HuKa's room, -3ページ目

HuKa's room,

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いつからか、喜劇や舞台に曲を付ける様になった。

単純に考えれば他の各作家達に比べそんなに難しい事じゃない。

要は哀しいシーンには哀しい曲を、楽しいシーンには楽しい曲を当てればいいのだ。

ただ、この愚かな考えは若造なりの割り切りと自分を納得させる為の流儀だった。

自分の書いた曲が芝居の中でどんなパーツになり、どんな風に組み合わさるのかなんて

さほど気にしてはいなかった。


ビジネスとして通用する仕事量をコナせるか

いかに短時間で作った作品に良い値を付けてもらえるか

気にしていたのはそういったことばかり。

品質の工夫より能率の工夫で頭がいっぱいだった。



今、思うと生意気だった。



『質』を理解できない者が数字に振り回されてたんだからね。

それこそビジネスの理にもかなってはいなかった。

インチキもいいところである。


ただ‥そんな自分を問題視しなかったのは、そんな仕事でもそれなりに得るものもあったから

だ。



皮肉にもありがたくも成り立ってしまっていたからである。




でも‥現状とは逆に心の奥まで潤っている気がしなかった。




どこかで我慢できなくなってきていたんだろう。

製造マシーンである事に。



それらに少しだけ気づけた時



例えるなら



一日に何百人前のパスタを練る事ができる機械よりも



大量に作れないしコストもかかるが、こだわりのパスタを作れる職人になりたくなった。



それから少しずつ変わってきた。



考え方も作品に対しての関わり方も。



例えば台本を読んで


『彼の腕は見るみるうちにザクロの実の様なケロイド状に腫れ上がってきた。』


…そんな言葉があったとしたら


如何に生々しくそのシーンに音をあてようか


もっと言うと、ザクロの赤をどんな風に表現しようか


その役の者の恐怖や痛みにはどんな楽器のどんな旋律が合うのか


客はそのシーンを見てどんな顔をするのか


そんなことを考えるのが楽しくなった。



ある種、芝居をしている者達の気持ち。すなわち『表現』することの本当の楽しさに気づいた。



アートってそういうものなのかも。



そういうこと分かってから初めて仕事になるのかもね。



俺には一生分からないかもしれないが。


























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