こんばんは、Clef DollのShionです(=゚ω゚)ノ
ブログ、最近出番が少なくてすみません笑
10/26の無料配布CDの制作も本当の本当に佳境です。
誰一人妥協なく、最後の最後まで作業を続けて、やっとみんなに届けられる物が仕上がりました。
M3にはかなり多めに持っていくので、みんなには是非手に取って欲しいな笑
さて、ブログの方では書いてなかったのですが、とても個人的な話。
こうして、こういう場で書く事の是非はあると思うけれど、書く事で僕自身も気持ちに整理をつけたいから、ごめんね、ちょっとだけ許して笑
今月の始め、10/2 午後9時56分。
僕の父は、57歳で亡くなりました。
父は15年前から腎臓を悪くしていて、人工透析をしていました。
透析15年、、、僕らは慣れてしまって、それが当たり前だったけれど、お医者様のお話では、それはすごい事で。
その状態で仕事も続けてきたのは、奇跡に近い事だったそうです。
父は僕にとって、様々な影響を与えてくれた最愛の父であり、ぼくにとっては生まれて始めての友人でもあった気がします。
映画の趣味、本の趣味、文章を書く事や、喋り口調。
すべて父から大きな影響を受けてきました。
父は、自由な人でした。
透析になっても、水分調整など知らぬ存ぜぬ、、苦笑
煙草もよく吸い、お酒は飲めないけど、甘いジュースやコーラが大好きな人でした。
いつも格好つけていて、見栄っ張りで、大言壮語。口から生まれたような人で、いつも賑やかでした。
でも、実際本当に格好良くて、センスの良い人でした。
映画や本の話を、あんな風に何時間でも出来る人は、父以外に僕は知りません。
亡くなる二週間前に倒れ、心停止。
植物状態から二週間で、亡くなりました。
僕は、父がその二週間、僕らに整理をつける時間をくれたんじゃないかと思ってる。
倒れた時、僕は近くにいられなかった。
ぼくに生きた姿を見せないまま、逝きたくなかったんじゃないか、なんて笑
そして、亡くなった日も、ぼくと母が行くその瞬間まで、少しだけ心臓を動かしていてくれた。
だから、最期に僕らは、まだ生きてる父に会えたんです。
格好良かったなぁ、、、
救急車を呼んだ日もね、救急車来るまで、煙草吸ってたんです。
しかも、これから救急車乗るってのに、履いてるズボンが気に食わないって、母に別のを要求したらしくて笑
そんな人、他にいますか?笑
僕、思わず笑っちゃいましたよ。
本当に、親父は最後まで親父らしかったんだなぁ、て笑
僕は、基本的には死後の世界って言うのは信じていなくて。
それは信じてないと言うより、それがあると思うよりも生きてる僕ら自身の明日の可能性を信じたいからなんです。
明日があるさ、じゃなくて現在を、今日を大事にしたいって想いからなのかな笑
でも父の死後、確かに父の気配を感じたり、守られてる感覚がしたり、なんか、導かれてると言うか、そういうのもあって。
後は、超常現象的な話だけど、なんか急に線香の香りが、何もない時に漂ってきたり、、そういうのは、感じたりするんだ、実は。
それは、願望や妄想かも知れないけど、確かに父がそこにいる感覚なんだよね。
死後の世界に望みを賭けてしまうのは、僕はやっぱり愚かな行為だと思う。
やっぱり、生きてこその明日だし、生きていないと自分自身や、今は変えられない。
でも、大切な人が亡くなってしまった時、その人が存在出来る世界を信じる事は、間違いではないのかな、と今は思ってたりするんだ。
父は、寂しがり屋だったし、僕らの近くに、ずっといれば良いと思うしね。
今回配布するデモには、2曲僕は歌詞を書いていて。
一曲目の「ヒカリの翼」は、父のお見舞いに行ってからRECをしたんだ。
だから、あの歌は、父に向けて歌った面もあるんだ。目覚めて欲しいって、希望を歌った、歌になってる。
二曲目の「薄翅蜉蝣は愛の夢を視る」この曲は、父が僕に薦めてくれた、ある作品にインスパイアされて書いた詞なんだ。
そして、父の死後、ほんの少しだけ歌詞を書き換えた。
ボーカルは大変だったと思うけどね、ごめん笑
この場で謝っときますw
僕にとって、本当に大切な曲になりました。
こんな時でも、僕にとって音楽はやめられないし、これこそが自身の存在証明なんだ。だから、当然曲にも自分は出てしまうよ。
僕の声が、父にも届けば良い。
これからも歌うよ。
【2014/10/26
11:00-15:30
M3秋 東京流通センター
第二展示場 コ35b
Clef Doll】
Clef Doll
Shion