一般的に、メンタルが弱い人のことを「ガラスのハート(脆く傷つきやすいメンタル)」と言われる

 

でも、よくよく考えてみると、強度の差はあれ、人間は皆「ガラスのハート」なんだよね

 

「どんな不幸が起こっても、最愛の人を失っても、自分は傷つかない!メンタル壊れない!常に前向きに生きて行く!」

 

そんな人間がいたら、それはまだどん底を経験したことのない人か、或いはターミネーターみたいなロボットだね

 

「最愛の人を失う」

 

という

 

「人生において最大の不幸」

 

を経験したら

 

「心が壊れて当然」

 

なんだよね

 

一生忘れることは無いどころか、思い出そうと思えばいつでも鼓動が高まり胸が苦しくなり心臓を悪魔の手で直接握られているような感覚になり罪悪感に苛まれる

 

 

それでいい

 

 

割れた心のガラスの破片を、何年も何年もかけて補修してゆく

 

 

元の通りに戻そうと努力する

 

 

でも、一度割れたガラスのグラスをどんなに補修しようとも、破片を元通りに繋ぎ合わせても、ツギハギだらけで、全くの元の通りに戻ることは決して無い

 

 

人間の心も同じ

 

 

何年もかけて、壊れた心を繋ぎ合わせて、一見、元の通りに戻ったように見えても、それはツギハギだらけの器

 

 

わずかな衝撃をきっかけにすぐにほころぶ

 

 

それはもう仕方がない

 

 

割れたガラスが決して元通りに戻ることが無いように、壊れた心も元通りに戻ることは出来ないのだから

 

 

「愛してるから悲しい」のだから

 

 

その時嘆き悲しんだのは愛していた証拠

 

今でも嘆き悲しむのは愛している証拠

 

 

どうせ割れてしまったんだ

 

無理に元の通りに戻そうとあがくのでは無く

 

モザイクアートのように、割れたガラスには割れたガラスなりの表現方法があるはずだ

 

 

嘆き悲しむのはネガティブでも何でもない

 

寧ろポジティブな心の発動だ

 

だって大切なあの人への愛情表現なのだから

 

 

惜しむらくは、生きている時に、この愛情を100%伝えられなかったことだ

 

 

 

 

でも、それはそれでいいのかもしれない

 

 

 

 

自分が逆の立場だったら、きっと、言葉を交わさずともその愛は伝わっていると思うから

 

 

映画「ゴースト」のように、何とかして遺された人にその思いを伝えようと思うだろう

 

 

それでも今日も、繋いでは崩れ、崩れては繋ぐ、割れたガラスの破片を積み上げ続ける

 

 

ある意味、この経験こそが人生の本質なのかも知れない

 

 

どの道、十数年後、数十年後には再会できるんだ

 

 

ここまで嘆き悲しめるほど、人を愛することが出来て自分は本当に本当に幸せだ

 

 

ありがとう、ありがとう。。