通うの面倒くさくて・・・(本音)
痛みがなくなったので こっちは終わり。
神経って・・・勝つんだ・・・!?
あと少しで卯年が終わっちゃう。
特別な年にしたかった。
・・・悪い意味で特別な年にはなったけどさ。
そういうのじゃなくて〜
久しぶりの飲み会だった
私は身体のせいで飲食物に制限があるから
途中から参加して ウーロン茶だけで食べずにお話だけしてきた
コロナ禍が続いていて
そんな機会がぜんぜんなくて
こんな身体じゃなかったら 最初から参加したかったな…
とっても楽しかった!
2時間の予定が4時間にもなってしまった
w
お店はメンバーの親のお店だから 貸し切りOK
マスクのない面々も久しぶりだった
こんなことも必要なことなんだな
最近気付いたら プライベートで家族以外と過ごすことがなかったから
こんなに楽しく喋ったのも久しぶり
また集まりたいな![]()
先週 久しぶりに旦那と夜の海までドライブしてきた
この日は 遠くの幕張で花火が上がっていた
今年の夏の花火大会は 運転中に偶然いろんな場所のが見れてラッキーだったよ
空を見上げることも多くなって
でも 夜ばっかりだ
ゆったりした気持ちになるのは
仕事が終わってからだね
心臓も首も
なんか順調らしい





