先日、息子と2人でやっと観てきました![]()
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Mrs.GREENAPPLEの映画![]()
まずは、ORIGIN![]()
当初は、先にLIVEの方を観に行こうと思ってたけど、結論から言うと。。。
ORIGINからで正解だったと思います![]()
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ミセスの3人の関係性や、varietyが出来た経緯を知ってからフィヨルドを観ると、
またさらに感動するだろうなぁと思いました![]()
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varietyは、ミセス3人それぞれのラブレターだと思う![]()
元貴の2人へのラブレター
そして2人からの、「君の手を握るよ、離さないよ」というお返事のラブレター
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ORIGINについて![]()
私には、“大森元貴の叫び”に聞こえた。
誰か助けて
さみしいよ
孤独だよ
皆が僕にどれだけすごいねっていってくれても
皆が僕をどれだけ好きだよ、愛してる、必要だよっていってくれても
僕の心には一ミリも響かない
僕の心は少しも満たされない
僕はワガママなのかな
僕は鈍感なのかな
っていう、孤高の天才故の心の叫び
私達ふつうの人間には到底ワカラナイ、理解デキナイ
私たちが、普段容易く口にする言葉の重量では、
彼が心で感じ、頭で理解し咀嚼する為には
軽過ぎて指の間をすり抜けてしまう
その孤独を、
僕達は受け止めるよ
君を捨てない
と、大森元貴の才能に惚れ込み、寄り添ってくれているのが、若井滉斗と藤澤涼架。
もちろん、孤高の天才だから、ただの凡人では、
付き合いきれない、付いていく事も不可能
脱落者が出るのが至って普通
それが、彼らのフェーズ1終了と、メンバーとの別れ
映画の中の、
大森「僕は自分がクズなのは分かってるから、天才かクズなのか、はっきりさせるために、天才の証明をする為に、曲を書き続けた」
というニュアンスの言葉が強く印象に残った(ニュアンスだから、一言一句これではないのはご了承ください)
学校に行っていない=社会的に見たら悪いこと。そんな奴はクズ。
このレッテルに劣等感を感じ続け、己の自己肯定感を下げていた10代の元貴少年。
「いろんな所で言い過ぎて、自分でも分からなくなっている。学校から逃げる為に曲を書き続けていたのか、曲を書きたいから学校に行かなかったのか」
というセリフも、本当に彼の愚直さや才能を現しているなと思った。
彼にとって、“曲を書き続けること”は、
天才を証明するための、努力ツールだった
クズが、天才であると皆に誇示出来る術に
彼はちゃんと辿り着いた
そして、これは幸せな言葉でもあるなと感じた。
なぜなら、私の近くに、
天才だと証明する為の努力ツールに出会う事が出来ずに
折角天才としての才能を備えて生まれ落ちたのに、
自分が努力したいと思える物に出会う事が出来ずに
天才だと証明出来ない人生を歩んでしまった
孤高のクズが存在しているから
天才を証明する為の努力をしなかった、
出来なかったという人生もまた、
天才故の悲哀だなぁと同情する
元貴も言っていた
「クズと天才は表裏一体だ」と。(これもニュアンスということでよろしく)
これは本当に納得。。
でも、この言葉を29歳で口に出来るようになったということは、彼はこの苦しみから少ーしだけでも、解放されたのかな?とも感じた。
苦しんでるうちは、悩んでる渦中では、
人の前でこれを口にするのって
なかなか難しいと思うから![]()
