2016年のオリンピックはほぼ見ず、気づいたら終わっていた。
そこに寂しさを抱いた記憶があるので、今年は仕事やプライベートよりもオリンピック鑑賞を優先。
閉会式が終わった今、思った事を綴ろうと思う。
胸が熱くなる瞬間がいくつもあった。
世界で戦う為には全てを犠牲にして打ち込む必要がある。
それも長い年月。
そういった背景を想像すると歓喜にも悲壮にも肩入れせずにはいられず、全ての選手がベストパフォーマンスが出来ますようにという思いで見守っていた。
これは他者に対して行う褒めるべき考え方だと思う。
一方で芸能人のスキャンダルにここぞとばかりに誹謗中傷を浴びせ、その人の陥落を願う人も居る。
これは褒められた行為では無い。
例えその人が陥落したとしても、自分の人生にはなんの影響もない。
ここでふと思った。
なんの影響もない点では、応援も一緒なのでは?
オリンピックを見ていて、戦いを制し歓喜する人を見て心動かされても、次の日にはその感情が薄まっているし自分の人生にはなんの変化も起きなかった。
応援で心満たされる人が居る。
それと同じ様に誹謗中傷する事で心満たされる人も居るんだろう。
辛党と辛いものが苦手な人と同じくらい、両者は分かり得ないだろうな。
もちろん応援が他者の力になり、誹謗中傷は他者を傷つけるという違いはある。
でも、自分にはなんの見返りも返ってこないという点はどちらも同じなのではないだろうか。
だから自分が応援するべき1番の相手は、自分自身なのだろうと思った。