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誰かを100%の気持ちでずっと好きでいるなんてことはきっと奇跡なんだろうと思っていた。
ずっとそう思っていたし。きっとそうなんだろうと思う。

自分が今までお付き合いしてもらった女性とは、結局何かしらの理由で別れてきたわけで、別れたから次の人と出会ったわけで。

愛を誓って結婚しても、きっと最後にはお互いが空気のようになって、愛情はいずれ愛がとれて情だけが残って。

ただ、親父をなくして、最後の息をしているその光景のなかで気づかされたことがある。
情ってきっと究極な形なのかもと。

長年一緒に連れ添って生まれる情って、きっとそんな簡単なものでできてない、それぞれがともに過ごした時間によって成熟されて他の誰にもまねできない内容物で構成された情なんだって。

親父の最後の息を引き取る姿を目の当たりにしながら、ありがとうと必死に叫んで、きっと聞き取ってもらえていないかもしれなくても、聞き取ってもらえてると信じて耳元で叫んでいる母親の姿を見たときに。今まで感じていた情に対する考え方が、根底から覆されていった。

きっと何年も先にともに過ごしてきた親父との時間を、自分が知ることのない親父との時間を含めて、きっとそんな情が形成されていたんだと思う。
自分が愛おしいと思う、胸の奥が締め付けられて苦しいこの感情の何百倍の想いが、きっとその瞬間にあふれでたありがとうなんだと思う。


自分はそんな風に思える人と巡り合えて来たのだろうか、今後もどこかで巡り合えるんだろうか。
きっと親父がそこにいたとしてもはずかしくて聞ける話じゃないけど、でもどこかでいつかもう一度親父に会えるのなら聞いてみたい。
情、きっとそれって究極な形の、居心地のいい空間からうまれる感情の塊なんだろう、そうなのかな?


世の中には色々な人がいて、それらの人に出会うことにより人間は刺激を受けて、影響されて、形成されて、自分ができていく。

この人に出会ったことが良かったのか、悪かったのか。
その場の感覚ではやっぱりうまくわからない。

恐らく後々出会ったことを後悔する人がいたとしても、きっとそんな人と出会ったことによって良くも悪くも刺激を受け。
また自分が形成されていくんだと思う。

ある女性に出会った。
仕事がらみで誘われた飲み会でであった、綺麗だなという印象の方だ。

ふとしたきっかけでご飯を食べることに。
その後、あんなすごい勢いで近づくとは思っていなかった。

もちろん自分は男だから、下心がなかったといえば嘘になる。
ただ、驚いたことにそんな急な展開が、自分でもどこか後ずさりしてしまう感覚に陥った。
生まれて初めての感覚。

まるで、危険だとわかっていながら命綱なしでがけを自ら覗き込んでいる感覚。
落ちてしまうかもしれない。落ちたら戻ってはこれない。

なのにその大きな目や、不可思議な言動が頭を混乱させ、感覚を鈍らせていく。

もしこのままだと、大切な自分の周りの人々をも不幸にしてしまうのかもしれない。

踏みとどまった・・・。
いや、まだちゃんと踏みとどめられたのかはわからない。
ただ、死に物狂いでもがいた一瞬、なにか鎖のようなものからうまく逃れることができた気がした。
もしかしたらまた巻き付いて取れなくなってしまうかもしれない。

この一瞬の正気をとりもどして冷静に自分を見つめられる、見つめられているこの瞬間、感覚だけは忘れてはいけない。


気を付けなければ。






July 16th。
この日時にどんな意味があるのかは、きっとずっと先にわかるのかもしれない。

9:30am、大好きだった父が亡くなった。
66歳という若さだった。

自分が66歳になるまで、きっとその歳をずっと意識しながら生きていくんだと思う。



自分がブログを始めるとは夢にも思っていなかったけれど、父への気持ちをどこかにぶつけたくて、たまたま仕事で疲れた帰りの電車で頭に浮かんだのがブログだった。



まだ最後の父の顔が眼をつぶるとそこに浮かんでくる。
現実とは思えなかった。


いくつもの点滴やチューブで右腕はところどころ瘡蓋になったり、ブルーになっていた。
少し掻いたのかもしれない。
「ペンと箸しかもたない!」
と食器を洗いながらよく母が台所から文句を言っていたくらい、きれいな指先の爪と指の間には奥のほうまで血がついていた。

「お父さん、心不全らしい。呼吸が苦しそうなの。だから病院に行って大事をみて入院するのよ。」
あの時の母は、きっと入院すれば1‐2週間で父が元気に退院すると思っていたんだと思う。
心配はしていたものの、
「だからお母さんの言うことちゃんと聞いて、もっと早めに検査すればよかったのにねぇー。」
と少し笑いながら話していた。

そんな父が入院した後、少し心配になりOfficeから母に電話した。
「思っていたよりも悪いらしくて、ICUに入ってるの。」
え?一瞬心臓が止まるほどびっくりしたが、うちの家系は長生きすると小さいころから信じ切っていたから、その後すぐに「まあ、でもすぐ良くなるんだろうな。」ってなぜか安心していた。

そんな安心が間違っていたことに、その夜弟からの電話があって気づいた。
「夜、こっちに寄って帰れる?」
弟の声は明らかに暗かった。

待ち合わせて弟の嫁さんと3人でファミレスに入った。
テーブルを案内され、
「で、親父はどうなの?」
と聞いたとたんに弟の顔が険しくなった。
「もしかしたらダメかもしれない。」

「ダメ?ダメの意味が分からん。なに??」
どっかで自分も理解していたんだと思うが、何故かそれが怒りに近い感情だった。話をしだした弟が急にくしゃくしゃになり、眼には涙を溜めていた。

「でも、俺らが諦めたらオヤジはがんばれないだろ。しっかりしろよ。」
弟が先に涙を流しながら話し出したせいか、兄としてしっかりしなければいけないと悟ったのか、その場では今でも不思議なくらい冷静に話していた。


6月末にCaliforniaへの出張に行く前に家族でご飯を食べた。
その時には普通に笑っていたし、少し食が細くなったせいか痩せたかなとは思った。
ワイワイとみんなで話しながらご飯を食べて、父はいつものようにソファーに横になっては、酔っ払って寝ていたと記憶している。


そんな父が今、目の前でただその時を待つように、意識もない状態で息をさせられている。
口には気管を確保するためのチューブを銜えさせられ、息をさせられている。
左手のそのきれいな手をぎゅーっと握りしめ、気づいたらひたすら叫んでいた。
「ありがとう。ありがとね。本当にありがとう。」

いつも照れてしまい、正直ちゃんと、ちゃんと心から父に伝えてこなかったかもしれない。
心から本当に伝えたかった。
「ありがとう。親父のおかげですごい幸せだった。親父の息子で本当に良かった。ありがとう。本当にありがとう。」
すでに意識の飛んでしまった父には届いていないかもしれない。
でも、不随になってしまった右半身ではない左耳になんどもなんども叫んだ。

「ありがとう。本当にありがとう。ありがとね。」

涎も鼻水もだらだらと垂れてることもどうでもよかった。
母も弟も、一緒に叫んでいた。
「おとうさん、ありがとね。ありがと。」


まるで現実とは思えなかった。
父が死ぬはずなんてない。ありえない。


人間が死ぬときはあっという間なんだ。
生きるってことって当たり前のようで、でも本当は奇跡のような事なんだ。
最後に父が教えてくれた事だった。