慰めがいらなくなった日には








  

  

  

  


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リフレイン

お久しぶりです。

 

少しずつでもいい、

過去を乗り越え前を向こうと

13年前、新たに始めたこのブログ。

沢山の「大丈夫」を何度も何度も重ねて

やっと心静かに暮らせるようになったのに

崩れる時はほんの一瞬。

 

人は忘れる生き物。

大切なことさえも。

 

悲しいことですね。

 

でも、泣くだけ泣いたら、

また前を向いていきます。

どんな風に向くかはまだ未定ですが、、、

 

なにはおいても子供達だけは
ちゃんと自立して生きられるように

していこうと思います。

 

自分自身も、かな。

 

今、通信大学の4年生になりました。

後もう少し、頑張ります^^

冬を越えて

 

サラサラとした粉砂糖のような雪
その不安定な足下に少しふらつきながら歩く。
ふらつきながらも少しだけ
その感触を楽しんでもいるのだけれど。
 
なんだか、今の私みたい と思った。
 
そんな昨日の光景が嘘のように
今日は屋根から解けて落ちた雪が雨粒のように
窓の庇を叩く音がひっきりなしに響いてる。
来週には雪解けが進むという。

まだ遠い春。

それでも少しずつ、少しずつ、、、
 
 


母の一周忌の後に迎えたその年の冬は
いつにないほど連日の悪天候と
記録的な大雪に見舞われていて

何日もお日様を拝めない日々に鬱々としながら

来る日も来る日も雪かきに追われて体力を奪われ、

皆が疲弊していました。
 
年が明けてもそれは変わらず
むしろ酷くなる一方で、あれほど国道が度々
通行止めになったことはありませんでした。
 
そんな冬のある日。
その日は仕事がお休みでゆっくり起きた私。
階下に降りていくと、義父母がいつものように
ちょうどパチンコに出かけるところでした。
久しぶりのお出かけに気が急いていたのか

声をかける隙もなく連れ立って玄関を出て行きました。
 
私がお休みの日のいつもの光景。

私はやれやれ、とその背中を見送りました。
それが、元気な二人の姿を目にする最後になるなんて
その時は夢にも思わずに。
  
日頃から多少の悪天候でも出かけていた二人でしたから
無事に帰るまではいつもなにかと心配していたのですが
その不安は、とうとう現実のことになってしまいました。
 
義父の臨終には皆なんとか間に合ったけれど
先に亡くなった義母の最期を看取れたのは私一人でした。
でも、それで良かったのかも知れない、、、と後で思いました。
そう思いたくなるほど、義母の最期は惨く辛いものでした。
 
二つ並んだ亡骸を前に
誰もがその現実を受け止めきれないまま
しばらくはただ呆然と立ち尽くすばかりでした。

 

僅か三年の間に両家の両親を全て失う、、、

そんなことが本当にあるのだろうか。

なにか悪い夢を見ているんじゃないだろうか。

私は、信じられない気持ちでいっぱいでした。

訃報を聞きつけた人たちが
ひっきりなしに弔問に訪れてくれましたが
皆が皆、一様に言葉を失っていました。
  
そしてあまりにも突然の旅立ちのその日は
後を引き継ぐ者達にとって
怒濤の日々の始まりでもありました。
 

 


 
ーーーあれから、三年の歳月が流れました。

 

 

時間薬の力を借りながら少しずつではありますが
今は皆、それぞれに前を向いて歩いています。
  

 

 

自律

 

 

孤独を恐れない自分になることは
 
感謝を忘れない自分になることと同義
 
 
強くなりたい
 
大抵の事なら、笑い飛ばせるくらいに
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

.

 

回顧録 勿忘草

泣いたり笑ったり

皆さま、ご無沙汰しております。

お元気でしたか?
まだまだ寒い日が続くこの地方ですが
微かな春の気配をふと感じる日も
時折ではありますが、出てきたように思います。
 
それにしても、、、時の流れは速いものですね。
ついこの間年が明けたと思ったらもう2月も終盤に。
この分だとまた今年も駆け足で過ぎるのかもしれません。
 
今年は喪中ということもあり
年始のご挨拶は控えさせていただきました。
ピグをされている幾人かの方は既にご存知ですが
実は昨年10月半ばに母が亡くなりました。
それから数か月、、、確かに忙しかったのですが、
自覚のないまま多分気落ちしてもいたのだと思います。
母のことは時間をかけて覚悟してきたことですから
特別メソメソしていたわけではありませんが、
なんと言うか、、、力が抜けてしまったように
何かを楽しむための体力も気力も薄れてしまったようでした。
鬱とまではいきませんが、比較的元気のないことが多かったです。
父の時は母がいたので、まだどこかで気を張っていたのでしょう。
立て続けに親を失うことは、、、やはり喪失感を大きくするのですね。
 
私は仕事柄、そして地域柄、
年配の方と接する機会が多いのですが
父や母と同年代くらいの同じ様な背格好の方や
ご夫婦で寄り添いながら生きている姿を見ると
つい、そこに両親を重ねてしまいます。
 
そしてその度に悲しくなるんです。
どうして父と母にはこういう老後が許されなかったのだろう、って。
本当に、ただ普通で良かったのに、、、。
  
今でも時々、そんな気持ちになってしまう時があります。
一生懸命切り替えるようにはしてるのですが。
こればかりは、まだ時間が必要なのかもしれません。
  
でも、、、父も母もようやくこの世の様々な苦しみから解き放たれて
そんな厳しい人生の終焉を頑張って生き抜いた分だけ
今は穏やかに幸せでいてくれると信じたいです。
また、そうあるようにと願わずにはいられません。
 
お父さん お母さん
本当に本当にお疲れ様でした。
  
 
雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶雪の結晶
 
 
今日は、子供たちのスキー大会でした。
あまり絶好のコンディションとは言えない天候と雪質でしたが
子供たちはみんな頑張っていました。
私は広報委員なので、委員の皆さんと交代しながら
子供たちの雄姿をカメラに収めていました。
うちの子供たちは決してスキーは得意ではないのだけど
それでも去年よりもちゃんと上達していて、
特に三女の上達ぶりにはとても感心しました。
スキーの楽しさを少しずつ覚えてきたようで
今度スキーに連れて行ってねとお願いされています。 
 
でもね、、、困りました。
だって私、何年も何年も滑っていなかったから
すっかり下手くそになってしまったんだもの;;
あまりの滑れなさ加減に自分でも呆れてしまって^^;
なので子供たちと行く前にこっそりリハビリするつもり。
  
そして、「わぁ~、ママってすごい!」 と言われたい(笑)
 
 
 
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