私には、いわゆる霊感はない。

 

だけど、子供のころから

 

超能力や霊感が芽生えないか鍛えようとしたり、

 

人形と話せないか執拗に試したり、神格化して守ってもらったり、

 

結局そういう能力は0なんだけど、そういう世界を信じて生きてきた。

 

いくら頑張ってもそういう力は芽生えなかったし、見えないんだけど、

 

見えない世界を信じるようになったきっかけがあったとすれば、

 

いくつか不思議体験があったからかなぁ。

 

 

小さい頃、仏壇のある座敷で寝ていたとき、

 

深夜、磨りガラスの扉の向こうに骸骨のシルエットが浮かび上がり

 

それが動いているような気がして、怖いながらも、

 

これは現実か、はたまた見間違えなのか、布団の中から目で追っていた。

 

 

またある時は、昼間一人でお留守番をしながら、座敷で寝ていたところ

 

玄関の鍵が開き、誰かが入ってくる音が聞こえた。

 

家族じゃないのは直観的にわかって、恐怖で声をこらして、寝たふりをした。

 

その誰かは、玄関を上がり、こちらに近づいてきて、私が寝ているのを確認すると

 

そのまま玄関から出て行った。

 

それが誰だったのか、リアルな人だったのか、そうじゃないのかは分からなかった。

 

私は小さい頃から極度の怖がりで、特に外に出たら誘拐されるのでは?

 

悪い犯人にやられるのでは?と、一人で外に出るのはとにかく怖かったし、

 

家の中でも絶対に戸締りをして、両親がいるときでも、

 

必ず自分は、玄関が見える位置に座って、誰かが入ってこないか見張っていた。

 

凶悪犯が逃げたというニュースが流れた日には、

 

子供ながらに全室の戸締りを確認し、外出を避けようという子供だった。

 

特に怖い思いをした経験があるわけじゃないのに、ここまで外や他人が怖いのは、

 

前世で何か怖いことがあったのかなと思ったほど。

 

 

小学生になると、外への恐怖心は和らいでいた。

 

祖母とスーパーに行った帰り、田んぼの畦道を通って帰っていたときのこと、

 

前を歩くおじさんの姿があった。

 

おじさんは畦道の横の水路の上を歩いており、

 

その水路は、先に進むにつれ、畦道との高低差は大きくなるような勾配だった。

 

水路はあるところで、右に曲がっており、その曲がり角でおじさんも右に曲がった。

 

どこかで畦道に下りないと水路はどんどん高くなって下りられなくなるから、

 

おじさんどうするのかなと子供ながらに疑問に思っていた。

 

右に曲がったおじさんがどうなったのか、曲がり角に差し掛かり、その方向を見ると

 

おじさんの姿はなく、ただ沼地のような荒れ果てた田園風景だけが広がっていた。

 

 

小学校高学年の頃は、新築のマンションに住んでいた。

 

母と買い物から帰ってきて、リビングでビニール袋から買ってきたものを

 

母が出していたとき、そのビニール袋から、湯気のような煙のような白いものが

 

立ち上がったのを私は見た。

 

私は不思議に思ったものの、アイスかなにか凍ったものを買ってきてその湯気かなと

 

気にしないようにしていた。

 

でもその少し後に、母が台所のシンクで用事をしていたときに、白い煙のようなもの

 

を見たと言い出した。

 

火も氷もないのに、同じ日にそんな体験を二人ともがするなんて

 

すごく不思議だった。

 

 

私の母は、見えたりはしないが時々変なことがある。

 

頻繁に金縛りにあったり、ふすまに引きずり込まれそうになったり、

 

実家の部屋中に煙が充満して見えたり、誰もいないのに天井から水をかけられたり、

 

なぜか尻を叩かれたり。笑

 

一時期、母がある占い師と知り合いになって見てもらっていた頃、

 

私が高校卒業のアルバム撮影のため、天満宮にクラスのみんなで行ったとき、

 

その占い師から、天満宮のご神体が、私たちが挨拶をしなかったと怒っている、

 

と電話が入った。

 

確かに撮影だけして、ろくにお参りも挨拶もしていなかったから、

 

急いで謝りに行ったのを覚えている。

 

母が部屋中に煙が充満して見えたのはそのタイミングだったから、

 

もしかしたらサインだったのかもしれない。

 

 

他にもお墓の横に住んでいる子の心霊エピソードを聞いたり、

 

わんぱくな友達が私にあるいたずらをした日の夜、自分からわざわざ謝罪の電話を

 

かけてきて、不思議に思って理由を聞いたら、霊感のあるお母様に悪事がバレて怒ら

 

れたとのこと。

 

自分は見えなくても、周りには能力のある人やそういう話を聞く機会が多かった

 

のか、見えない世界があることは私の中では確信しており、

 

私もそれを感じたり、能力を鍛えたいという願望を持つ子供時代を過ごしました。