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テレビの負の部分

 よく識者・評論家といった面々はテレビ放送についての批判で「視聴率至上主義」をあげているが、これはいかがなものか。


 テレビ局は企業である。そして視聴率は収益を上げる間接的な要因の中で最高位に属するものである。

 「視聴率至上主義」ではモラルがない という批判をテレビ局側にするのは少々的外れと見える。なぜなら視聴率に直接影響を与えるのは他でもない視聴者つまり国民だからだ。モラルがなく視聴率が高い番組はテレビ局側のモラルではなくテレビ局も含めた国民全体のモラル意識の問題ではないのか。


 もっとも各種メディア(テレビ・新聞・雑誌その他)の一時の人気者を持ち上げるだけ持ち上げて一気に落とす手法には嫌悪感を抱かずに入られない。最近は特に顕著だ。亀田兄弟はその代表例だといえるだろう。亀田大毅の反則はボクシング協会などが勝手に処分を下せばそれでいい。あのパフォーマンスについても傍観していればいいだろう。亀田叩きを喜ぶ日本人の神経がまったく理解できない。


 

 この前驚いたのは井上公造の頭の悪さだ。最近武田鉄也がスポーツ新聞上でのコラムで亀梨と小泉今日子について書いていたのがあり、そのことをワイドショーで取り上げていた。そのときに井上公造が「われわれは仕事ですが、同業者がああいうことするのはどうかと思いますね。」といったようなことを言っていたがつまり奴はほぼ犯罪といっても過言ではないような過激な取材は職業だから許されると思っている ということである。逆に言うと犯罪行為でも職業なら良いということである。つまり殺し屋は仕事だから人を殺しても許されるといっているようなものである。殺しとは次元が違うじゃないかという意見もあるかもしれないが、犯罪は犯罪である。「事件に大きいも小さいもない」とは踊る大捜査線での名言のひとつである。


いつも最後まとめるのに困る。というわけで終わり。

 

才能

 私の持論として、世間一般で言う、所謂才能というのは、幼少期の環境で決まる と思う。これは私の短い人生において出した一つの結論である。


 というのも何の才能かというと(こういう言葉では語弊はあるのだが便利なので)、勉強に関する才能だ。具体的には5~6歳くらいから徐々に、本当に軽く一日15~30分程度、公文式などで算数をやらせれば、中学受験時には驚異的な強さを誇るだろうし、その後も勉強を続ければ(このたとえも非常に避けたいが)東京大学理科Ⅲ類にも容易に合格できるだろう。


 

 もちろん、生まれた時から親が子供にひたすら話しかけて、その内容も無駄に難しいことをはさんだりして、早く言葉が話せるようにすることが前提である。テレビを見せるなど悪影響を及ぼしうることは全て省き、あまり小さい頃から所謂「大人の事情」を話さない(例えば大人特有の醜い、人間関係を円滑にする為の術など)。


上記のことが実践できれば必ずやすばらしい人間になるだろう。

 

脱出

 今、日本人は暫定税率について高い関心を寄せているので少し。


 私は、政府与党はなんとしてでも再可決して、この税制を維持すべきだと思う。何しろ日本国家は金がない。第一、暫定税率の道路特定財源はドライバーが走る道を整備する為に必要な金なんだから、それを廃止して車に乗らない人も払うその他の税金で賄い、自分たちの負担を減らそうなんて考え方は自己中心的発想以外の何者でもないだろう。



 政府も政府で、政権交代を覚悟してでもやりたいこと全部やってしまう。そうすればたとえ民主党が第一党になったところで全てを簡単に変えてしまう事は国民が許さないだろうから何とか国はいいほうへ進む。まあそんなことはできないだろうけど。


                       少しだけ違う話題。



 メディアというのは本当に権力を叩くのが好きで、この間も 道路特定財源で国土交通省の役人が無駄遣いをした なんていっていたが、それが確かマッサージチェアを何十台か何百台か知らないが買ったということだった。はっきりいってそんなの額は、世界第二位の経済大国の予算からすれば端金である。どの省の役人も事務次官になる為に必死で働いているんだから、サボっているわけではないだろう。守屋元防衛事務次官が問題だったのは賄賂でありゴルフをしたという行為そのものではない。若い官僚なんかは肉体的にも国益(省益)が直接のしかかってくるほど精神的にも激務であるのに、見返りが本当にちゃんと仕事をしているのかわからないような女子プロゴルファーの父親よりも小さいなんてやってられないだろう。

 天下り批判に政府も乗るなら、もっと官僚を賃金面で優遇すべきだ。行動には動機が要る。若いうちは熱意だけでやれるかもしれないが、どんな職業でも年をとれば熱意は薄れる。熱意が動機にならないのなら金の力を上手く働かせたらいい。その辺の知恵を絞ってこそいい政治家ではないのだろうか。




 

開始

こんにちは。


 ブログは一年以上前にやっていたのですが、面倒になって自然に終わってしまいました。こんなどうしようもないことをだらだらと書いてもしょうがないので本題へ入ります。


 今日は「身近なことからこつこつと」の無駄さについて話したいと思います。

 何のことかといいますと、例えば 電気はまめに消す だとかいう類の物についてです。こんなことを個人が、それも全員じゃなく一部の人がしたところで私にはただ無駄に神経を使うだけの無意味な努力のようにしか思えません。そんなことをしている人は環境を考えているのではなく、環境の為に努力をしている自分が好きなだけでしょう。

 というのも、産業革命から現在までに、あれだけ世界中で金を掛けて破壊してきた環境を元に、とまでは言わなくてもある程度回復させるのに金をかけないで出来るわけがないということなんです。例えば植林をするにしても、ボランティアの限られた人数ではどうせ満足なことが出来ないので、国家予算(新しく環境税を導入するなどの策を講じた上で)から植林の費用、人件費その他を捻出すべきです。


 ………思った以上に書くことが無いのでこの話題については終わりたいと思います。