最近こっそり彼氏の真似をして、「お天気時計」というアラームアプリをDLした。
やはり、二度寝はコワイ。
スヌーズ機能のほか、二度寝防止機能というのがあったので試しに設定してみた。
説明によると
"計算に正解するとアラームが停止します"
なるほど。確実に目を開き、寝ぼけた頭を活用することで覚醒を促すということですか。
ワクワクしながら就寝。
勿論朝にはそんなアラームのことはすっかり忘れていた。
しかし、彼氏が使っていたこどあって、音楽や声優さんの音声、当日の天気予報、全てが聞き慣れ、なんならほっとする…お揃いを好む人々ってこういう、ある種の一体感みたいなものや、同調することでまるで横にその人がいるかのような錯覚が心地良いのかなとか考えていた。
朝。
例のアラームがなる。煩さがなんか嬉しい。
私、変態なのかもしれない……と朝からスマホを手にアラームを停めにかかった。
見慣れない画面に一瞬戸惑う。
おお、これは効果がありそうだ。
それもつかぬ間。
日によっては、アラーム停止して二度寝に突入して良い日と、スヌーズで確実に「次で起きる!」と決めてかからないといけない日がある。
このアプリ、一旦音を止めて、スヌーズ残しができるのか、私は未だ解明できないでいる。
何故なら、アラーム停止(解除)の計算があまりにも簡単すぎて脳が目覚めないからである。
いくら寝起きとは言え、
「15+10」等
薄目に見ても、指さえ無意識に動いてくれれば入力できる。
このレベルはもはや計算ではない。
「連想」
である。
あまりに一般的である
「15 10」
の組み合わせに限って言えば、その数字が視界に飛び込んで来た瞬間に
「25」「5」「150」「3/2」「1.5」
が閃く。
解説不要であろう。和差積商だ。商に至っては分数=小数。
これの記号を見分け、足し算だと判断できた時初めて「25」を選び入力する。
足し算だから、足すのではない。
いくつかある答えのバリエーションから最適なものを選ぶのだ。
このように「数字の持つイメージ」から手持ちの「カード」を切る、あるいは「絵を合わせる」ような反射の作業で果たしてどれほどの人が目を覚ませるのか、いささか疑問でならない。
その昔、2歳下の妹と一緒に小学4年でそろばん教室に顔を出し始めた。
暗算を済ましてから珠をはじき、頭の中の答えに、珠の数を擦り合わせていた。
分かりきった答えを改めて可視化するこの無駄な作業に一体何の意味があるのかと珠算教室に通わなくなった時のことを私は今思い出している。
因みに当時、算数の中でそろばんをほぼ習わなかった。
加えて小5、6か中学の頃だったと思う。
分数計算もできるナイスな電卓の購入が必須になっていて、テストも電卓使用可。答えよりも、計算過程を要求される時代だった。
そして知りたがりの私は、自然と九九のように、組み合わせをパターンとして、漢字も同じようなものだと考え、暗記はできないがルールとリズムと視覚情報であれこれ覚えるタイプだったことも記しておく。
(例えば、日本史の教科書にマーカーでラインを引くのだが、その時にマーカーの色と、線の濃さや太さ、なぞった文字列の位置、写真などの配置、対応した資料集の見開きを「絵」やあの時ここをこんな気持ちで読んだ、あれはどしゃぶりの日に重い気分で読んだ、先生に当てられてこう答えた、友達にこんなこと言われたなど「思い出」「日記感覚」としていっぺんにインプットする)