画像/ちびまる子ちゃんランドfacebookより
藤枝市のピアノ教室
藤枝市の大人のピアノ教室
吉川ピアノ・ソルフェージュ教室です。
<特色>
🔶大人の初心者さんも大歓迎♪ 長年の夢を叶えてみませんか? オンライン・レッスンもあります。
🔶ヤマハ講師(東京埼玉/島村楽器本店他、.静岡すみやグッディ)の経験を生かし、個人とグループの両方の良いところ経験できる「月に1度のサンデー・ソルフェージュ」(年中〜小学生まで希望者)♪
🔶幼児~大人趣味の方、プロ指導者(ピアノ.エレクトーン講師、音楽教諭、保育士)、音高,音大,保育士受験の方まで在籍しています♪
🔶オンラインでピアノレッスン・受験ソルフェージュもございます
吉川ピアノ・ソルフェージュ教室HPはこちら
<本日のブログ>
土曜日は普段は仕事の日ですので、休みの今日は珍しくテレビをつけていると、NHKでは「終戦の日」全国戦没者追悼式が生放送されていましたので、昼の12時に黙祷。
私は 小学校入学直前まで
清水のちびまる子ちゃん作者 さくらももこさんのおそらくご近所に住んでいて(引っ越さなければ、同じ小学校で ももこさんが後輩になりますが重なっていました)
ちょうどちびまる子ちゃんが住んでいた家に似た、父の電力会社の社宅に住んでいました。
あの平和な幼少時代は 戦後数十年も経っていなかったのだとある日気付いた時、日本の復興は凄かったのだなとびっくりしました。
<思い出>
社宅は畳の部屋2部屋(一つはテレビのある居間)と台所&お風呂、トイレで、当時の建築によくあったように庭に面した長い廊下がありました。
台所(キッチンというイメージからは程遠い)の奥に確か木製お風呂があって、薪を割ってお風呂を炊いていました。
薪割りのお手伝いの真似事をした事を覚えています。
父がベッドをどなたからか貰い受けて、もう一つの畳の部屋を占領していました。
今のスプリングとは全く異なり寝心地は悪かったのですが、当時庶民家庭でのベッド(当時は 寝台シンダイと読んでいました)は珍しかったと思います。
裁縫ができる母は 私たち姉妹の洋服はかなりの間
手作りで、下着のいわゆる「シミーズ」も手作りでした。
親戚に行く時などの 今は死語になりつつ「よそ行き」のワンピースやブラウスも小学校の中学年頃まで手作りで、姉妹でお揃いの洋服を着せられていた記憶があります。
※今、よそ行き、晴れ着って言葉使いますか?
昔は 親戚やお出かけに行く時は、レース付きの白のソックス、エナメルシューズ、帽子。
元旦には普段着でなく良いものを着て、家族で揃い、形だけ「お屠蘇」に口をつけ、おせちにお雑煮。そこでお年玉
今は私が母となり 崩壊しています・・・・
ただ、小学校の時から学校から帰宅して友達の家に行く時も ソックスを履き替えて行く事、裸足は足の裏が汚れているしマナーとしてダメと口を酸っぱくして言って来ましたが・・・・
お正月は息子は友達同士で過ごすので バラバラです
小学校上がる前に藤枝に引っ越してからは、水洗トイレや温水器?湯沸かし器?があり、カラーテレビも販売されるようになった時代。
家の一室は両親が言う所の「応接間」があり、「応接セット」が置かれ、私たち子供はこの部屋では遊ばないようにと言われていました。
昭和の高度成長期に入り、クリスマスには2段ケーキ、アイスでできたケーキなどが売られ、家庭でもツリーを飾るのが当たり前になっていきました。
順調に伸びた日本経済も、私は20代でバルブ期、(夏は海、冬はスキー、ユーミンの歌そのもの)を経験し、
ヤマハ音楽教室の生徒は常にいっぱいという状態で・・・
その後世の中は変わっていきました。
また、さくらももこさん愛用のピアノが、清水ドリームランドの「ちびまる子ちゃんランド」で展示されていましたが、
現在7月にリニューアルオープンされたようです
写真/「えん食べ」よりお借りしました。
ご興味のある方は、ちびまる子ちゃんや家族、お友達に会いに行って下さいね
ちびまる子ちゃんランドHP
ちびまる子ちゃんランドfacebook
清水エスパルスドリームプラザHP
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