きょうは何の日?☺️
1975年1月25日
ブルース・リーの『ドラゴンへの道』が日本で公開された日でございますー😉✨
監督・脚本・音楽・武術指導・主演
ブルース・リー
そしてここがポイントなんですけども、この作品で撮影を手掛けたのが新東宝出身のカメラマン西本正さんです❗️❗️
ブルース・リーの映画を日本のカメラマンが担当していたなんて嬉しいじゃありませんか😃🎶 日本人として誇りに思います
今回はこのブルース・リーと西本正さんに光を当てます😉✨
『ドラゴンへの道』ローマ・ロケの合間に。
西本正さん 、ブルース・リー、 レイモンド・チョウ
西本正さん
1921年2月、福岡県筑紫野市に生まれる。
戦前の満州でキャメラマンを志し、戦後、新東宝で一本立ちし、中川信夫監督の傑作『東海道四谷怪談』を撮ったのち香港へ渡り、六〇年代以降の香港映画黄金期の確立に寄与して、キン・フー、ブルース・リーなどの映画を撮るにいたる。
1997年1月25日没。
(著書 「香港への道」より抜粋)
今年は西本正さんの生誕100年であります。そしてなんと1月25日は命日でした。76歳で亡くなられたそうです。
会っていろいろ聞いてみたかったです!(会えるわけないけど😁)
そんなわけでこの機会に皆様にも西本正さんを知っていただけると嬉しいです
西本さんほんと凄い方なんですよー❗️
山中貞雄監督の『人情紙風船』で有名な三村明キャメラマンのチーフ助手やってた方で(西本さんは『暁の脱走』を担当)、技師になってからは中川信夫監督とのコンビで『東海道四谷怪談』などを撮ってますね。撮影が凝ってて今観ても新しく感じますよ😃
1957年に香港最大の映画会社ショウ・ブラザースからの招きで若杉光夫監督と共に香港へ渡り、数々の話題作ヒット作を手掛けられました。
その後、井上梅次監督、中平康監督、古川卓巳監督などもショウ・ブラザースに招かれまして、その際に西本さんも撮影やプロデュース、コーディネート等で関わっています。
ざっくりいえば、日本の丹念な映画作りとシネスコなどの撮影技術を香港の映画人たちに教えた人物です
そうした功績から西本さんは「香港カラー映画の父」と讃えられています。
1972年4月末、プロデューサーのレイモンド・チョウから西本さんへ電話が入ります。話があるので会ってくれと。
香港島で会うと
「ブルース・リーが今度の作品で監督・主演をやるので、ぜひキャメラは、本人も希望しているんだけども、西本さんにお願いしたい」と。
実際にブルース・リーと会うと物凄く熱望されました😃
そんなわけで、ショウ・ブラザースから独立してCM会社を立ち上げたばかりの西本さんは、ローマ・ロケだけという条件で参加します。
ローマ・ロケしたフィルムを現地で現像して試写したらとっても色が綺麗だったんですって✨
そしたらブルース・リーもカラーの良さに感激してそれ以来西本さんを放さなくなっちゃった
「西本さんありがとう!」
それで香港でのセット撮影もすべて西本さんが手掛けることになったのでした
ちなみにキャメラはテクニスコープといってローマのテクニカラー社が開発した方式です。
西本さんは以前にテクニスコープで撮ったイタリア映画の『昨日・今日・明日』(1963年)を観て、いいなあと思っていたそうです。ヴィットリオ・デ・シーカ監督のオムニバス喜劇です。
市川崑監督の『東京オリンピック』もテクニスコープですね😉✨
ブルース・リーがアイデアを出す。それを西本さんが受けて映像化する。
撮影に関してはブルース・リーの要望に限りなく近い形で叶えられたのではないかと思います。
西本さんの胸を借りて思う存分自己表現したブルース・リーの姿がフィルムに定着しています😉
たとえばクライマックスのコロシアムでの格闘場面。
これスタジオでのセット撮影なんですけども、奥に映る背景が写真なんですね😃
写真をでっかく拡大してるんです。
背景写真の素材もいろんな角度から撮ってあって、アングルによって使い分けてるようです。
たとえば俯瞰(高い位置から見下ろすようなポジション)のカットだと背景の写真もそれに合わせたものになってます。なので背景が写真とわかって観ていてもそれほど違和感がありません。
ブルース・リーとチャック・ノリスがまさにそこで闘っているかのように背景やライティングが工夫されています
映画というのは如何に本物に見せるかが腕の見せ所なのですね
西本さんナイスキャメラワークです😉✨
ちなみにチャック・ノリスの受けの芝居(殴られ方)がすごく上手いですね。
蹴られたときのリアクションが超リアル😃❗️
完成試写で問題発生。
イタリアで見たラッシュは綺麗だったのに、ゴールデン・ハーベストで現像が上がったばかりの版を見たら色がわるかった😭💦💦
ブルース・リーと現像所へ相談に行ったとき、「西本さん、私が西本さんの横に座るから、話にならないようなら、足をポンと突っついてください。そしたら、現像は全部、日本に出す」と言ったそうです
けっきょく「こんな明るいはずはない」とブルース・リーが怒りだしてイタリア調に焼き直してくれることになりました
香港の現像所による技術的な質の問題なのか単なる手抜きだったのか。
その後の試写でようやく合格。
ともかく色調が直って良かったです
そして晴れて何百本というプリントが出来上がり各地の映画館で上映の運びと相成りました
しかし現像所にまで同行して注文つけるなんて、やっぱりブルース・リーって映画人なんだなって思います
フィルムの一本一本にまで責任を持ったのですね。
『ドラゴンへの道』に続いて『死亡遊戯』も西本さんが担当。さらにアメリカとの合作『燃えよドラゴン』もブルース・リーの推薦で西本さんに決まり契約書も交わされました。
ところがロバート・クローズ監督はアメリカからギルバート・ハッブスというキャメラマンを連れてきちゃったんですね。
西本さん突然キャンセルさせられちゃいました💧
そしてブルース・リーは西本さんに平謝り。
でも英語が苦手だったからかえってありがたいと思ったそうです😁
監督とコミュニケーションが取りづらかったらイイ作品は生み出せないですもんね。
『ドラゴンへの道』
正直、ストーリーは安っぽいのだけど、やはり格闘シーンは素晴らしいですね😃✨
原点へ
父親が俳優という環境下で、子役から俳優となり、アメリカに渡ってからジークンドーを創設し武道家となり、そして香港に戻って映画に主演したブルース・リー。
武道家にはなりましたけど、西本さんとのエピソードから見えてくるのは、やはりブルース・リーは映画人だったということです。
幸せな時間
そして、ブルース・リーの映画人生のなかで西本さんとの仕事が一番幸せだったんじゃないかって思うんですよ✨
西本さんと共に、監督として映画をコントロールできたという意味で『ドラゴンへの道』と『死亡遊戯』のクライマックスシーンはブルース・リーにとって格別なものだったのではないでしょうか。
ブルース・リー
武術アクションを通したアートと娯楽の到達点。
その姿は永遠に語り継がれていくことでしょう
アチョーーー😃❗️✨