ちゃま到着の日-その2-
前回のつづきです。
イキサツはこうです。
5月の下旬になって、私は、「そろそろ引き渡し時期だと思いますが、日程は決定しましたでしょうか。」とメールを送ってみました。
すると、キャッテリーさんから、「6月3日の朝、陸送でそちらに届く予定です。時間は追って御知らせします。」と返信がきたので、安心して待つことにしました。
しかし、当日が近づいてきても一向に連絡がこないのです。
そして到着日の前日、イキナリ「本日送りました。明日の早朝に最寄りの配送センターに届きます。」といきなりのメールが。しかも、ハッキリとした到着時刻が書いてありません。
しかし、まあ、早朝と言うからには、朝の5時か6時頃だろう、と勝手にそう思い込んだ私は、翌朝を楽しみに床に就いたのです。
・
・
・
真夜中に電話が鳴りました。
時刻は午前2時。運送会社からの電話でした。
「あのー、こちらの配送センターに猫が届いてるんですけど、すぐに取りにきてもらえますか。死んじゃうといけないし。」と不安気な声です。
私は、「はい、すぐに行きます。」と電話を切ると、「これを早朝と言うのかーー。」と叫びながら、大急ぎで配送センターに車を走らせました。
「ちゃま」とのはじめての出会いは、真夜中の配送センターの事務室、キャリングケースの中の彼でした。
生後2ヶ月半の彼は、ケースの中で小さく動いていました。
家に着くとカミさんが起きて待っていました。
さっそくケースから出してやると、暫くの間コソコソと周りを物色していましたが、ほんの数分もしないうちに、スッカリと環境に適応した様子で、部屋中を走り回りだしたのです。
「すごい順応性高いじゃん。」
キャッテリーの触れ込みも、まんざらウソではなかった様です。って言うか、大暴れをはじめました。
アメショーは、活発だとは聞いていたが、初日からこれかよ。かなり先行きが不安になりました。
でも、こうして、その愛くるしい仕草を見ていたら、キャッテリーとのイキサツなどはスッカリと彼方へ吹き飛んでおりました。
いや、今となっては、この何ものにも代え難い「ちゃま」に引き合わせてくれたキャッテリーさんに心から感謝しています。
ヤンチャ度は日増しにひどくなっておりますが。

イキサツはこうです。
5月の下旬になって、私は、「そろそろ引き渡し時期だと思いますが、日程は決定しましたでしょうか。」とメールを送ってみました。
すると、キャッテリーさんから、「6月3日の朝、陸送でそちらに届く予定です。時間は追って御知らせします。」と返信がきたので、安心して待つことにしました。
しかし、当日が近づいてきても一向に連絡がこないのです。
そして到着日の前日、イキナリ「本日送りました。明日の早朝に最寄りの配送センターに届きます。」といきなりのメールが。しかも、ハッキリとした到着時刻が書いてありません。
しかし、まあ、早朝と言うからには、朝の5時か6時頃だろう、と勝手にそう思い込んだ私は、翌朝を楽しみに床に就いたのです。
・
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・
真夜中に電話が鳴りました。
時刻は午前2時。運送会社からの電話でした。
「あのー、こちらの配送センターに猫が届いてるんですけど、すぐに取りにきてもらえますか。死んじゃうといけないし。」と不安気な声です。
私は、「はい、すぐに行きます。」と電話を切ると、「これを早朝と言うのかーー。」と叫びながら、大急ぎで配送センターに車を走らせました。
「ちゃま」とのはじめての出会いは、真夜中の配送センターの事務室、キャリングケースの中の彼でした。
生後2ヶ月半の彼は、ケースの中で小さく動いていました。
家に着くとカミさんが起きて待っていました。
さっそくケースから出してやると、暫くの間コソコソと周りを物色していましたが、ほんの数分もしないうちに、スッカリと環境に適応した様子で、部屋中を走り回りだしたのです。
「すごい順応性高いじゃん。」
キャッテリーの触れ込みも、まんざらウソではなかった様です。って言うか、大暴れをはじめました。
アメショーは、活発だとは聞いていたが、初日からこれかよ。かなり先行きが不安になりました。
でも、こうして、その愛くるしい仕草を見ていたら、キャッテリーとのイキサツなどはスッカリと彼方へ吹き飛んでおりました。
いや、今となっては、この何ものにも代え難い「ちゃま」に引き合わせてくれたキャッテリーさんに心から感謝しています。
ヤンチャ度は日増しにひどくなっておりますが。

ちゃま到着の日-その1-

今日は、我が家の愛すべき宿六:アメショーの「ちゃま」がやってきた時のお話し。
「ちゃま」がウチに来たのは、2008年(平成21年)の6月3日。早いもので、あれから3年が経とうとしています。
ヤツは、某キャッテリーからネットで購入した雄のアメショーですが、当時のキャッテリーのHPには、この様に書かれておりました。
「親はチャンピオンで血統が良いです。社会性を養う時期に人や他の猫と接しており飼いやすい猫となっております。」
この自信たっぷりの触れ込みと、通常よりもかなり安価だったこともあって、ここを選ぶことにしたのです。
っが、注文以降、このキャッテリーの応対がヤケに冷ややか、っと言うか、メールのやりとりも何だか事務的。その素っ気ない空気感に少し戸惑ったのを思い出します。
事の始めからお話しましょう。それは、平成21年に入ってすぐのことでした。
前の猫が突然失踪し、悲しみに暮れた数年が経過した頃、そろそろ新しい猫を飼ってもいいよね、と娘とも意見が一致し、ネットを探索していた私は、「アメショー・キャッテリー」のキーワードで、このキャッテリーのHPに辿り着きました。
管理人さんの「猫に対する医学的考察・猫と人との関係性について」など、そこでの記事を読んで「この人なら信用できる」とスッカリ気に入った私は、「そちらの猫が生まれたら是非購入したい。」旨のメール予約を入れました。
それから2ヶ月程が経過。3月も半ばを過ぎた頃だったでしょうか、キャッテリーさんから、「生まれましたよ。どうしますか?」のメールが届きました。
メールには、生まれたばかりの子猫達の写真が何枚か添付してあり、その中から欲しい猫を選ぶシステムになっていました。
私は、写真の中から一番愛くるしい瞳でコチラを見ていたブラウンタビーの雄のアメショーを選び注文番号を知らせました。それが「ちゃま」です。
ちゃまの写真の上には、「3月15日生まれ」と記されていました。
しかし、取り敢えず注文はしたものの、このたった1枚きりの写真を見ただけでは、彼が本当に健康なのか、不具合はないのか、大きい子なのか小さい子なのか、性格はどうなのか・・・・など、詳細は何も分かりません。
これから何十年と一緒に暮らしていく家族を迎えるのに、これでは心配です。
「生後2ヶ月以上経たないとお渡しできません。」とのことでしたから、注文して暫く「待ち」の状態だったわけですが、どうしても心配で、居ても立ってもいられず、「その後どうですか。選んだ子猫は元気に育ってますか。性格はどうですか。成長過程の写真でも送ってくれませんか。」とメールを送ってみたのでした。
しかし、先方からは、「はい、わかりました。写真を撮って送ります。」と、そっけない返信が届いただけで、後は梨の礫。「元気ですよ。やんちゃですよ。」などのコメントもなく、結局、写真も送られてきませんでした。
確かに、必要以上に愛想が良いと反って不信になることもありますが、それにしても無愛想過ぎる印象を受けました。
「不親切だな~。大丈夫かいな。ちゃんと届くんやろか。」と、少し不安に思いましたが、既に代金も振り込み済みで、後は信じて待つしかありません。
モヤモヤした日々を過ごしながら、それからまた2ヶ月程が経過した2008年6月3日火曜日、そんな心配を他所に、ちゃまは無事我が家にやって来ました。
いや、果たしてそれが「無事に到着した」と言えるのかどうか、ちょっとばかし疑問が残ります。
そう、思えばあの引渡しの際も、このキャッテリーさんには随分とアタフタさせられたのです。
長くなりそうなので、そのイキサツは、また次回とさせていただきます。
久能山東照宮を御参拝
昨日、仕事の関係で、お客様をお連れして東静岡のマンションを視察しつつ、そのついでに、すぐ近くの久能山東照宮まで足を運んでまいりました。
天気予報で大雨だと聞いていたので覚悟しておりましたが、なんとか帰りまで降らずにいてくれました。やはり私の日頃の心がけの効能と言ったところでしょうか。
久能山東照宮は、皆様ご存知の通り、あの徳川家康がお祀りされていると言われている歴史的価値の高いお宮です。また当時の木造技術の粋を集めた国宝建築物でもあります。
そして、その輝きは半端ではありませんでした。
しかも、ここ最近塗り替えられたばかりだと言うことで、曇り空の中でも装飾の一つ一つが美しく、きらびやかな姿を見せてくれておりました。
それでは、写真を撮ってきましたので覧下さい。
一応、みなさんを引率しながらの撮影でしたので、ベストショットと言うわけにはいきませんでしたが、ご了承ください。って言うのは完全な言い訳です。(笑
まずは日本平山頂からロープーウェイで久能山東照宮へと向かいます。

咽ぶ様な緑を楽しみながら5分ほどで東照宮に到着します。
改札を抜けるとすぐ、石段の上に「楼門」が見えてきます。

この門が東照宮の入り口となります。

「楼門」を抜けると、目の前に、拝殿の入り口「唐門」が見えます。
ただし、特別な日以外は、このまま真っすぐに石段を昇って中に入ることはできません。

通常は、右に迂回して、この裏門から拝殿へ入ります。

そして、門をくぐると、お美しい拝殿のお姿が飛び込んできます。

拝殿「蟇股」部に彫刻された「司馬温公の瓶割り」の図は、生命の尊さが込められているとのことです。

更に参道を歩くと、徳川家康公の遺骸が埋葬された真廟(しんびょう)へと到着します。
ここが東照宮の最終地点です。

本当は、富士山の望める絶景スポットもあるのですが、曇り空のため、お顔を見せてくれませんでした。
それに、昨日はタイトなスケジュールの中、駆け足での御参拝だったので、ユックリと散策する事ができませんでしたが、機会があれば、もう一度ジックリと撮影に訪れてみたい、そんな美しいお宮でした。
天気予報で大雨だと聞いていたので覚悟しておりましたが、なんとか帰りまで降らずにいてくれました。やはり私の日頃の心がけの効能と言ったところでしょうか。
久能山東照宮は、皆様ご存知の通り、あの徳川家康がお祀りされていると言われている歴史的価値の高いお宮です。また当時の木造技術の粋を集めた国宝建築物でもあります。
そして、その輝きは半端ではありませんでした。
しかも、ここ最近塗り替えられたばかりだと言うことで、曇り空の中でも装飾の一つ一つが美しく、きらびやかな姿を見せてくれておりました。
それでは、写真を撮ってきましたので覧下さい。
一応、みなさんを引率しながらの撮影でしたので、ベストショットと言うわけにはいきませんでしたが、ご了承ください。って言うのは完全な言い訳です。(笑
まずは日本平山頂からロープーウェイで久能山東照宮へと向かいます。

咽ぶ様な緑を楽しみながら5分ほどで東照宮に到着します。
改札を抜けるとすぐ、石段の上に「楼門」が見えてきます。

この門が東照宮の入り口となります。

「楼門」を抜けると、目の前に、拝殿の入り口「唐門」が見えます。
ただし、特別な日以外は、このまま真っすぐに石段を昇って中に入ることはできません。

通常は、右に迂回して、この裏門から拝殿へ入ります。

そして、門をくぐると、お美しい拝殿のお姿が飛び込んできます。

拝殿「蟇股」部に彫刻された「司馬温公の瓶割り」の図は、生命の尊さが込められているとのことです。

更に参道を歩くと、徳川家康公の遺骸が埋葬された真廟(しんびょう)へと到着します。
ここが東照宮の最終地点です。

本当は、富士山の望める絶景スポットもあるのですが、曇り空のため、お顔を見せてくれませんでした。
それに、昨日はタイトなスケジュールの中、駆け足での御参拝だったので、ユックリと散策する事ができませんでしたが、機会があれば、もう一度ジックリと撮影に訪れてみたい、そんな美しいお宮でした。
はじめてのデジイチ【OLYMPUS PEN Lite E-PL2】
やっと最近、ドラムの復活ができたかと思ったら、再起一発目のスタジオ練習で腰を痛めてしまい、またまた家での練習が滞っている今日この頃ですが、皆様お元気でいらっしゃいますでしょうか。
ただ、そんな状態にも関わらず、相変わらずの物欲だけは抑えきれない様でして、つい先日、こんなものを買ってしまいました。

OLYMPUSの最新機種で、今年の1月に発売された「OLYMPUS PEN Lite E-PL2 ダブルズームキット 【カラー:シャンパンゴールド】」ってやつです。
価格ドットコムで一番安いところを探して、5年間保証を含めて68,812円(税込み)でゲットしました。
いわゆる、今大流行りの「ミラーレス一眼」です。さすが、流行に敏感な僕です。(って言うか、流行りモノに弱いだけじゃん!)。
本格的な一眼レフではないですが、それでも、今まで持ってたデジカメと比べたらかなり奥は深そうです。
レンズは状況に応じて取り替えなければいけませんし、シボリとか、シャッタースピードとか、ホワイトバランスとか、一眼未経験者の私としては、今まで考えた事もなかった撮影テクにもこれから気を使っていかなければなりません。
でも、そんなゴタクを並べるのはもっと上達してからの話でして、取り敢えずはオートモードでバンバン撮っても全然大丈夫。
通常のカメラでは味わえなかった面白い写真が簡単に撮れちゃいます。なんか、うまくなった気になっちゃうのがコワイところでもありますが。
そんなわけで、さっそく本日、はじめてのデジイチ体験を味わうべく、地元安城の観光名所「デンパーク」へ、ひとり 撮影散歩に出かけてまいりました。
気温は28度と真夏日並みの暑さでしたが、天気はちょっと曇り空。
真っ青な空を撮りたかったのですが残念でした。
使ったレンズは、購入したズームキットに付いていた「M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm 1:3.5-5.6Ⅱ」っていうズームレンズ。
どうやらPENの標準的位置づけのレンズの様で、上の写真でカメラに装着されてるレンズがそれです。
右隣のレンズは「M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F4.0-5.6」で、見た目もかなりゴツイです。今後は、こいつも使いこなしていかなくてはなりませんが、今日のところは出番なしです。
まだまだ実力的にマニュアルモードでの撮影は無理ですから、カメラに付いている簡単機能を使って撮影しました。
主に使ったのは、通常の「オートモード」。
いかにも一眼っぽい絵が出る「ボカシモード」。
それから、オモチャの世界観が味わえる「ジオラマモード」。
ビビッドな色合いが出せる「ポップアップモード」ってやつです。
噴水を撮る時は、シャッタースピードなんかも簡単に設定できます。
こういった機能をついつい使い過ぎちゃうのが素人らしいところではありますが、そこら辺はまだまだ初心者の身ゆえ、どうぞ寛大な心で見てやって下さい。
それでは、ご覧いただきましょう。
私のはじめてのデジイチ作品でございます。
・
・
・
まずは、デンパークらしく花の写真から。
すべてボカシを入れて、それっぽくさせようとしているイヤラシさが伺えます。



小径をジオラマモードで撮ってみました。なかなか面白いです。

今度は、ボカシモードの小径にトライ。

汽車型バス「メルヘン号」。
色使いが派手だったのでポップアップモードで撮ってみましたが、ちょっと強調され過ぎでしょうか。

デンパークと言えば風車。
まずはオートモードでノーマル撮影。

続いて別角度から、ジオラマモードの風車です。
ほんと、模型みたいに写るから不思議。

噴水は、シャッタースピードをアップ。

遠景もジオラマで撮るとオモチャみたいで楽しいです。

温室内は全てオートモードで撮影。


最後に花のオブジェを撮って本日は終了です。

他にも沢山撮りましたが、まともなのだけアップしました。
今後も、頑張ってアップしていきますので、嫌がらずに付き合ってやってくださいね。
ただ、そんな状態にも関わらず、相変わらずの物欲だけは抑えきれない様でして、つい先日、こんなものを買ってしまいました。

OLYMPUSの最新機種で、今年の1月に発売された「OLYMPUS PEN Lite E-PL2 ダブルズームキット 【カラー:シャンパンゴールド】」ってやつです。
価格ドットコムで一番安いところを探して、5年間保証を含めて68,812円(税込み)でゲットしました。
いわゆる、今大流行りの「ミラーレス一眼」です。さすが、流行に敏感な僕です。(って言うか、流行りモノに弱いだけじゃん!)。
本格的な一眼レフではないですが、それでも、今まで持ってたデジカメと比べたらかなり奥は深そうです。
レンズは状況に応じて取り替えなければいけませんし、シボリとか、シャッタースピードとか、ホワイトバランスとか、一眼未経験者の私としては、今まで考えた事もなかった撮影テクにもこれから気を使っていかなければなりません。
でも、そんなゴタクを並べるのはもっと上達してからの話でして、取り敢えずはオートモードでバンバン撮っても全然大丈夫。
通常のカメラでは味わえなかった面白い写真が簡単に撮れちゃいます。なんか、うまくなった気になっちゃうのがコワイところでもありますが。
そんなわけで、さっそく本日、はじめてのデジイチ体験を味わうべく、地元安城の観光名所「デンパーク」へ、ひとり 撮影散歩に出かけてまいりました。
気温は28度と真夏日並みの暑さでしたが、天気はちょっと曇り空。
真っ青な空を撮りたかったのですが残念でした。
使ったレンズは、購入したズームキットに付いていた「M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm 1:3.5-5.6Ⅱ」っていうズームレンズ。
どうやらPENの標準的位置づけのレンズの様で、上の写真でカメラに装着されてるレンズがそれです。
右隣のレンズは「M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F4.0-5.6」で、見た目もかなりゴツイです。今後は、こいつも使いこなしていかなくてはなりませんが、今日のところは出番なしです。
まだまだ実力的にマニュアルモードでの撮影は無理ですから、カメラに付いている簡単機能を使って撮影しました。
主に使ったのは、通常の「オートモード」。
いかにも一眼っぽい絵が出る「ボカシモード」。
それから、オモチャの世界観が味わえる「ジオラマモード」。
ビビッドな色合いが出せる「ポップアップモード」ってやつです。
噴水を撮る時は、シャッタースピードなんかも簡単に設定できます。
こういった機能をついつい使い過ぎちゃうのが素人らしいところではありますが、そこら辺はまだまだ初心者の身ゆえ、どうぞ寛大な心で見てやって下さい。
それでは、ご覧いただきましょう。
私のはじめてのデジイチ作品でございます。
・
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・
まずは、デンパークらしく花の写真から。
すべてボカシを入れて、それっぽくさせようとしているイヤラシさが伺えます。



小径をジオラマモードで撮ってみました。なかなか面白いです。

今度は、ボカシモードの小径にトライ。

汽車型バス「メルヘン号」。
色使いが派手だったのでポップアップモードで撮ってみましたが、ちょっと強調され過ぎでしょうか。

デンパークと言えば風車。
まずはオートモードでノーマル撮影。

続いて別角度から、ジオラマモードの風車です。
ほんと、模型みたいに写るから不思議。

噴水は、シャッタースピードをアップ。

遠景もジオラマで撮るとオモチャみたいで楽しいです。

温室内は全てオートモードで撮影。


最後に花のオブジェを撮って本日は終了です。

他にも沢山撮りましたが、まともなのだけアップしました。
今後も、頑張ってアップしていきますので、嫌がらずに付き合ってやってくださいね。
ドラム復活
思えば、今年に入ってから公私共にバタバタで、なかなかバンドの練習ができない状況の中、2月に予定していたライブも私の都合でキャンセルと相成り、メンバーには大変迷惑をかけたここ4か月ほどでした。
それでも最近は、少しづつですが生活も落ち着いてきておりまして、昨日は、久しぶりにバンドメンバー全員揃ってのスタジオ練習をで行うことができました。
それにしても、4か月のブランクは恐ろしいのものですね、もう身体ガタガタです。
たぶん余計な力が入っていたのでしょう、一夜明けた今日は、朝から身体中の節々が痛く、身動きがとれない状況で休日を過ごしております。
しかしながら、これでようやく活動が再開できたわけでして、これから徐々に復活ライブに向けて身体を慣らしていきたいと思っております。
それでも最近は、少しづつですが生活も落ち着いてきておりまして、昨日は、久しぶりにバンドメンバー全員揃ってのスタジオ練習をで行うことができました。
それにしても、4か月のブランクは恐ろしいのものですね、もう身体ガタガタです。
たぶん余計な力が入っていたのでしょう、一夜明けた今日は、朝から身体中の節々が痛く、身動きがとれない状況で休日を過ごしております。
しかしながら、これでようやく活動が再開できたわけでして、これから徐々に復活ライブに向けて身体を慣らしていきたいと思っております。
新年度を迎えて
新年度ですね。
とは言っても、何も変わりはありませんが・・・
ただ、昨年度は、職場の異動あり、大震災あり、身内の不幸あり、と大変慌ただしい1年だった気がします。
国内は、まだまだ予断を許さない状況が続いており、景気の回復の方も相当遅れそう。
仕事の方も相変わらずパッとしないありさまで、当分落ち着くことはなさそうだし。
でも、塞いでいてもしかたない。
今日からまた一念発起、新たな気持ちで前に向かって行こうと思ってます。
ドラムも練習を再開しないといけません。
兄貴が急変した昨年末からの3ヶ月間、まったくと言っていいほど練習用のVドラムに触ってないですから、こりゃあそうとう手足が鈍ってるはずです。
行政書士の方は、試験まで8ヶ月を切りました。そろそろ概要把握の時期を終了し、暗記作業に切り替えていかなければと焦ってます。
現状の仕事の方は、ジタバタしてもどうなるものでもありませんので、リストラされないよう精一杯励むだけです。
そんなわけで、まだまだ気持ちは休まりませんが、何とか乗り切って、いい年度にしたいと思います。
皆様、今年度もどうぞよろしくお願い致します。
とは言っても、何も変わりはありませんが・・・
ただ、昨年度は、職場の異動あり、大震災あり、身内の不幸あり、と大変慌ただしい1年だった気がします。
国内は、まだまだ予断を許さない状況が続いており、景気の回復の方も相当遅れそう。
仕事の方も相変わらずパッとしないありさまで、当分落ち着くことはなさそうだし。
でも、塞いでいてもしかたない。
今日からまた一念発起、新たな気持ちで前に向かって行こうと思ってます。
ドラムも練習を再開しないといけません。
兄貴が急変した昨年末からの3ヶ月間、まったくと言っていいほど練習用のVドラムに触ってないですから、こりゃあそうとう手足が鈍ってるはずです。
行政書士の方は、試験まで8ヶ月を切りました。そろそろ概要把握の時期を終了し、暗記作業に切り替えていかなければと焦ってます。
現状の仕事の方は、ジタバタしてもどうなるものでもありませんので、リストラされないよう精一杯励むだけです。
そんなわけで、まだまだ気持ちは休まりませんが、何とか乗り切って、いい年度にしたいと思います。
皆様、今年度もどうぞよろしくお願い致します。
兄貴が亡くなりました
兄貴が亡くなりました。
享年57歳の若さでした。
23日の夕方、「すぐにこれる?」と、仕事中の私の携帯に、病院で看病中の義姉から電話が入り、大急ぎで仕事を片づけると、タクシーで病院へと向かいました。
病室に入ると、酸素吸入器を当て、目をつむったまま苦しそうに息をしているだけの兄貴の傍らに、母、義姉、二人の娘がよりそって、心配そうに声をかけておりました。
みんな泣きながら、手足をさすり、励まし、なんとか少しでも止まらせようと賢明に声をかけ続けましたが、その甲斐なく、24日午後2時47分、帰らぬ人となってしまいました。
思えば、私達は特別に仲のよかった兄弟ではなかったと思います。
だから、もっと冷静に受け止められると思ってたのに、とてつもなく悲しいです。
子供の頃から、イイところもイヤなところも十二分に知っており、いや、むしろイヤなところばかりが印象に残っていて。
男兄弟なんて、そんなものかもしれませんが、どこか反発し合うものがあって。
だから、ずっと一線を引いて付き合ってきた、そんな気がしていました。
ただ、最近は、お互い年をとるにつれて、子供のことや仕事の悩みなど、話をする機会も多くなり、少しづつ打ち解け、近づいてきていたのも確かで、これからもっといい関係で酒を酌み交わせると思っていたのに、残念でなりません。
いよいよと言う時、兄貴の奥さんが、兄貴の娘達が、「もう一度一緒になりたい」「お父さんの子供でよかった」と号泣して叫ぶ姿をみるに、私が感じることのなかった、優しくて頼もしい亭主像、父親像を家族には見せていたんだな、と、兄貴のことを見直したのも確かでした。
悲しいですが、兄貴もこれでようやく、2年間の壮絶とも言える闘病生活から解放されました。
「よく頑張ったよ。お疲れさま、ゆっくり休んでくれ」と言ってやりたいです。
私達も、確かに看病中は大変でしたが、これでもう病院に行かなくてもいいと思うと、ホッとするどころか、物凄い空しさと寂しさが押し寄せてきます。
「なにもしてやれなかった。もっともっと看病してやりたかった」と言う思いが。
いや、私などは土日の看病だけでしたから全然大したことはなく、義姉さんは、仕事も長期休暇をとり、ここ半年ほどは、ほとんど毎日看病を続けておりましたから、これからそれをやらなくてもよくなったことで、ポッカリと心に穴が空いてしまったのではないかと心配しています。
そしてなにより、オフクロの悲しみを思うと胸がはりさけそうです。
酸素吸入だけで反応のない兄貴に向い「寝ていてもいいから生きとって」と泣き叫んだ母の思いは、腹を痛めて産んだ子に先立たれる母親の悲痛の叫びそのものでした。
実家は、男手が兄貴だけだったので、女だけの家になってしまいました。
支えを失い、立ち直るまでに相当時間がかかるでしょう。
暫くは悲しみと不安に堪える日々が続くと思いますが、クスリは時間しかありませんので、私もできるだけ実家に顔を出すようにして、少しでも残された家族の支えになっていかねばと思っております。
享年57歳の若さでした。
23日の夕方、「すぐにこれる?」と、仕事中の私の携帯に、病院で看病中の義姉から電話が入り、大急ぎで仕事を片づけると、タクシーで病院へと向かいました。
病室に入ると、酸素吸入器を当て、目をつむったまま苦しそうに息をしているだけの兄貴の傍らに、母、義姉、二人の娘がよりそって、心配そうに声をかけておりました。
みんな泣きながら、手足をさすり、励まし、なんとか少しでも止まらせようと賢明に声をかけ続けましたが、その甲斐なく、24日午後2時47分、帰らぬ人となってしまいました。
思えば、私達は特別に仲のよかった兄弟ではなかったと思います。
だから、もっと冷静に受け止められると思ってたのに、とてつもなく悲しいです。
子供の頃から、イイところもイヤなところも十二分に知っており、いや、むしろイヤなところばかりが印象に残っていて。
男兄弟なんて、そんなものかもしれませんが、どこか反発し合うものがあって。
だから、ずっと一線を引いて付き合ってきた、そんな気がしていました。
ただ、最近は、お互い年をとるにつれて、子供のことや仕事の悩みなど、話をする機会も多くなり、少しづつ打ち解け、近づいてきていたのも確かで、これからもっといい関係で酒を酌み交わせると思っていたのに、残念でなりません。
いよいよと言う時、兄貴の奥さんが、兄貴の娘達が、「もう一度一緒になりたい」「お父さんの子供でよかった」と号泣して叫ぶ姿をみるに、私が感じることのなかった、優しくて頼もしい亭主像、父親像を家族には見せていたんだな、と、兄貴のことを見直したのも確かでした。
悲しいですが、兄貴もこれでようやく、2年間の壮絶とも言える闘病生活から解放されました。
「よく頑張ったよ。お疲れさま、ゆっくり休んでくれ」と言ってやりたいです。
私達も、確かに看病中は大変でしたが、これでもう病院に行かなくてもいいと思うと、ホッとするどころか、物凄い空しさと寂しさが押し寄せてきます。
「なにもしてやれなかった。もっともっと看病してやりたかった」と言う思いが。
いや、私などは土日の看病だけでしたから全然大したことはなく、義姉さんは、仕事も長期休暇をとり、ここ半年ほどは、ほとんど毎日看病を続けておりましたから、これからそれをやらなくてもよくなったことで、ポッカリと心に穴が空いてしまったのではないかと心配しています。
そしてなにより、オフクロの悲しみを思うと胸がはりさけそうです。
酸素吸入だけで反応のない兄貴に向い「寝ていてもいいから生きとって」と泣き叫んだ母の思いは、腹を痛めて産んだ子に先立たれる母親の悲痛の叫びそのものでした。
実家は、男手が兄貴だけだったので、女だけの家になってしまいました。
支えを失い、立ち直るまでに相当時間がかかるでしょう。
暫くは悲しみと不安に堪える日々が続くと思いますが、クスリは時間しかありませんので、私もできるだけ実家に顔を出すようにして、少しでも残された家族の支えになっていかねばと思っております。
掛川城散策
今日も出張で藤枝まで行ってきたのですが、帰り道にチョっとミチクサをして、掛川城まで足を運んできました。
日本がこんなに大変なときにノンビリしてていいのか、とは思いましたが、まあ、私が慌ててもどうなるものでもありませんし、仕事も思いのほか早く終わったので、かねてより訪れてみたかったこのお城を散策してみることにしたのです。
1994年に復元したお城なので歴史的価値は低いですが、綺麗で、いいお城でした。
歴史的と言えば、このお城、二の丸御殿の方がスゴイです。
当時のままの姿が残されている国の重要文化財で、非常に見る価値の高い建造物です。
光と影のコントラストが美しく、荘厳な佇まいは、大名達が実際に執務をとっていた姿などが目に浮かんでくる様。
いつまでもこんな美しい日本を残していきたいと心から願います。
【城門も復元されたもの】

【石段下から臨む天守閣】

【城内も美しい仕上がり】

【天守閣から見る掛川市眺望】

【こんな抜け道が】

【これが国の重要文化財「二の丸御殿」】

【歴史を感じる佇まい】

【庭からの陽光が映える】

日本がこんなに大変なときにノンビリしてていいのか、とは思いましたが、まあ、私が慌ててもどうなるものでもありませんし、仕事も思いのほか早く終わったので、かねてより訪れてみたかったこのお城を散策してみることにしたのです。
1994年に復元したお城なので歴史的価値は低いですが、綺麗で、いいお城でした。
歴史的と言えば、このお城、二の丸御殿の方がスゴイです。
当時のままの姿が残されている国の重要文化財で、非常に見る価値の高い建造物です。
光と影のコントラストが美しく、荘厳な佇まいは、大名達が実際に執務をとっていた姿などが目に浮かんでくる様。
いつまでもこんな美しい日本を残していきたいと心から願います。
【城門も復元されたもの】

【石段下から臨む天守閣】

【城内も美しい仕上がり】

【天守閣から見る掛川市眺望】

【こんな抜け道が】

【これが国の重要文化財「二の丸御殿」】

【歴史を感じる佇まい】

【庭からの陽光が映える】

日本人の対応に絶賛
「こういった状況下の中で、強奪も起きず、食料品買い出しにもちゃんと並んで待ってる日本人って、やっぱ素晴らしいね。」
昨日、家族でそんな話をしていたのですが、こんな記事をネットで見つけ、私達以上に私達日本人の資質に世界が感銘を受けていると言うことが分りました。
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【日本人の「質の高さ」に感動 各国メディア】
中国メディアや中国人が報道やネット上のコメントで、震災下の日本人のマナーを絶賛していることを先ごろ本欄で書いたが、他の国にもそれが広がっている。やや長いが、いくつか引用したい。
●韓国の東亜日報はこうレポートしている(14日付)。
「(都内に住む在日韓国人の)李氏は思った。『これが先進国ということか』。大地震が襲っても、誰一人、大声を出したり泣きわめいたりしなかった。驚くのは(地震発生時に李氏がいた)ディスカウントショップの商品を持ち出す人が一人もいなかったという点だ。買い物客は皆、買い物かごの商品を元の場所に戻し、建物を出た。大地震や大火事が発生すれば、犯罪や略奪、無秩序が横行するという話は、少なくとも日本では“遠い国”の話だった」
●中央日報も以下のように報じた(14日付)。
「(被災地のホテルが被災した客に)うどん10皿を持ってきたとき、誰もが他の客の空腹を心配して、後に後にうどんを回す“譲歩のリレー”が続いた。日本全域で人のいない商店で略奪行為があったというニュースはまだ1件もない」
「(南三陸の)最大被害地域では、行方不明者1万人といううわさが出回る。しかし恨みの声は聞こえない。避難所に集まった100人余の住民らはメディアのインタビューに『早く復旧を願うだけ』と“明日”について話す。誰のせいにもしない。足りない水と毛布を分け合って、お互いを慰める感動的な姿が報じられている」
●アメリカのCNNも14日、地震発生時、都内にいたコロンビア大ドナルド・キーン日本文化センター所長、グレゴリー・フルーグフェルダー氏のコメントを伝えている。
「略奪という行為は日本では発生しない。我々がこの言葉から受けるのと同じ意味を持つ日本語の単語が存在するかどうかも疑わしい」
●中国政府系のニュースサイト・中国網は改めて、「日本国民の質の高さには脱帽だ」と報じ、一つひとつ具体的な例を並べた。「危険の中でも日本国民は法を厳守し、秩序を守る」「手抜き工事によって建物が倒壊するようなことは起こらなかった」などを列挙したうえで、「高いレベルの危機対応能力は、世界の人々の大きな衝撃を与えた」と結んだ。
当の日本人からすれば、当たり前の風景が外国人の目からは当たり前ではない。史上有数の大地震に見舞われ、経済的ダメージは大きいが、日本人への国際的な評価は逆に上がっている。米ウォールストリート・ジャーナル紙が13日付の社説で「不屈の日本」と書いたが、日本の底力はまさに国民の質の高さにあるのだろう。(織)
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読み終えて、少し涙が出てきました。
政治も経済も先行きが見えず、そして今度は天災までもが襲いかかり、一体この国は、これからどうなって行ってしまうのだろうと、将来を憂いてばかりいたのですが、大きな間違いでした。
こんなにも素晴らしい、世界に誇れる人々が暮らす国だったのだと、被災に合われた方々の行動によって改めて気付かされたのです。
未来ある子供達のためにも、この国を滅ぼしてはならないと強く感じた次第です。
昨日、家族でそんな話をしていたのですが、こんな記事をネットで見つけ、私達以上に私達日本人の資質に世界が感銘を受けていると言うことが分りました。
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【日本人の「質の高さ」に感動 各国メディア】
中国メディアや中国人が報道やネット上のコメントで、震災下の日本人のマナーを絶賛していることを先ごろ本欄で書いたが、他の国にもそれが広がっている。やや長いが、いくつか引用したい。
●韓国の東亜日報はこうレポートしている(14日付)。
「(都内に住む在日韓国人の)李氏は思った。『これが先進国ということか』。大地震が襲っても、誰一人、大声を出したり泣きわめいたりしなかった。驚くのは(地震発生時に李氏がいた)ディスカウントショップの商品を持ち出す人が一人もいなかったという点だ。買い物客は皆、買い物かごの商品を元の場所に戻し、建物を出た。大地震や大火事が発生すれば、犯罪や略奪、無秩序が横行するという話は、少なくとも日本では“遠い国”の話だった」
●中央日報も以下のように報じた(14日付)。
「(被災地のホテルが被災した客に)うどん10皿を持ってきたとき、誰もが他の客の空腹を心配して、後に後にうどんを回す“譲歩のリレー”が続いた。日本全域で人のいない商店で略奪行為があったというニュースはまだ1件もない」
「(南三陸の)最大被害地域では、行方不明者1万人といううわさが出回る。しかし恨みの声は聞こえない。避難所に集まった100人余の住民らはメディアのインタビューに『早く復旧を願うだけ』と“明日”について話す。誰のせいにもしない。足りない水と毛布を分け合って、お互いを慰める感動的な姿が報じられている」
●アメリカのCNNも14日、地震発生時、都内にいたコロンビア大ドナルド・キーン日本文化センター所長、グレゴリー・フルーグフェルダー氏のコメントを伝えている。
「略奪という行為は日本では発生しない。我々がこの言葉から受けるのと同じ意味を持つ日本語の単語が存在するかどうかも疑わしい」
●中国政府系のニュースサイト・中国網は改めて、「日本国民の質の高さには脱帽だ」と報じ、一つひとつ具体的な例を並べた。「危険の中でも日本国民は法を厳守し、秩序を守る」「手抜き工事によって建物が倒壊するようなことは起こらなかった」などを列挙したうえで、「高いレベルの危機対応能力は、世界の人々の大きな衝撃を与えた」と結んだ。
当の日本人からすれば、当たり前の風景が外国人の目からは当たり前ではない。史上有数の大地震に見舞われ、経済的ダメージは大きいが、日本人への国際的な評価は逆に上がっている。米ウォールストリート・ジャーナル紙が13日付の社説で「不屈の日本」と書いたが、日本の底力はまさに国民の質の高さにあるのだろう。(織)
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読み終えて、少し涙が出てきました。
政治も経済も先行きが見えず、そして今度は天災までもが襲いかかり、一体この国は、これからどうなって行ってしまうのだろうと、将来を憂いてばかりいたのですが、大きな間違いでした。
こんなにも素晴らしい、世界に誇れる人々が暮らす国だったのだと、被災に合われた方々の行動によって改めて気付かされたのです。
未来ある子供達のためにも、この国を滅ぼしてはならないと強く感じた次第です。
藤枝から無事帰還
昨日は、藤枝出張でした。
地震には、その出張先で遭遇しました。
もちろん被災地に比べれば全然大した事はありませんでしたが、それでも、結構な揺れを感じました。
長周期震動と言うヤツでしょうか、かなり長い間隔の、フワーとした大きな横揺れでした。
外に飛び出して、暫く様子を見ておりましたが、とりあえず大事には至らず一安心。
打合せ室に戻る途中、みんなが事務所のテレビに見入っているのが見えましたので、私もちょっと覗いてみました。
そして、そこに映し出されている映像に愕然としました。
凄まじい、まるで映画かと思うほどの驚くべき光景。
なにか、とんでもない事が起こっている、と言う恐怖が背中を走りました。
っと同時に、出張先でしたので、すぐに帰りの心配が頭をヨギリました。
この日は、どんなに遅くなろうとも帰るつもりでいたのですが、ニュース速報では、軒並み鉄道ストップの情報が流れています。
新幹線もヤバそうだったし、こういう状況ですから、ひょっとしてホテルもすぐに埋まってしまうかも、との思いから速攻でホテルを予約しました。
結果、大正解でした。
その後、新幹線こそなんとか動き出しましたが、在来線が全線見送りで、どうすることも出来ない状況だったのです。
もし、早目に宿を確保しておかなかったら、東京都内のサラリーマンの方々の様に帰宅難民になるところでした。
そんなわけで、昨晩は藤枝で一泊することになりましたが、ホテルでは一晩中ニュース映像から目が離せず、しっかり寝れませんでした。
寝不足のまま朝を迎え、朝食をとりにホテルのロビーに下りると、「在来線の復旧の目処は経っていない」と言う張り紙がフロントに出ておりました。
併せて、「静岡までならバスで行ける」との情報もあり、早々にチェックアウトすると、その情報に従ってバス乗り場を目指すことにしました。
やはり同じ考えの人間は多い様で、バスはかなりの人で混雑しておりましたが、なんとか後ろの一席に腰を下ろすことができました。
ギュウギュウ詰めのバスで、静岡駅までは1時間程度はかかりますので、座ることが出来て助かりました。
静岡駅に着くと、今度は、構内のチケット販売機前が大混雑です。
長い列に30分以上並んで「こだま」の自由席を購入すると、急いで改札を抜けホームに。
自販機で缶コーヒーを買うと、時刻も確認せず、入って来た車両に飛び乗りました。
こだまの自由席は、思いのほか空いており、シートに身をあずけると、ユッタリと缶コーヒーを流し込みました。
疲れた身体にコーヒーが染み渡り、実にうまかった。
家に帰ってからは、コタツの中でズッとテレビに釘付けでした。
やはり、被害者の数が雪だるま式に増えていってます。
コンビナートも凄まじい炎をあげています。
原発もかなりヤバそうです。
今後どうなっていくのか、ただただ不安が募るばかりです。
地震には、その出張先で遭遇しました。
もちろん被災地に比べれば全然大した事はありませんでしたが、それでも、結構な揺れを感じました。
長周期震動と言うヤツでしょうか、かなり長い間隔の、フワーとした大きな横揺れでした。
外に飛び出して、暫く様子を見ておりましたが、とりあえず大事には至らず一安心。
打合せ室に戻る途中、みんなが事務所のテレビに見入っているのが見えましたので、私もちょっと覗いてみました。
そして、そこに映し出されている映像に愕然としました。
凄まじい、まるで映画かと思うほどの驚くべき光景。
なにか、とんでもない事が起こっている、と言う恐怖が背中を走りました。
っと同時に、出張先でしたので、すぐに帰りの心配が頭をヨギリました。
この日は、どんなに遅くなろうとも帰るつもりでいたのですが、ニュース速報では、軒並み鉄道ストップの情報が流れています。
新幹線もヤバそうだったし、こういう状況ですから、ひょっとしてホテルもすぐに埋まってしまうかも、との思いから速攻でホテルを予約しました。
結果、大正解でした。
その後、新幹線こそなんとか動き出しましたが、在来線が全線見送りで、どうすることも出来ない状況だったのです。
もし、早目に宿を確保しておかなかったら、東京都内のサラリーマンの方々の様に帰宅難民になるところでした。
そんなわけで、昨晩は藤枝で一泊することになりましたが、ホテルでは一晩中ニュース映像から目が離せず、しっかり寝れませんでした。
寝不足のまま朝を迎え、朝食をとりにホテルのロビーに下りると、「在来線の復旧の目処は経っていない」と言う張り紙がフロントに出ておりました。
併せて、「静岡までならバスで行ける」との情報もあり、早々にチェックアウトすると、その情報に従ってバス乗り場を目指すことにしました。
やはり同じ考えの人間は多い様で、バスはかなりの人で混雑しておりましたが、なんとか後ろの一席に腰を下ろすことができました。
ギュウギュウ詰めのバスで、静岡駅までは1時間程度はかかりますので、座ることが出来て助かりました。
静岡駅に着くと、今度は、構内のチケット販売機前が大混雑です。
長い列に30分以上並んで「こだま」の自由席を購入すると、急いで改札を抜けホームに。
自販機で缶コーヒーを買うと、時刻も確認せず、入って来た車両に飛び乗りました。
こだまの自由席は、思いのほか空いており、シートに身をあずけると、ユッタリと缶コーヒーを流し込みました。
疲れた身体にコーヒーが染み渡り、実にうまかった。
家に帰ってからは、コタツの中でズッとテレビに釘付けでした。
やはり、被害者の数が雪だるま式に増えていってます。
コンビナートも凄まじい炎をあげています。
原発もかなりヤバそうです。
今後どうなっていくのか、ただただ不安が募るばかりです。
