2017年公開
大林宣彦監督作品
『花筺 / HANAGATAMI』
私はこの映画2回観に行きました。
初めて観たときとても混乱しました。
ほとんどのカットが不自然な合成によるもので、その映像や濃厚な色彩に強い違和感を覚えたからです。
おとなりの佐賀県唐津市が舞台なのだけど、わざわざそこで撮った意味がないくらい合成だらけなんです。
あまりにもリアリティーからかけ離れています。
しかも音楽は全編を通して鳴りっぱなし。
大林さんのことだから普通のものにならないのは承知のうえだけどここまでやられると正直参った。
果たしてこの映画とどう向き合いどう付き合えばよいのか。
一方、大林さんが映像作家として自由奔放に作ったことに心を動かされました。
思えばデビュー作の『HOUSE』なんて奇抜すぎるくらい奇抜な映画でしたもんね。
いや、むしろそれよりもっと前の自主映画時代に戻ったような感覚です。
これは壮大な自主映画でありアマチュアリズムではないか。
前衛とも言える映像表現と演劇的なお芝居の演出は、寺山修司や唐十郎といった70年前後のアングラを彷彿とさせます。
リアリティーとは真逆な世界。
登場人物は10代のはずなのに演じている主な俳優は30代40代だったりします。
嘘も方便?!
遅まきながらそこで合点がいくわけです。
そもそも映画というのは作り物です。映画は嘘です。ほんとのように見せてるだけで実際ではないのです。
逆説的にいえば実際である必要はなく、登場人物とそれを演じる俳優との年齢が同じだったり近い必要はないのです。映画の中で映画としてのリアリティーが成立してればよい。
『花筺』で大林さんは思いきり映画的な嘘をつき虚構の世界を大げさに描きました。しかも半端なく。
だからこそ事実を越えた真実という光が見えてくるのですね。
真実=心の底で感じたこと。
そこには嘘がない。
嘘を描いてるのに嘘がないというパラドックス。
そうかこれだったのか大林さんがやりたかったことは。
映画で感じた奇妙な違和感そのものは迫り来る戦争の足音であり匂いなのかもしれない。
大林さんはあからさまに反戦を描いてるわけじゃない。
あのときの若者の気分や感情を代弁してるのだ。大林さんにしか出来ない映画的手法で。
なんだか頭をぶん殴られる思いです。
嘘の先に真実を感じさせてくれるなんて。
なんと大胆な演出だろう。
そしてもう一度その混沌とした世界観に浸りたいと思い再び劇場に足を運んだわけです。
もはや これは芸術の域。
そんな映像叙事詩
花筺 / HANAGATAMI の予告編です