現在、Clef Doll代表のShikiくんとの約束の道中、このブログを書いております笑
先日、僕が普段よくtwitterの方で流しているAsk.FMで、大変興味深い質問がありました。
このブログを普段読んでくれているみんなにも、是非考えて欲しいと思います。
質問は、
「何故人は殺し合うのでしょうか?」
とても、難しい質問です。
人と人が殺しあう理由とは何でしょう?
怨恨、金銭トラブル、衝動、戦争、様々な場面で人は人を殺します。
時には快楽目的という信じられない場面もあります。
Clef Dollの物語にも、死者は沢山現れます。
戦争によって命を奪われた青年を待ち続けた少女の想いを描いた「Sartoria~初戀の手紙~」
自らを囲う檻からの逃避を望み、自身の半身と母親、そして生まれた街を焼き尽くした「Rouge」
永遠の美を手にするため、若き乙女の生き血を浴びた狂える魔女「Countess~真紅の抱擁~」
多くの死者と、殺害者が物語の中には登場しました。
どうして人は殺しあうのでしょうか?
人間、と言うより、動物というのは本能的に自分を守るため、食糧を得る為に何かを殺す事を宿命付けられています。
動物植物は関係ありません。
何も殺さずに生きられる生物は、ほぼ、いません。
それは、同じ種同士であってもそうです。
縄張りを守るため、生きる為、絶えず殺し合いながらありとあらゆる生き物はこの世界で生存してきました。
人間も結局は動物の一種でしかない。
どれほど進化しようと、文明を築こうと。
社会を作ったところで、動物としての本能は残っています。
人間は発達した知能で、本能を抑えて生きる術を学びました。
食べたい時に食べるのを抑え、眠りたい時に眠るのを抑え、性的欲求の赴くままに性行為を行う事を抑える事が出来る。
けれど、理性というものは本能よりよっぽど弱いものなのだと思います。
簡単にその枷は外れてしまう。
だから人間は、その枷を外せなくなるよう、理性を守るために「法」を作った。
理性が本能に負けるのを抑えるため。
それをしてしまった人間を罰する為。
その罰への恐怖によって、理性を人間の脳裏に根付かせるために。
「法」とは、罰のためではなく、抑止力なのではないでしょうか?
人間は戦争などに行き、「目的」としての「殺人」が許されれば当たり前のように人を殺してしまいます。
そこには身を守る為、という気持ちも、戦場で死と背中合わせによる恐怖という側面もあるでしょう。
しかし、許された殺人は、正義の下に多くの血を流してしまいます。
兵士とは無関係な民間人すら、その正義の下で殺されていくのです。当たり前のように。
人間も理性で抑えてはいても、動物として組み込まれた本能的なプログラムには勝てないのだと思います。
弱肉強食の世界に存在する動物としての本能が勝利を求め、自分より弱い他者への攻撃を快楽と捉えてしまうのでしょう。
だからこそ、我々には競争本能がある。
もちろん、これは悪い事ばかりではないけどね。
本当に何もかもが平等な世界は、多分すぐに崩壊すると思う。
でも、例えばいじめの問題も、こうした弱者の上に立つ事で感じる快楽から生まれた歪みではないでしょうか。
僕はだからこそ、理性的でありたい。
人に対しての優しさを忘れたくない。
そのタガが外れる事がないよう、絶えず人らしく生きられるよう自分を律していきたい。
人間が人間として生まれた以上は、やはり、人は人を殺すべきではない。
僕はそう、思いたい。
Shion



