あれから5日。

12月29日まで残り2ヶ月となった今日。

自分の気持ちの為にも、あの時から感じている全てを忘れない為にも、書こうと思う。


正直な所、今もまだ気持ちも心もぐちゃぐちゃなので、支離滅裂な文章になってしまうかもしれないけれど、それもまた、今の自分なのでご容赦ください。





24日はたまたま何も予定がない休みで、FTからメールが届いた時は自宅でマニキュアを塗り変え、乾かしている最中だった。


特に深く考えずに開いたメールには、簡潔に「大切なおしらせ」があるとだけ書かれていて。

この時既に、あれ、何か変だぞとは感じたものの、ツアー延期のお知らせかなと気楽に考えていた。


なかなか繋がらないサイトに何度かトライしてようやく開いたその画面。

最初は何を言ってるのか全然理解出来なかった。

……理解出来なかったというよりも、したくなかったのだと思う。だってもうその時にはスマホを持つ手が震えていたから。


櫻井敦司が


あっちゃんが


息を引き取った ?


何度か読み返してようやくその文字が意味するものを悟った瞬間、床にへたりこんだ。

同時に、ありえないくらいに嗚咽しはじめた。

まるで自分の体じゃないみたいに立ち上がれないし、動く事も出来ない。ただただ、訳の分からない言葉を発しながら泣くだけ。


だって本当に意味がわからないじゃないか。

7月にガーデンシアターで見た時だって元気にいつものあっちゃんだったし、群馬でのライブも素晴らしいものだったと参加したお魚の皆さんのレポでも見ていたし、ツアー初日に向けてのメッセージだって………



なんで、なんで、なんで、どうして、いやだ、いやだ、うそだ、ゆめだ、ちがう、なんで、


頭の中でずっともうひとりの私がそう言っている。

そんなはずないじゃないか、お前の勘違いだよと。


けれど現実は残酷だ。

発表された数時間後には、ネットに訃報の文字が溢れかえる。

そしてユータのブログと、今井さんのインスタも更新される。


この時の私はもう、全てがバラバラだった。


悲しさなんて通り越して痛みしかない心。


どこか他人事のように、あっちゃんがいなくなった事を理解しようとする頭。


その全てを無視して、翌日の仕事に向かう準備をする身体。


今考えたらそれはきっと、無理矢理通常の生活を送ろうと、何も考えないようにしようとした無意識の防衛本能だったのかもしれない。


でもこの日から私はしばらく食事をする事をやめてしまった。

食べたくなかったし、食べようという気も、食べなければという気もしなかった。興味がなかった。

食べるってなんだっけ、くらいに関心が無くなっていた。

(今日、5日ぶりにスープ飲んだからご安心を)



そして夜が痛くて辛くて、怖いものになった。

好きだったひとりでいられる夜という時間は、あっちゃんがもういないという事実をひたすら突きつけられる時間に変わった。

寝ようとすると、明日目覚めた世界にもあっちゃんはいないのだと脳が再確認してしまう。

今までのライブや映像が頭に浮かんでしまう。


あの優しい声も

素敵な笑顔も

妖艶な姿も

お茶目なところも


もう見ることが出来ないのだと、念押しされるように脳裏に浮かぶ。

それが悲しくて辛くて、ずっと涙が出る。

そのまま気を失うように意識がなくなって、気付いたら朝が来て。


また、あっちゃんはもういないと理解して泣く。

この5日間、今でもこれは続いている。

涙が枯れるくらい泣くという言葉があるが、私の涙はまだ枯れる気配はない。



仕事に行けば気が紛れるだろうと思ったけれど、翌日は酷いものだった。

少しでも気を抜けば涙が止まらないし、仕事中にもふとした拍子に頭によぎってしまう。

結局何度もトイレに駆け込んでは号泣してしまい、夕方には限界が来てしまったので若干早く帰らせてもらった。

救いだったのは、職場の人たちが何も聞いたり話をふってきたりしなかった事。

大丈夫?とだけ声をかけてくれた。

大丈夫じゃないです、としか答えられなかったけど。


そう、大丈夫じゃないのだ。


そこそこ長い時間生きてきて、肉親や親類の死はもちろん、好きなアーティストや俳優の死だって少なからず経験はしてきた。


けれど、櫻井敦司という人がいなくなったという喪失感は、言い方は悪いがそんな今までの比じゃないくらいに大きかった。


泣いても泣いても、どれだけ泣いても嘆いても、悲しみも涙も止まらない。

いなくなったという事実を認めることが出来ない。



誰かが亡くなるというのは、大切な人がいなくなるという事は、こんなにも心が痛くなるのか。

胸が張り裂けそうなんてものじゃない。

どこか身体の一番大事な部分を、無理矢理引きちぎられているような感覚。

本当に心というモノの、全体がヒビ割れて粉々になるんじゃないか、なっているんじゃないかと思えるような、身体そのものではない〝カラダ〟の痛み。



これから先、こんな痛みを味わう事はもう二度とないだろう。




35周年が終わり、いよいよ36周年が始まったばかり。

箱ツアーが始まって、いつものようにBUCK-TICKの5人が全国をまわり、年末は武道館で。

そしてまた来年会いましょう、よいお年をってあっちゃんの言葉を胸に年を越して、新しい年もツアー行ったり音源買ったり………


ずっとずっと、そんな日々が来るものだと思ってた。


変わらないと思ってしまっていた。


永遠も不変もない事なんて分かっているのに、BUCK-TICKに関してだけは、変わらない日々がこれからも続いていくのだと、そう思っていた。


いつか誰かが……そんな日が来るのは、もっと、もっとはるか先の事だと。



あまりにも


あまりにも


早すぎるよ、あっちゃん。


まだ、置いていかないでよ






今日の私も、泣きながら寝て泣きながら起きて、バラバラになったままの心でいる。


今でも本当に一瞬だけど、死んじゃおうかなと思う瞬間もある。ダメだと分かっていても、辛くて痛くてどうしようもなく限界な時は考えてしまう。


歌声が聴きたくなってプレーヤー再生しようとしたけれど、指が震えて結局再生は出来ない。


映像は見たくない。なんでだろうね。


こんなに声が聴きたくて、姿も見たいのに、もうひとりの私がそれを止めている。


5日経ったけれど、悲しさも寂しさも痛さも辛さも、収まってくれる気配はない。



土屋さんが呟いていた言葉をお借りするならば、これがあっちゃんからずっと貰っていた愛の大きさなのだろう。

いや、まだまだ一部だけなのかもしれない。


BUCK-TICKに出会い、櫻井敦司という人に出会い、沢山の愛と優しさを貰ってきたこの十数年。


昨年のライブであっちゃんは、LOVE PARADEの前に


「パレードはずっと続きます」


「いなくなっても続くよ」


「あなたの街にもパレードは行くよ」


と言っていた。



10月26日、名古屋公演からツアーが再開した。



あっちゃんの言葉通り、パレードはずっと続くのだ。


2017年のDIQでのMC。


「30年前から、パレードは始まっていました。
みんな大人になったけど、ここ(と胸を指す)は子供のままです。
みんなおいで。
今井さんもいるし、ヒデもいる。
ユータだっている。
アニイは今日も座ってる。
さあ、おいで」

きっと今も、これからも、あっちゃんはあの時みたいな優しい声で「おいで」と言ってくれているだろうから。


だから私は、私がいつかいなくなるその日まで、これからもパレードに着いて行こう。


大好きなあっちゃんと、大好きなBUCK-TICKに。




あっちゃん、ありがとう。

今までもこれからも、ずっとずっと、ずっと大好きだよ。