山本芽依先生の書かれていた記事、

まるで自分の事にあまりに似ていたため、胸が苦しくなりました。

経済的にも精神的にも大きな傷を受けて、私も再出発しました。

 

 

私は今 何とかピアノ教室を運営できていますが、離婚後はピアノで生活できない時のために 違う職業につくことも考えて まずパソコン教室に行きました。

 

元気ならば何の仕事をしても子供を育てる、という気持ちがありましたが、パソコンが使えないでは話にならないと思ったのです。

20年前私はパソコンを触ったことさえありませんでした。

 

 

 

生徒は0人からのスタートでした。

 

公立小学校の講師に採用されたため、仕事帰りにパソコン教室に通いましたが、そのカリキュラムの中にワードやエクセル以外になぜかH P制作が含まれていました。

 

もともとあった下肢静脈瘤(膝下の心臓に戻る弁が壊れ血管が溜まりぼこぼこになる症状)が小学校の講師で立っている時間が長いため悪化してしまい、講師の契約は更新せず、座ってできるHP制作のパート(午前中)に就くことにしました(数年後、レーザー手術を受けました)

 

 

そこの会社のHP制作やドメインを取ったりメールアドレスを作ったりの土台を作った数年後、

「美術を専門に習った若い子を採用し、HP更新に2人はいらないから」と解雇されましたが、だんだん生徒が増えていた状態でしたので、反対にピアノ一つで子供を育てる覚悟、

”肝を据えよう”と思いました。

私にはヤマハ講師や自宅教室で培ったノウハウ、経験が既にあります。子供が4年生の終わりの頃です。

 

 

 

自分の勉強や演奏活動には出費はつきものですが、"質の高い教室にするために"必要だと信じて東京へのレッスンを受けに行くのも、コンサート活動も続けました。

 

 

 

公正証書があっても養育費が全く支払われない、裁判を起こしても支払い能力がない場合は不利、結局公正証書で決めた成人までの750万円が支払われませんでした。

ここまでできたのは、実家という家賃がいらない状態だったからです。グランドピアノとアップライトピアノも置くことができました。

 

現在の日本の母子家庭の実態の中で、国の援助制度は本当に助かりますし、2歳で始めた ソ●ー生命の学資保険だけは絶対に払い続けようと決心しました。

 

入金が全て終わった時に、神奈川で契約した時の担当の方が神奈川から来て下さり「よくがんばりましたね」とおっしゃって下さった事を今でも覚えています。

 

 

 

今は子育ての終盤ですが、

母が元気だったら何でもできます!

何か方法が見つかっていくでしょう。

 

 

高齢出産という事もあり子供が成人するまでは死ねない、と思う日々でしたので、

子供が20歳になった瞬間、涙があふれてきました。

 

高齢出産ということは私の両親も年老いているということ、「孫の習い事などの送迎はいっさいできないから」と宣言されて、空手、サッカー、塾、全て仕事の合間に自分で送迎しました。

 

 

当時、モラハラと金銭の私が受けた心の傷は癒えることはありませんが、時が良い方向へ解決してくれると信じています。

 

そして何よりも子供との人生は何事にも変えがたく、素晴らしい生徒とご家族様に恵まれ、音楽を仕事として生活できる人生までたどり着いた事は幸せとしか言いようがありません。

 

 

山本芽依先生の記事をお読みして、他にも苦労されていらっしゃるピアノの先生がいらっしゃるのなら、

心とお身体をとにかく大事にされて頑張って頂きたいなと思い、今日の記事となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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