大阪万博が終了した。大成功だったのではないだろうか。
東京オリンピックは無観客という状況で、楽しかったのだが、不完全燃焼の
部分もありだったので、その借りは今回の大阪で返してもらった気がする。
 
始まる前はオリンピックの時と同様に、マイナスなニュースばかりだった。
開幕10日後に懇親を兼ねた研修でボランティアセンターに行ったのだが、
そこでも”ネガティブなニュースが多くて大学生が怯えている”という話や、
”本当に大丈夫なのかしら?”と不安がる人に会ったのだった。
私は、”オリンピックも始まる前は本当にネガティブな状況だったけれど、
始まったら真逆になったので、きっと大丈夫ですよ”と話した。
結果は・・・言った通りになったゲラゲラ
 
4月に行ったとき、大阪の街にミャクミャクを付けている人は殆どいなかった。
7月に活動した時は、ボランティアの人がバック等にミャクミャクを
付けていたので、急いでお土産品コーナーに行き、ピンバッチやキーホルダーを
購入し、ボランティアのバックに付けた。活動中にぬいぐるみが欲しいと
聞かれたのだが、主なお店では軒並み売り切れ状態と聞いてかなり驚いた。
8月に行った時には、バックにミャクミャクのチャームを付けている人や、
ぬいぐるみを抱えている子供達、本町の駅ブースにミャクミャクの
ぬいぐるみが沢山置いてあった。1ヶ月前と明らかに熱量が違ってきていた。
その頃から東京の友人達が”やはり万博行ってみようかと思っている”という声を
何回か聞いた。9月に入ると予約が取れないという騒ぎになった。
私は”つべこべ言わずに早く行けば良かったのに”と腹の中で呟いた。
 
朝のミャクミャク像。

活動は、まちなかボランティアだった。
交通案内や、パネルの前でミャクミャクの
ぬいぐるみを持っての写真撮影のお手伝い等が主な仕事だった。
東京からの参加で大丈夫だろうかと思ったのだが、
全くの杞憂だった。
大阪の人は人懐っこく、すぐに受け入れてくれた。
暑さ対策で塩飴を用意していたのを休み時間に配ったら、
”あめちゃん配るなんて大阪の人みたい”と笑われたのだった。
 
大屋根リング。すごい迫力だった
 
会場のボランティアは8月後半の暑い日の朝8時から、
大阪市のパビリオンで活動した。
終了後すぐに、持っていたチケットで再入場した。
残念ながらパビリオンはコモンズ館Aしか見ることが
出来なかったのだが、普段余り縁のない国のブースを
沢山見ることが出来て、それなりに楽しめた。
 
一番気に入ったユキヒョウのフェルト細工
大阪には合計で10日近く滞在した。
ここまで長く大阪にいたことは無かったのだが、
とにかく楽しくて帰りたくなかった。
ご飯は安いし何を食べても美味しい。
会う人も皆親切だった。
 
大阪、最高!!
EXPO2025で活動出来て幸せでした。