朝の5時には眼が覚めるようになっています。
こうしたこともあり、旅行に行った際には、
朝の散歩をすることが多くなってきたのです。
この日も、6時くらいにホテルを出て、
散歩に出かけました。
旧中村市街には、朝日が上がり始めており、
散歩をする人がちらほら見受けられます。
ホテルから四万十川方面へ少し歩くと、
「四万十川橋」、通称「赤鉄橋」が見えてきました。
通称名のとおり、
鮮やかな赤い色をした橋です。
歩道の真ん中から撮影してみました。
インターネットで調べると、
最初の橋は1926年に造られ、
その後、南海地震の被害を受けて1948年に修復、
その後、1968年には歩道が付け加えられたようです。
こちらが1968年に付け加えられた歩道。
橋の両側に付けられており、
上流方面、下流方面の四万十川を眺望することができます。
こちらが上流方面の四万十川。
広い砂州が見えます。
橋の中央付近から撮影すると、
眼下から続く四万十川が見えます。
橋を渡り終えると、河川広場が見えました。
サッカーのゴールが設置されており、
スポーツを楽しめるほか、キャンプもできるようです。
橋を渡り終え、
右岸から旧市街・中村方面を眺めたところです。
河川へと降りてみると、散歩に適した小道があったので、
少し歩いてみました。
少し離れたところから、赤鉄橋を眺めながら、
近づいていきます。
下から見ると、思っていたよりも橋脚間が広いように感じました。
鉄骨の構造が橋の強度を保っているのだと思います。
橋の真下から見上げた赤鉄橋です。
橋上ほどの複雑な構造ではありませんでした。
赤鉄橋の下をくぐり抜け、
下流方面から再び、旧市街方面を眺めたところです。
しばらく歩くと・・・
こちらは増水した際の水位計でしょうか。
以前、大雨が四国を襲い、愛媛県の大洲市が水害にあった時に
四万十市にいたのですが、その時に見た四万十川は
堤防が決壊するのでは、と思うほど水位が高くなっていました。
四万十川の恐ろしさをまじまじと感じたものです。
土手の上へと上がりました。
赤鉄橋と同じ高度から眺めた旧市街・中村です。
行きとは反対の歩道をとおり、
今度は下流方面の写真を撮影しました。
向こうに見えるのは、国道56号線が通る、渡川大橋です。
歩道は、橋本体にぴったりと付いているようではありませんでした。
橋本体と歩道の間に隙間があり、川が見えます。
後付けの歩道だから、このような構造になったのでしょうか。
橋の終わりに近づきました。
手前の歩道から反対側の歩道を見た風景です。
これで、四万十川橋を往復歩いたことになります。
結構な距離になりました。
橋を渡り終え、
ホテルへと帰ります。
このあたりは旧市街の中でも、
昔からある町並みなのでしょう。
古い建物も見えます。
ホテルへと帰り、豪華な朝食を食べ終え・・・
部屋へと戻って、
先ほど歩いた四万十川橋方面の写真を一枚撮影しました。
これで、四万十とはお別れです。
ホテルを出て、帰路へとつきます。
通常ですと、東方面・須崎市を経由して帰るのですが、
今回は四万十川沿いの国道441号線を北上し、
西土佐を経由して帰ることにしました。
青空の下、国道441号線を進みます。
四万十川沿いの国道441号線ですが、
絶えず四万十川が眺められるわけではありません。
川沿いから少し離れていたり、
近くても木々があったりで、川を眺められるスポット限られています。
中流域の木々の間から、タイミングを見計らって・・・
パチリ!
ガードレールが邪魔でしたが、
走行中の撮影なので仕方ありません。
(助手席から撮影したものです)
さらに北上します。
西土佐が近づくと、山々が大きく迫ってくる風景も見られます。
秋の季節、山間を流れる四万十川。
これから冬へと向かうという、もの悲しさを感じさせます。
夏は、青い空に流れる白い雲が浮かび、
動く雲の影が山々や四万十川に映っている風景が見られます。
秋は日射が薄くなった分、
そうした風景も少なくなるのでしょう。
それでも、
澄んだ秋の空と四万十川の風景は魅力的です。
四万十川にかかる「沈下橋」も見えてきました。
何十年前と変わらない、懐古を感じさせるような風景です。
ここから西土佐までは30分もかかりません。
西土佐に着けば、そこから少し先は愛媛県になります。
4日間の四国旅行の旅が終わりました。
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