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臨床美術ワーク 日々のタネ

臨床美術は、認知症の予防や発達が気になる子供へのケア、または社会人向けのメンタルヘルスとしての美術療法です。勉強会やボランティアなど、日々の記録を公開しています。

「臨床美術」および「臨床美術士」は、(株)芸術造形研究所の登録商標です。

すぐ近くにピカソが来てました。
埼玉県立近代美術館「ピカソの陶芸」展。
なんと嬉しいことに知り合いの臨床美術士さんにチケットをいただいたので、絵にあまり興味のなさそうな旦那も誘い、子供も連れて家族4人で行ってきました。

今日が最終日だったのですけどね。面白かった!
ピカソの陶器や闘牛の絵は箱根の彫刻の森で見ているのですが、
以前よりピカソ作品を面白がれる自分を発見して、とても嬉しかった。

お茶目な顔のお皿。実用的にはあり得ない面白い形の壺がたくさん。壷はフクロウだったり女性のカラダだったり。壺の絶妙な丸みがヒップラインの美しさとぴったり重なっていて、唸る。
フクロウが壺の形になってるのにフクロウ以上にフクロウらしくて、微妙なフォルムの積み重ねが生み出す量感が圧倒的。

子供たちは半立体的な魚が描かれたお皿に興味津々で「手でつぶされてる(つかまれてる?)魚がいる!」と、キュビズムのタッチで描かれてるお皿が迫力ありすぎでした。

墨で描いた闘牛のスケッチなんて、ホントに小さな画面の中に一筆書きのような明快さで牛と人と馬の動きがイキイキと表現されている。
十数年前、箱根で見た時はそんなに感銘受けなかったのにな・・。
墨のクロッキーをやった臨床美術効果?

牛のお尻の量感が墨の濃淡でわかるし、一瞬ゴチャっとした人混みですら臨場感が伝わる。ものの一瞬で目の前の動きをとらえて線描に置き換えられるのは、他の追随の許さないほどの圧倒的な制作をこなしてきたピカソだからこそなせるワザなんだろうか、なんてつらつら考えながら、あちこちの作品に手を出そうとする次女を制止するため、おんぶに踏み切る。重い。

「ねぇ、おっぱいが凹んでるよ!」ふっくらとしたお椀の底に乳首がポチッとあって、タイトルが『胸』。胸は膨らんでるもの、という概念をひっくり返されたり。うむむ。

画面に描かれた2人の女性がどんどんデフォルメされ、コマ送りのように変化していく様子の絵もあって、サバイビング・ピカソの映画を思い出した。

もともとエネルギッシュでパワーがあるからこそ、ピカソのこの制作量があるだろうなと思っていたけど、逆に、常に淀みなく変化し続けているからこそパワーがあとからあとから溢れるんだろうな・・と思い直す。

ピカソは本当に小さい時から美術教師のお父さんに英才教育を受けちゃったものだから、子供らしい絵を描かせてもらえなかったらしい。10代で画家として完成してしまった反動で、常に破壊と創造を繰り返した。

作品の最後が、「喜びの器」。真っ白なお皿の中央でたくさんの人が踊っている。人々の周りを囲むように皿のフチに描かれているのは、太陽と・・あと、なんだろう?
単純なナナメの線描が何なのか悩んでいたら、おんぶしていた次女が「ああ、これ風や雨だねぇ!」「風と雨と雲と太陽が全部あるよ!」と。

は~。私にはわからなかったよ・・。

風と雨と雲と太陽に囲まれながら踊る姿が人間の喜びなんだね。

削りや盛上げの凹凸で描かれているため、色がのっていない、おっ白なお皿。
他のお皿はカラフルなのに、なぜこれだけ真っ白なんだろう。

「ああ、光か・・」
そこでやっと思いつく。

ピカソ作品から放出される周波数が、まったく子供目線と同じなんだ、と思った瞬間でした。

「ナンダコレ」→「変なの」→「おもしろい」
「ナンダコレ」→「わからない」→「つまらない」

思考がどっちに転ぶかは脳次第?
学生時代、何も描かれてない、真っ白な画用紙を眺めるのが好きだったことを、突然思い出しました。

「何を描こうかな~」と、白い画面を前にずっと考えてる時間。

勉強でも、新しいノートをおろす瞬間とか、次のまっさらな新しいページに書く時の気持ちとか。

思い出したってことは、すっかり忘れてたってコトなんですけど。

どうして忘れてたのか?

インターネットが急速に普及しだした1995年頃から、世界と瞬時につながることに魅力を感じ、WEB制作の現場でずっと働いていました。ドッグイヤーと呼ばれるIT業界の進化を肌で感じてきたわけですが、20年近くのうち過労で2回ほど燃え尽きてます(苦笑)

情報を得るのが便利になって、つながりやすくなって、距離が縮み、時間がどんどん早くなり。

家事と育児と仕事と、おまけにPTA役員とか自治会の持ち回り当番とか。
いつも何かに追われてしまい・・。
いろいろなことに時間をかけて丁寧にすることが、とても難しくなってしまいました。

・・・

そんな中、今日は都内で臨床美術の作品を前にギャラリートークをするという試みに参加して、いろんな方とお話してきました。

アナログ表現や偶然性の面白さなど肯定的な意見がある一方で、りんごなど「ボリュームを感じながら描く「量感画」のおもしろさが今ひとつよくわからない」という率直な意見や、「味覚を線や色に置き換えて描くなんて、自分としてはやらされ感があって好きになれない」という意見もあり、あらためて面白いと感じるツボは人それぞれ違うんだな~ということを考えさせられました。

「でもだからこそ、他の人の作品に出会うたびに、自分なんてちっぽけな考え方の中でしか生きてないって思い知らされるのよね」という臨床美術士の大先輩の発言が印象的。

「目の前に現れた現象を楽しむ」
知識としてはわかっていても、イザ現場に出ると・・。

私も質問などしてみたり。もともとデザイナーのせいか、「「こういう感じで仕上げたい」という完成イメージがすでに頭の中にあって、そこに向かって描いてしまう」という悩みを相談したら、プロの画家の方に「観念で描いちゃダメだよ」というご指摘を頂きまして・・・。

「観念ってなんだっけ・・?」


「まだまだ固定観念があるね」
「自分の理想を押し付け過ぎ」(これは旦那に)
「もっと相手を自由にさせてあげなきゃ」
それまでに臨床美術を学ぶ上で講師に言われていたものの、今ひとつ腑に落ちていなかった言葉達が頭の中でぐるぐる。


で。。。帰りの電車の中で
「私、しばられてるんだ!」と突然気がついたんです。


「きちんと子育てをしなくてはならない」
「料理はちゃんと作らないといけない」
「好き嫌いなく食べさせなくてはいけない」
「社会に出て働かなきゃならない」
「こういうふうに描かなくてはならない」
etc,etc・・・

帰宅後、思いつくままに自分がそうしなきゃいけないと思いこんでいたことを
ブロックメモに書いてはくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨て、書いてはゴミ箱に捨て。

そういう無意識に自分に課していたしばりを、今日は、捨てられたという。
いや~私って真面目だったんだなぁ。
なんて、そんなことすら自分じゃ気がつかないものなんですね。


そうしたら真っ白い画用紙にドキドキしてた感覚が戻ってきまして。

その白い画面にですね、見つけたんですよ。
今まで意識したことがなかった「自由」を!

びっくりしました。
これから何か変わるんだろうか?
今回は臨床美術とはまったく関係ないですが、ツイッターでつぶやいたらキッザニア東京に行った様子を教えて~というリクエストをいただいたのでご紹介。

いつも予約でいっぱいなので、興味はあれどなかなか行けなかったキッザニア東京。
「なんで子供は働けないの~」「大人になったら好きなもの買ってやる~」と常日頃言っていた娘たちにはいい経験になるだろうと春休みの2ヶ月前にチケットを予約し、いざ豊洲へ。
子供の職業体験施設かと思いきや、世の中の縮図みたいなことになってました。

飛行機のCA、裁判官、警察官、消防士、医師、バスガイド、などなど主要一通りの職業勢揃い。
街中では「はとバス」が走り、宅配のトラックが走り、子供たちが行き交います。

入場して目に飛び込んできたモスバーガーで最初は店員さん。ハンバーガー作り。ちゃんと手を消毒して、綺麗に具を重ねていきます。

店員さん

「袋に入れたら崩れちゃった~」

店員さん

出来上がりをそのまま持ち帰り、はじめての報酬をゲット。施設内で使えるお金です。

それにしても子供たちがいっぱい。
予約できるお店は一つだけ、お菓子作りなど人気のお店は混んでて断念。
ここならすぐに入れる~と思って入った施設は「グラフィックデザイナー」体験。
おお~母の昔の職業ですよ。
なんとパソコンでポスター作ってます。

グラフィックデザイナー

「できた!」
グラフィックデザイナー

窓の向こうで得意げ。
素材の大きさを考えて、好きな位置にレイアウトしたようです。
結構な大きさのポスターをその場で印刷。さすが大日本印刷。

次は乳製品の商品開発。パティシエみたい。
自分の作ったスイーツには、ちゃんと商品名まで考えて発表してました。
商品開発ノートまでもらって、その後おやつのレシピ開発ノートになってます。
考え方まで勉強になるなぁ~。私もプログラム開発ノートとか作ろうかしら。
キッザニア東京

楽しんでさらに報酬をもらえるなんて、なんて素敵なの!と。
ここでの通貨単位は「キッゾ」です。5キッゾとか8キッゾとかもらってます。
銀行に預けることもできます。
キッザニア東京

稼いだお金で、マルシェに行って野菜を買いました。明日のおかずです。
じゃがいも、たまねぎ、さといも、ほうれん草、りんご、などなど。

マルシェ


働いて稼いだお金で、食べ物が買える。あまったお金は銀行へ預金。
そういう実体験をして、初めてお金の流れを理解することができたんじゃないかと思います。
まさに世の中の経済活動の縮図!とてもいい体験ができました。

後日談。
我が家のお小遣いはポイント制で、お手伝いを1回につき2ポイント。カードにシールが10個たまったら100円のお小遣い、というものだったんですが。

ウチだけのお金を作ったらどんな感じになるだろうね~と子供たちに話をふったら、我が家の通貨単位を決めてお金を作ってました。名字の頭文字を取って、「円(エン)」ならぬ「ツン」という通貨単位。
1お手伝い=2ツン=20円。

お金

10ツン貯まったら100円と両替・・。買うものがなかった。
新学期が始まって2週間が経ち、少し気持ち的に一段落しています。

この春休みにやったことをまとめて記事アップ。

春休みなど、学校の長期休みは自分たちで一日の計画を立てて過ごそうね、と4年前くらいに作った「時間割マグネット」。

時間割マグネット


オランダかどこかの学校で取り入れられているのをテレビで見て、我が家でも作ってみたところ、やる気満々。計画を立てるというのは楽しいんですよ。立てるまでは・・。

で実際計画通りにコトを進められるのは全体の1割って感じですかね。
気がついたら時間過ぎてた!とか、やっぱりこっちやる!とか、どんどん予定が変わっていく。

我が家の特徴としては「ものづくり」の時間があることです。
毎日何かしら作っている。

コンロ、シンク、鍋

コンロ、シンク、鍋、電子レンジ、牛乳、ドーナツ、パン、もろもろ。写真にはないけど、冷蔵庫に野菜や魚、お皿やトングなど、生活用品一式。ここらへんはさすがに女の子です。

くまもんクッキー

実家で姪っ子達も交えて「くまもんクッキー」を焼く。ふなっしーみたいなのも混じってる。


おむつケーキ

いつもお世話になっているアトリエのメンバーへ出産祝いにおむつケーキ。ただひたすらおむつを丸めて束にして土台を作っていくんですけどね、結構難しいのですよ。
ぷーさんの小物入れの中には、臨床美術士としては欠かせない、オイルパステルの定着材としてのシッカロール。


くじゃく


4月から臨床美術士3級の資格を取得すべく、プログラムの試作に励んでます。
試作品。「くじゃくの羽を描く」
アルミ箔の上に描いているので、陽に当たるとキラキラします。娘も一緒に描いてくれました。

こちらは没ネタ。ワイヤーと和紙でフラミンゴを作ったのだけど、認知症の方のプログラムとしては難しくて使えないので次女にあげたら、すごく喜んでもらえました。
さんざんいじくり回された挙げ句、「フラミンゴハンガー!!」と言って、
なんとこの形でハンガーとして使ってくれています。


フラミンゴハンガー

自在に形を変えられるワイヤーを活かし、靴下やコート、10通りくらいの洗濯物の干しかたを私に提案してくれました。何も使えないと思っていた私がびっくりです。すでにフラミンゴではなくてダチョウになってますけどね。
春ですね~。
久しぶりに子供たちと水彩画で花を描きました。
カンパニュラ、アルストロメリア、フリージア、シラユリ、カーネーション、かすみ草、などなど。

近所の生協に併設されている花屋さんは、少し開いてきてしまった花を値下げして安く売ってくれるので、野菜を買うついでに気軽に買えます。198円とか298円とか。家計に優しい!
家に帰ったら水切りして、花瓶の水にひとつまみの砂糖を加え、ほんの1滴、台所の漂白剤を垂らすと、お花が長持ちするんですよ。

さて。色とりどりの花と白い紙を目の前に。
白い紙をじーっと眺めていると、何色を置こうか、迷う時間が楽しい。

ワトソン紙(水彩紙)を水で濡らしてから、水で溶いた水彩絵の具を筆先から垂らすと、紙の上をふわ~っと色が滲んでいきます。

にじみ絵

画面は華やかですが、子供たちと一緒にやると、いろいろ、格闘です(笑)
割り箸ペンで花びらのラインを入れたり。でも思うような線が描けなくて、ふてくされて放置。
「線、入れなきゃ良かった!!」とか。
にじみ絵1


にじみ絵2

にじみ絵3

ちょっと花の数が多くて目移りしちゃったかも。。
今度は一輪の花をじっくり描いてみようか。

もうすぐ東日本大震災から3年の月日がたとうとしています。

今もあの日の出来事を抱えながら、辛い思いをされている方々の記事を読んだり、追悼番組などを見てると、私も(震災とは別ごとですが)辛かった日々が思い出されます。

もう元気になっているとはいえ、傷は傷のまま残りますしね。。
その時の気持ちはなかなか整理がつかなくて書けなかったけれど、もう書けるかなぁ。

ショックだった直後は、自分が当事者のような実感が湧かないまま一生懸命でした。
気がついたら、なんだか、気が抜けていて、元気にならなきゃいけないんだけど、このままどこまで落ちていくのだろうという恐怖と先の見えない不安。

気持ちが宙ぶらりんのまま、自分が生きているのか死んでいるのか・・
悲しいのか怒りなのか、疲れているのかいないのか、感情も感覚もすべて麻痺しているような。混乱もしたし、誰にも分かってもらえない閉塞感。その時ばかりは自分を閉じたい気持ちで一杯でした。

そういう時は、誰にも話しかけられたくないんですよね。
ただただもう放っておいて、と。
一方でこの状態から早く抜け出したいから、どこかに助けを求めたい気持ちの矛盾。
もがくのも疲れて、いいや、このまま流されよう・・と思ったら臨床美術の岸辺に到着しました(苦笑)

そうして長いトンネルを抜けて見えた景色は、「私、哀しみを知ったなぁ~」でした。
それは哀しいけどちょっと温かかったです。
あ、ほんとに雪国みたい?

そして、死ぬのがちょっと怖くなくなったと思います。
会いたい人が向こうの世界にいるなら尚更。

自分なりの不安との戦い方、抱え方も学びました。
理性と感情って言いますが、理性は脳の働きだけど、
感情ってどこからくると思いますか?

私は、感情は全身からくるんだ、と思いました。
「全身で喜びをあらわす」なんて言い方、しますよね。
同じく哀しみも怒りも、全身にまわっちゃうんですよ。
そうすると、身体がだんだん動かなくなるんですね。

だから、哀しみや怒りは身体に入れずに、脳みそで冷静に処理するようにしました。
(もちろんはじめからうまくいったわけじゃないですが)

でも、思考からべったりくっついて離れないのでネ、
「哀しみのカバン」を手に持つようにイメージしてました。
いつでも手放そうと思えば手放せるカバンです。中をあけて開くこともできます。

とにかく、自分の身体を、哀しみや怒りでいっぱいにしないように。。

最初は重かったですけど、いつのまにか、手から消えてました。

参考になるかなぁ~ならないかな~

あと、怒りっていうのは、燃やすといいです。
哀しみっていうのは、溶かすといいです。
イメージ的にね。

一番効く薬は、「何かに情熱を傾ける」ことだそうです。
自分の中に哀しみを溶かすような、怒りを燃やすような「熱」が出てきたら、いいですね。

そして「自分は大丈夫だ」と自分で自分のことを信じてあげて下さい。
それを本当の勇気と言うらしいです。
新年おめでとうございます。
すでに1月もあけて1週間が過ぎましたが・・
月日の経つのはなんと早いのでしょうか。

去年の秋から臨床美術のアート塾を始めたのですが、これがまた思ったよりも大変で。
セッションを実施する日と、プログラムの“旬”を一致させるのが難しい。
食べ物の旬のみならず、新年や節分などの風物詩、雪から桜、梅雨など自然の変化などのモチーフ(動機、主題)選び。パステル、アクリル、水彩、粘土、版画、これら手法も年間を通してまんべんなく入れられるように。それから参加者さんの趣向や興味なども考慮しつつ。

それでも臨床美術に出会ってからやっと4年目に突入、ようやく「この時期にはこのプログラムがいいな」という季節の旬の流れがなんとなくつかめてきました。

アート塾はまだ月2回の担当なんですが、隔週でもまだ慣れないためプログラムの決定から試作、材料の購入だけですぐに2週間がたってしまう。「あ、このプログラム今度やろう」と思って2週間後は旬が去っているという。。
まあ他にアートイベントなど、いろいろやってるからなんですけどね。

去年の成果としてはひとつ、「臨床美術・彩球(さいたま)」のホームページを立ち上げました。
埼玉近郊在住の臨床美術士の団体に所属しているのですが、活動メンバー20名、保育園から学童、高齢者施設やデイサービス、個々のアートサロンまで幅広く活躍中です。興味のある方は覗いてみてください。
http://rinbisaitama.sakura.ne.jp/


というわけで今年の抱負は「旬をつかまえる」こと。

子育て10年目で、ついに長女の「料理やりたい」という“やる気の旬”がやってきました!バンザイ!
言われたときは嬉しかったなぁ・・。
結婚するまであまり(いや、ほとんど)料理をしてこなかった私が、仕事を半分あきらめ、褒められもせず、頑張って家事をやってきた甲斐があったってもんです。
初心者用の料理本片手に、台所に立つ娘。
私以外で料理を作ってくれる人が家族の中にいる感動。。

娘の姿を見ながら、私は今まで長女の「やる気の旬」をいくつ見逃してきたんだろうなぁ・・しょぼん
と思うことしきり。

「今やりたい」と言われて「いいよ」と言うことのなんと難しいことか!
たいてい仕事中だったり料理中だったり「ちょっとまっててネ」がほとんど。
でもとりあえず「うん、いいよ」と先に言ってしまうことにしたのです。
(まぁ、たいていはそのあと「やるべきことをやってからね」と続きますが)

子供は「今」がすべてなんだって、10年もたってから分かろうとは。。
でも子供もやっとここまで成長したから、言える言葉なんですよね。
「いいよ、それ(ひとりで)やってても。」「今、この仕事が終わったらそっちに行くからね」
2~3歳の子供にこれはきかない。

いつの間にか自分のやりたいことができるようになってて、
いつの間にか子供から応援されるようになっちゃったよ。

手紙

机の前に貼って、元気もらってます。
今年もカーサンは頑張るよ!
君が本当にやりたいことが見つかったその時は、全力で応援するからね。

先週の日曜日、大きなイベントがひとつ終了しました。
所属している臨床美術・彩球(「さいきゅう」ではなくて「さいたま」と読みます。間違えられるので念押し。)でのライブペインティング。

さいたま市の企画が、始め「まちの宿題、アートで変身!」ということだったので
「いろいろな社会問題=新聞の見出し」を切り抜いてコラージュしてから
ライブペインティングしたらどうかなぁと提案して切り抜き素材を用意していたのですが・・

$臨床美術ワーク 日々のタネ-新聞の見出し


見出しを集めただけで結構迫力。オトナの考えで社会的な問題を俯瞰的に考える機会にもなるといいなと思っていたのですが、参加者はみんなチビッコ目
どうも告知段階で「ライブペインティング=見物」と思われていたのかな?

一緒にコラボしたピアノアンサンブルのチェリッシュさんのエレクトーンの音色と一緒に、ペタペタ。チェリッシュさんにはクラシカルな曲を選曲していただいていたのですが汗
新聞の見出しもどこへやら、大画面相手に元気に子供たちの手が動く。
想定外の連続で変な汗だらだらだった私。

$臨床美術ワーク 日々のタネ-ライブペインティング

筆、刷毛、ローラー、スポンジ、タンポなど色々な道具を使い、新聞の見出しや広告の上に描いてます。ケチャップのチューブから絵の具をひねり出したり。画面を持ち上げ、絵の具を流して描いたり。

$臨床美術ワーク 日々のタネ-様子

ケチャップのチューブで描くのが人気で、画面が洪水気味。
新聞の見出しがほとんど吸い取り紙の役目を果たしてました。わーい。
1枚約1m×2mの大きな段ボール画面が3枚。ポロックみたいに迫力のある大きな作品が完成しました。


$臨床美術ワーク 日々のタネ-完成品

気力を使い果たしてイベント終了後はほとんど放心してましたw

もうちょっと言葉の投げかけひとつで、制作の流れを変えることができたのだろうか。
個人的には「想定外の連続」をどう楽しめるかという、ものすごく大きな課題を背負った気分・・
気が付いたら10月です。芸術の秋到来!
しかし月日の経つのは早いですね~。ここまできたら師走まで駆け足だなァ。

10月はイベント目白押しです。
今週13日の日曜日は浦和パルコ9Fで
「アートで変身!“まち”や“人”」秋の交流イベント。
生演奏とコラボしてライブペインティングやっちゃいます。

そして20日~26日は臨床美術・彩球のアトリエにて、「臨床美術作品展」。
彩球メンバーの現場の作品や、アート塾の作品を一同に展示します。
ワークショップは「小石に描くアナログ画」、
21日は「新聞紙で作る立体かぼちゃ」のアート塾1日体験講座。

そんな中、妹が3人目を出産し、実家に里帰りをしているので
お祝いがてら我が子姪っ子まとめて面倒見ようと
「新聞紙で作る立体かぼちゃ」やってきました。ハロウィンだしネ。


$臨床美術ワーク 日々のタネ-立体かぼちゃ


参加者4歳、5歳、6歳、9歳。おもしろい年代勢揃い。
おっきなカボチャと参考作品を見せただけで「やるやる!どうやるの~」
まるごとのかぼちゃを持ってみたら重くてずっしり、ゴツゴツした感じ。
「このゴツゴツ堅い感じを新聞紙で作るんだよ!」

新聞紙を丸めて、マスキングテープでうまく止めながらかぼちゃの形を作っていきます。
多少の不格好はご愛嬌。
形ができたら障子紙を貼る糊を水で溶かし、あらかじめちぎってあった和紙に筆でペタペタ貼付けていきます。

4人揃ったらバタバタとうるさいはずが、束の間の静かな集中時間。
うちの末娘はジャック・オア・ランタンを作りたくて
オレンジ色の和紙ばかり選んでましたが、色が足りなくなって泣く泣く他の色も使い始め。

本来は小津和紙のような薄手の上品な和紙を使うのですが
子供たちには量が足りないだろうなぁと100均で売っていたラッピング用の厚手の和紙を混ぜて使用。
薄手の和紙の上から水糊でひとハケなでれば済むところが、厚手ではそうもいかず裏返してはペタペタ。うむ。ちょっとメンドクサイ。
やっぱりお金がかかってもいい和紙を使うと出来上がりのニュアンスが全然違うなぁ・・。
身内相手に安い材料でも妥協できるかどうかの試作を兼ねている。ゴメンネ。

それでもホクホクしてそうなカボチャがたくさん収穫できました!
残ったリアルカボチャは実家の母の手でカボチャスープに。

秋ですな~
「この本、臨床美術に役立つかなーと思って」
と言いながら妹が貸してくれました。

「老いのくらしを変える たのしい 切り紙」
井上由季子 著

$臨床美術ワーク 日々のタネ-書籍画像


ものづくりの工房やギャラリーを営んでる著者が、
一緒に暮らす80歳の義母と遠方にいる79歳の父を刺激するため
宿題を出した「切り紙」のお話。

純粋に切り紙作品が可愛い。
コーヒカップやくつしたのコロンとしたフォルムなど、
自分の好きな形をひとつ決めたら、
手元にある新聞紙や、広告や、包装紙で
切り紙にしてノートに貼っていく。

ある日著者の実母が倒れ、頑固で折り合いの悪かった高齢の父親に
なんとか元気でいてもらわなければ困ると
宿題と称して魚の切り紙を作ってもらうんですね。

はじめは、拒否されるところから、
自身の運営する工房の仕事としてなんとか頼み、
半ば脅迫して作業してもらい、褒めて、
興味が続くように視点を変えて宿題を出したり、
魚の図鑑を渡したり、さらに見栄えがよくなるように、黒い台紙を渡したり、やりやすいように画材を提案して拒否されたり、受け容れてもらったり。

もっと作品が良くなるように、良くなるように
1週間に一度しか会えないので、少しずつ、少しずつの進歩。。。
「(こんなの)誰でもできる」とそっけない言葉をいいつつも、
いつの間にかお父さんもはまってしまい、自ら魚の形に、素材に、工夫を重ねていく。

ドラマチックなことは何一つない淡々とした日常なんですが
最後にお父さんが完成させた、ギャラリーいっぱいの富士山の切り紙ハガキ一千枚、気がついたら涙出てました。

臨床美術の見本ではないですか~

宿題を出して適度に負荷を与えつつ、
「仕事だよ」として役割も与えて、
本人が満足できる作品に導いていくテクニックは
臨床美術士が学ぶべきことがすごく多い。

何よりまったくもって美術に興味がない人(しかも頑固)に振り向かせ、
面白さに気づいてもらい、続けさせる。
やむにやまれず切羽詰まった状況だったとはいえ、
これ以上の難易度の高いシチュエーションはないでしょう。
負荷のかけ具合、心と身体のバランスについても触れています。

ほんとに読み応えありました。
おすすめです。