こんばんは、伊達です。

 

 

棚を整理しようと思い、

 

 

過去のノートをどう処分しようか

 

 

葛藤しております。。。

 

 

開いてみると、

 

 

いいこと書いてあるんですよね。

 

 

捨てるのもったいないなぁ

 

 

と思いながら、ずっと置いてあるやつ笑。

 

 

書き写すか捨てるか、

 

 

悩ましいところです。

 

 

思えば、学んでいる時って

 

 

「こんな自分じゃダメだ」

 

 

って無意識に感じていることが

 

 

多かったかもしれません。

 

 

学んで、成長していくことは

 

 

それなりに楽しいことでしたが、

 

 

その「出発点」が

 

 

自分の「不足」や「恐れ」からきていると

 

 

「着地点」も同じになっていきました。

 

 

結局のところ、

 

 

「こんな自分じゃダメ」

 

 

という「こんな自分」を変えたくて

 

 

いろいろと試してみても、

 

 

「こんな自分」を否定して受け入れない限り、

 

 

どれだけ外側の知識や情報で隠そうとしても、

 

 

その表面の鎧は、

 

 

ぺりぺりと剥がれていくもの、だったりします。

 

 

どれだけすごい人から

 

 

すごい情報やスキルを学んでも、

 

 

それを「どんな自分」で使うのかによって、

 

 

活かせるものや、引き出せるものが、

 

 

変わってくるんですよね。

 

 

これは、学ぶ時もそうだし、

 

 

分かち合う時も、同じこと。

 

 

「こんな自分なんて」と思いながら

 

 

分かち合うのか、

 

 

「自分だからこそ」と思いながら

 

 

分かち合うのかで、

 

 

伝わり方も、響き方も

 

 

違ってきます。

 

 

「伝える」ものが一緒でも

 

 

「伝わる」ものって、変わる。

 

 

それが「どんな自分」で分かち合うのか、

 

 

ということ、だと僕は感じています。

 

 

そのためにはやっぱり、

 

 

自分にとっての「原点」を思い出すこと。

 

 

「本当に学びたかったのはなんだっけ?」

 

 

「本当に分かち合いたいものってなんだっけ?」

 

 

たとえ、学ぶときの動機が

 

 

マイナスのものだったとしても、

 

 

きっとその動機の中に、

 

 

「本当は〇〇したい」という

 

 

本当の自分の願いがあったはず。

 

 

本当の本当の本当の自分が伝えたいのは、

 

 

スキルでも、情報でもないはず。

 

 

その先にある、希望を伝えたくて

 

 

分かち合おうとしているんじゃないかな。

 

 

だからこそ、

 

 

「こんな自分」じゃなくて

 

 

「自分だからこそ」伝えられる

 

 

希望や体験を伝えていくこと。

 

 

自分の根っこの部分であればあるほど

 

 

分かち合うことも怖いかもしれないけど、

 

 

きっとその怖いを乗り越えた先にしか

 

 

見えない景色があると思うから。

 

 

ぜひ「自分だからこそ」を意識して

 

 

分かち合ってみてくださいね。