小さい頃は、あんなに簡単に素直に、
「好きだ」とみんなに言えていた。

「好きだよ」と「もっと大好きだよ!」と
返ってくる声に張り合ったり、
照れてもじもじしてしまったり。
そんなやり取りが色んなところにありふれていると思う。

大人になるとなぜ素直になれなくなるのだろう。
なぜ、〝返ってこない〟のだろう。

簡単に好意を寄せても、素直に伝えるのに時間がかかる。
そのくせ他人のちょっとしたところが目について
嫌いになってしまうのだ。

「1番好きだよ!」とか
「カレーよりも好きだよ!」って
自分の好きの目安が分かるような表現をやめてしまったんだろう。
行動で示すのも恥ずかしくて、すれ違い、別れてしまう。

「好きだよ」
って伝えるのにはどんどん勇気が必要になった。

人の目を気にして、自分らしくいることが
あってるのか、迷惑をかけないか、嫌われないかを意識してしまう。

「そんな歳なのにそんなフリフリの服着て」
「男の子なのにお人形遊び」
こういう言葉が自由な心を何度も傷つけて
殺されてきた。

その人の言う“正しさ”を信じてはいけない。

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初めて人を好きになったのは
きっと幼稚園の先生かなんかだった。

だから先生っていうのは罪深い。
色んな人の初恋を奪ってきただろう。

ニコニコ笑って、みんなと手を繋いで。

休み時間には砂団子をいかに丸く作れるかを
皆で仲良く真面目に楽しんでいた。 

子供も大人も昔のことは意外と覚えてるもので、
好きな子に意地悪するような人を未だに許せないでいる。好きな子じゃなくてもそう。

「好きだ」と伝えると、バカにされたり
「うるせぇブス!」と吐き捨てられたりする。

そんな言葉を平気ではくやつを好きになる価値なんてない。

“子供だから”なんて許せなくて、
小学生になれば、同じクラスにいても口を聞かなくなった。

今でもずっと許せない。

そんな過去があったせいで、簡単に人を好きだと言えなくなり、感情を言葉にするのが難しくなった。

そして、自分の性別も無になった。

同性同士は上手くいきやすかった。
なぜならそう簡単に感情を口に出さなくても
態度を見れば分かるからだ。

好きだと思えば近づいて話しかけたり、
遊びに誘ったりすればいい。
誕生日や、何かの記念とかに 大好き!と
伝えたりするくらい。

それが心地よい。

はぁ、この子が異性だったら付き合いたかった。
手を繋いだり、キスをしたり、思いっきり抱きしめれるのに。

そんな子がいた。

自分が大事にできなかった時、大事にしてくれた。

親でもどうしようもなかったのに、
部活に顔を出さなかったり、学校で会うことがなければ、通学路が真逆でも何十分もかけて迎えに来てくれた。

何を話して登校したかは全く覚えてないのに
ある期間から卒業するまでずっと続いた。

「学校行こう」とメールが来ると
その子を待たせる訳にも、行かないと言う訳にも言えないし、外にいるのを確認した親が
「早く行きなさい」と背中を押す。

誰にも会いたくないのに、
キミに会うのは嫌いじゃなかった。

むしろずっと一緒にいて欲しかった。

急に思い出して、
その人が元気にしてるか、
幸せになっているか、猛烈に気になる。

ただこちらから送るような仲ではもうない事が
苦しい。

キミのことがもっと知りたかった。

ああ、好きならなんでも許せるってほんとかな?
 
バレなければ良くって
相手に恋人がいても、こっちを向いて昔みたいに
くっついて歩いてくれたりしないかな。

隣にどんな人が寝てたって、夢でキミによく会う。

忘れた頃、キミが夢の中に出てきて
いつもみたいに話してる。

キミが会いたいって言ってくれれば
すぐにいつ空いてるか教えて時間を作る。

それくらい好きだったんだと思う。

本気で好きになった人って言うのは
こうやって忘れられない人のことだと思う。